池波正太郎小説「夜の戦士(上・下)」を三度も読み返している。同小説は、3年前に購入し、2010年2月10日のブログにその感想をアップしていた・・・。
忍びの軍団・甲賀五十三家の一つ、頭領“山中俊房”の命を受けた「丸子笹之助」と「孫兵衛」が、武田信玄を暗殺するために甲斐に潜入。
当方が、池波小説で最初に甲賀忍びの頭領・山中俊房を知ったのは、今から30年以上も前に読んだ「真田太平記」である。そして、一遍に池波小説の虜になった。この池波小説の忍者物では、必ず甲賀忍びの頭領・山中俊房の名前が出てくるもので・・・すっかり、親しみのある人物像になった。
ところで、主人公の笹之助は捨て子であったが、頭領に拾われ孫兵衛という冷徹な忍びによって育て上げられた。忍びとしての技量は、老練な孫兵衛には敵わないところがある。
頭領・山中俊房の密命を帯びた二人は、それぞれ別の方法で甲斐の国に入って、武田家に仕えることとなる。主人公・笹之助は、苦労の末に常陸国で鹿島新当流の祖となった塚原卜伝の最後の弟子となり、師・卜伝の推挙により武田家の家臣となる。
一方、孫兵衛は足軽としてうまく潜り込んでいた。老練で冷徹な孫兵衛に比べて、笹之助の方は、目がきれいで女に弱い人物として描かれており・・・読者にとっては、ヒヤヒヤさせられる場面に再三遭遇させられる。
「以前に女にうつつをぬかしたのを頭領の山中俊房に叱責され、三度目はないと言われている・・・三度目は死を意味した」
孫兵衛と力を併せて信玄を暗殺することが重大な任務であるが、笹之助は、徐々に信玄という武将の器の大きさに触れることで・・・その偉大さに圧倒されていく。
上杉謙信との最終決着をつける川中島での開戦前夜、信玄は重臣などを遠ざけて、長子の太郎義信と信玄の弟・左馬之助信繁と三人で密談をしていた。その床下に潜り込み、信玄の話を聞いてしまった笹之助は、その話しぶりに酔いしれていく下りが描かれている。
「(笹之助は)信玄を刺すよりも、知らず知らず、信玄の言葉に酔い、武田家の内幕をもっともっと知りつくしたいという欲望がきざしはじめてきたのである。
『なれど、今しばらく待て』と、信玄がいった。(いろいろ噂があるが家督は太郎義信に譲るつもりであるとの話から)
『余は、武田の家というよりも、この日本の国の戦乱をうちしずめ、武田の手によって世の平和をもたらす考えじゃ』
まんまんたる自身に満ちた声であった。
笹之助は、胸がとどろいてきた。
『いまの世に、このさわがしい天下をうちしずめるものは余をおいて他におらぬのじゃ』
おごりたかぶっているのではない。
天下人として日本全国に号令するものは自分よりほかにいない。天下平和の理想つらぬくためには、どうしても自分が起つべきだと、信玄は決意しているのだ。
『一家のことすらおさめ守るのはむずかしい。まして天下をおさめるとなれば、なみなみならぬことじゃ。織田信長でもよい、上杉謙信でもよい、誰でもよいのじゃ。天下をうまくおさめてくれるものが余のほかに出てくれば、余は何も、いたずらに血を流し戦いをつづけたくはない』
そして、信玄は静かにいった。
『なれど、惜しむべし。上杉にも、北条にも織田にも、今川にも、天下をおさめる器量はない。どこかが欠けておるのじゃ。余も、むろん・・・』」
天下をおさめるのは、信玄をおいてほかにはないと、すっかり魅了された笹之助。信玄の侍女・久仁とのこともあり・・・ついに、甲賀を裏切って武田家配下の忍びとなる。
ところで、戦国武将の中でも人気の高さが後世まで伝わっている武田信玄、その人物像がとてもよく表現されている下りが、前述の「夜の戦士(上)」の記載である。
しかし、後年、三方ヶ原で家康を破り京に上って天下に号令をしようとしていた信玄、天下統一を目前に病に倒れた・・・享年53歳。信玄の遺言「自身の死を3年間秘匿せよ・・・」などが題材となった映画が、黒沢明監督作品「影武者」である。
まさに武田信玄が、あと3年間長生きしていたら、天下の形勢も歴史も大きく変わっていたであろう。何しろ、あの真田昌幸も、徳川家康も信玄の諜報網や戦の仕方などを大いに学んでいる。さらに家康は武田家滅亡後の武田家臣団の多くを家来にしており、信玄を尊敬していたのであろう・・・家康が唯一敗れた相手であるから。
丸子笹之助の目を通して信玄の人物像を浮き彫りにしているこの小説、あらゆる面で偉大なる戦国武将であった信玄・・・惜しいかな。三度も読み始めた「夜の戦士(上)」も上杉謙信との最後の決戦がはじまる。
そして、下巻、天下を目指した信玄が亡くなるまでの物語のなか、丸子笹之助の活躍が・・・既に三度目なのに楽しみである。
(夫)

