梅が咲く頃の浅間山は雪が次第に解けてゆき、山肌の南から西側にかけて枝垂れ桜のような筋状の雪形が現れてくる。これが霞んだ色の空と相まって、のんびりとした印象で”あー春だなあ”と感じる。 地元に居ながらこれを皆なんと呼んでいるのか知らないのだけれど、自分では勝手に”波平ひげ”と命名している サザエさんの波平父さんのひげをイメージしてのことである。 そう見えないでしょうかねぇ |
春の夕日
標高700mの台地の小さなため池に映る春の夕日 17:20分師走ならもうとうに真っ暗な時刻だ 遠く霞んで見えるギザギザの山並みは奥穂や北穂、常念、槍と続く北アルプス ”ほわーん”という感じの太陽のせいで西の空がオレンジ色に染まり、きらめく池の残照が目の前に広がっていたけど 小さなPCモニターから伝わるだろうか |
梅佐久
佐久にもようやく色がつく季節になった 庭の梅の蕾が先週末に開き始めて今半分開いたところ 昨年よりも2週間早いペース 前記事の”千曲川のスケッチ”には4月の15日頃から小諸の花盛りの世界を楽しむことができるとある 100年前より半月以上はやい梅となるようだ FA35F2AL リバース |
島崎藤村、教科書にも出てくる明治の文豪。小諸に住んで教師をしながら後世に残る作品を書いた。 この本を読み始めたのは19歳の頃だと記憶している。東京へでて周りの人はすべて知らない人ばかり、いろんな地方から出てきた”寄せ集めの東京人”に混じって、出身地のことを語ることができなかった。あまりにも無知だったのだ。 きっかけは、せめて少しでも地元の薀蓄を語れるようにという若い頃に考えそうな、かっこつけの動機で読み始めて有名どころの作品はほとんど読んではみたが、今では頭の片隅に”読んだ”という記憶だけが残っているだけだ。 信州5号さまの記事に触発され、だいぶ容姿も考え方も変わってきた今になって再び読み返してみた。ネットの青空文庫からダウンロード、携帯電話に入れてブックリーダーの機能を使って読むという、19の時には考えもしなかった読み方をしてだ。 写真は作品の冒頭に登場する”鴇久保(ときくぼ)”という小諸の千曲川の左岸、御牧原の台地から下がった猫の額ほどの谷にひっそりとある地区だ。谷の開けた先に千曲川が流れている。対岸の浅間山の裾野に広がるのが小諸の街である。藤村が見た100年以上前からここから望む景色の輪郭は変わらないことであろう。 19歳の時に都会の電車の中で読んだ千曲川のスケッチに描かれている風景を想像していたときよりも、もっと年を重ねてきて、米作りをして大地の恵みをありがたく感じられる今のほうが、より深く明治の佐久の風景を思い描くことができた。現在も残る地名と現在の景色とを文章の文字を拾いながら重ね合わせることができるからだと思う。 若いときに読んだ本を再び読み返すことも大事なことなんですね。 |