紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

救世主を探して

2008-07-18 14:56:34 | 読書
 『菜の子先生がやってきた!』を読了。
まったくもって、ブラボーである。これはぜひとも残り2冊も読まなければ。

 福音館の『あのねメール通信』vol.19 (2003.6)に富安さんのエッセイがあります。下に引用させていただきましたので、ぜひお読み下さい。私にとってはまさしくツボ。富安さんは(というか子どもの本に関わる多くの大人は)、星の王子さまの中の言葉でいえば「自分が子どもだったことを決して忘れない」人なのである。

 恥を承知でカミングアウトすると、実はこの本を電車で読んでいて、すっかりウルウルだったのだ。悲しい話でも感動する話でもないのにである。一体なんでそうなるのか、当の私にもさっぱりわからなかった。

 でもずうっと考え続けて、やっとわかったのだ。富安陽子さんが子どもたちへの愛と応援をさりげなくプレゼントする本だからなのだった。そしてなおかつ、この本を読んだ子どもたちの中にも、きっといるはずの『菜の子先生』を目覚めさせるお話の数々なのである。

 「本を読む」という行為は「救いを求めてそれにたどり着く」という一面を持っている。でもひとりひとりもっている悩みや問題は違う。もしもそれぞれに応えたいと思っても、とてもひとりでは追っ付きはしない。

 でも、もしも、それぞれの子どもたちの中にいる『救世主』を目覚めさせたら? こんな手っ取り早い方法があったなんて! 

 富安さんはたぶん「子どもたちを救おう!」なんて大仰に考えて、物語を書いている人では無い。彼女は「自分の中のちいさな女の子」に語り続けているだけなのだ。自分の中の『田中菜の子先生』を呼び寄せて。

 「心配しなくても大丈夫です」と。

 でも、けっして甘やかす訳ではない。指摘すべき事は指摘し、自分でしっかり考えること、よくよく観察すること、約束を守ることなど、人生にとって大切なことをくっきりしたインパクトをもって鮮やかに子どもたちに教え込むのだ。

《4》『菜の子先生がやってきた!』の著者・富安陽子さんのエッセイ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 小学校時代の私は苦労多い日々を送っていました。…というのも、学校での毎日
は私にとって、ピンチの連続だったからです。小学校に入学して、まず最初に私が
追い詰められたのは、給食の時間でした。アルマイトのお皿の上に、トーストして
いない2枚の食パンがのっかっているのを見た時、私は心底驚いて言葉を失いまし
た。トーストせずに食パンを食べる! しかも、2枚も?! おまけに給食では、
その食パンといっしょに、ケンチン汁だとかヒジキの煮つけなんかを食べなければ
ならならないのです。ひどい時には、キツネうどんまで登場しました。私はそれま
で、キツネうどんと食パンを一緒に食べたことがなかったので、これはいったい、
どうなっているんだろうと途方に暮れてしまいました。それでも、クラスの中には
必ず給食の達人のような男の子がいて、私が食パンの耳をかじっている間に、その
子は、2枚の食パンとおカズを平らげ、お代わりまでしてのけるのです。達人でな
い私は、給食の時間の度に大ピンチに陥り、聡怩フ時間が始まっても、まだお皿の
上のパンとにらめっこしている始末でした。
 小学校に入学した時、担任の先生がおっしゃっていた言葉を思い出します。
「学校で、何か困ったことがあったら、何でも先生に相談してくださいね」
 ところが、私にとって、学校の生活というのは困ったことだらけでしたし、先生
はいつも私を助けてくれるとは限りませんでした。むしろ、その頃の私は、先生が
私をピンチに追いこんでいるような気がしていたのです。もちろん、大人になった
今では、あれが先生のせいではなかったことがよくわかります。先生は何も私を困
らせようとして「給食を残してはいけません」と言ったわけではありません。私を
困らせたくて、難しいツルカメ算の問題を解かせたり、「県庁所在地を覚えなさ
い」と言ったわけではないでしょう。
 でも、あの頃の私は、心のどこかで、救世主の登場を待っていました。
「富安さん。給食はこっそり残しても構いませんよ。だいたい、キツネうどんと食
パンを一緒に食べろなんて言う方がまちがっています」…そんなことを言ってくれ
る先生が、いつかは現われはしまいか。「富安さん。ツルカメ算なんて放っておき
なさい。何匹いるのかわからないツルとカメの足の数だけがわかっているなんて、
そんなバカげた話は聞いたこともありませんよ」…誰かが、そう言ってはくれまい
か。…そして、いつしか私の心の中には、菜の子先生という不思議な先生が住みつ
いていたのです。私が、学校の中で、ちょっぴり不安になったり、何かにつまずい
たり、心細くなった時、うす暗い廊下の向うから菜の子先生がやってきます。菜の
子先生は、学校の中の見えない迷い道に入りこんだ子どもの前にだけ現われます。
 今もどこかで、救世主の登場を待ちわびている子どもたちが、このお話を読んで
くれたらいいな…と思っています。

                                富安陽子


最新の画像もっと見る

コメントを投稿