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忍びの軍団・甲賀五十三家の一つ、頭領“山中俊房”の命を受けた「丸子笹之助」と「孫兵衛」が、武田信玄を暗殺するために甲斐に潜入。
当方が、池波小説で最初に甲賀忍びの頭領・山中俊房を知ったのは、今から30年以上も前に読んだ「真田太平記」である。そして、一遍に池波小説の虜になった。この池波小説の忍者物では、必ず甲賀忍びの頭領・山中俊房の名前が出てくるもので・・・すっかり、親しみのある人物像になった。

ところで、主人公の笹之助は捨て子であったが、頭領に拾われ孫兵衛という冷徹な忍びによって育て上げられた。忍びとしての技量は、老練な孫兵衛には敵わないところがある。
頭領・山中俊房の密命を帯びた二人は、それぞれ別の方法で甲斐の国に入って、武田家に仕えることとなる。主人公・笹之助は、苦労の末に常陸国で鹿島新当流の祖となった塚原卜伝の最後の弟子となり、師・卜伝の推挙により武田家の家臣となる。
一方、孫兵衛は足軽としてうまく潜り込んでいた。老練で冷徹な孫兵衛に比べて、笹之助の方は、目がきれいで女に弱い人物として描かれており・・・読者にとっては、ヒヤヒヤさせられる場面に再三遭遇させられる。
「以前に女にうつつをぬかしたのを頭領の山中俊房に叱責され、三度目はないと言われている・・・三度目は死を意味した」
孫兵衛と力を併せて信玄を暗殺することが重大な任務であるが、笹之助は、徐々に信玄という武将の器の大きさに触れることで・・・その偉大さに圧倒されていく。

上杉謙信との最終決着をつける川中島での開戦前夜、信玄は重臣などを遠ざけて、長子の太郎義信と信玄の弟・左馬之助信繁と三人で密談をしていた。その床下に潜り込み、信玄の話を聞いてしまった笹之助は、その話しぶりに酔いしれていく下りが描かれている。
「(笹之助は)信玄を刺すよりも、知らず知らず、信玄の言葉に酔い、武田家の内幕をもっともっと知りつくしたいという欲望がきざしはじめてきたのである。
『なれど、今しばらく待て』と、信玄がいった。(いろいろ噂があるが家督は太郎義信に譲るつもりであるとの話から)
『余は、武田の家というよりも、この日本の国の戦乱をうちしずめ、武田の手によって世の平和をもたらす考えじゃ』
まんまんたる自身に満ちた声であった。
笹之助は、胸がとどろいてきた。
『いまの世に、このさわがしい天下をうちしずめるものは余をおいて他におらぬのじゃ』
おごりたかぶっているのではない。
天下人として日本全国に号令するものは自分よりほかにいない。天下平和の理想つらぬくためには、どうしても自分が起つべきだと、信玄は決意しているのだ。
『一家のことすらおさめ守るのはむずかしい。まして天下をおさめるとなれば、なみなみならぬことじゃ。織田信長でもよい、上杉謙信でもよい、誰でもよいのじゃ。天下をうまくおさめてくれるものが余のほかに出てくれば、余は何も、いたずらに血を流し戦いをつづけたくはない』
そして、信玄は静かにいった。
『なれど、惜しむべし。上杉にも、北条にも織田にも、今川にも、天下をおさめる器量はない。どこかが欠けておるのじゃ。余も、むろん・・・』」
天下をおさめるのは、信玄をおいてほかにはないと、すっかり魅了された笹之助。信玄の侍女・久仁とのこともあり・・・ついに、甲賀を裏切って武田家配下の忍びとなる。
ところで、戦国武将の中でも人気の高さが後世まで伝わっている武田信玄、その人物像がとてもよく表現されている下りが、前述の「夜の戦士(上)」の記載である。
しかし、後年、三方ヶ原で家康を破り京に上って天下に号令をしようとしていた信玄、天下統一を目前に病に倒れた・・・享年53歳。信玄の遺言「自身の死を3年間秘匿せよ・・・」などが題材となった映画が、黒沢明監督作品「影武者」である。

まさに武田信玄が、あと3年間長生きしていたら、天下の形勢も歴史も大きく変わっていたであろう。何しろ、あの真田昌幸も、徳川家康も信玄の諜報網や戦の仕方などを大いに学んでいる。さらに家康は武田家滅亡後の武田家臣団の多くを家来にしており、信玄を尊敬していたのであろう・・・家康が唯一敗れた相手であるから。

丸子笹之助の目を通して信玄の人物像を浮き彫りにしているこの小説、あらゆる面で偉大なる戦国武将であった信玄・・・惜しいかな。三度も読み始めた「夜の戦士(上)」も上杉謙信との最後の決戦がはじまる。
そして、下巻、天下を目指した信玄が亡くなるまでの物語のなか、丸子笹之助の活躍が・・・既に三度目なのに楽しみである。



