今日はエイプリルフールだったが、そんなことも今の今まで忘れ去っていたほど、平和に一日が過ぎた。
平和? 正直にいえば、平和、ではなかったな。昨日に引き続き、やたら忙しかったので、エイプリルフールどころではなかったというのが現実。しかも悪夢で起床し、日中には内心おもしろくないこともあり、心穏やかという訳にはいかなかった。
こういう日は厄払いをする意味でも、素知らぬ顔で関係のない話を書くのが一番だ。
前にも書いたような気がするが、夫・H氏は漂流物が大好きである。嵐の翌日が休日なら、車で15分の琵琶湖のビーチに行き、様々な獲物をゲットしてくる。
流れ着く物は季節によって違うが、テニスボールやサッカーボールなどのボール類、大量のホテイアオイやその他の水草、流木、魚貝類の死骸、なぜかイチジク形の容器など。一度卒塔婆が漂着していて、この手のものが大の苦手な夫は動揺して青ざめていた。
私の母方の親戚が琵琶湖畔にあり、子どもの頃は長期休暇の度に泊まりで遊びにいった。いとこたちと浜辺に繰り出しては、波打ち際で遊んだ。まだシジミが取れる程、水のきれいな頃、私たちは歩ける浜の端から端まで目を凝らして探していた「モノ」があった。親指の爪くらいの大きさの円錐形の小石である。私たちはそれを「天狗の鼻」と命名し、浜辺に行くたび、根気よく探した。そして不思議なことに、同じような形の石が探せばたいてい1個は見つかった。『天狗の鼻』が何なのか、近年までは謎に包まれていた。
Kちゃんが学校の自由研究で1年を通して「石」をテーマに調べ学習していたとき、京都にある石の博物館「益富地学会館」http://www.masutomi.or.jp/に行ったことがある。そこにはいろんな珍しい石が展示してあり、職員である石マニアの方に質問や鑑定をしてもらうこともできた。その場所を事前にPC調査をしていた私は、永年の疑問を晴らすべく『天狗の鼻』を持参していた。
「なんなんでしょうね」と『天狗の鼻』をしげしげ見た『石おじさん』は、「少々お待ち下さい」と階下に降りて行った。ほんの2、3分でおじさんはもどってきた。
「これは多分、昔、土器を焼いた時に、下にくっつかないように土器と地面の間に置いたのだと思います。石ではなくて、焼き物ですね。考古学の方に持って行ったら、あるいは貴重なものかもしれません」・・・なるほど。
子どもの頃、琵琶湖の波打ち際で目を見開いて拾った「天狗の鼻」。今も琵琶湖畔に行けば、条件反射のように目を皿の様にして探してしまう。結婚後拾った「天狗の鼻」は夫のコレクションの蕎麦猪口とともに「たぬき亭」のなかの「へんなもの」のひとつとして陳列されている。
☆☆☆浜辺に打ち上げられた漂流物を集めたり、調べたり、楽しんだりするビーチコーミングについて書かれたビジュアル満載の楽しい本。
→ 池田 等著『ビーチコーミング学』 \1,890 (本体:1,800) 出版 : 東京書籍 発行年月 : 2005.8
本の上には結婚後拾った「天狗の鼻」。Kちゃんがいつの間にか同じ形の木の皮を、こっそり並べていました(中程の茶色ややおおぶりの円錐)。
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平和? 正直にいえば、平和、ではなかったな。昨日に引き続き、やたら忙しかったので、エイプリルフールどころではなかったというのが現実。しかも悪夢で起床し、日中には内心おもしろくないこともあり、心穏やかという訳にはいかなかった。
こういう日は厄払いをする意味でも、素知らぬ顔で関係のない話を書くのが一番だ。
前にも書いたような気がするが、夫・H氏は漂流物が大好きである。嵐の翌日が休日なら、車で15分の琵琶湖のビーチに行き、様々な獲物をゲットしてくる。
流れ着く物は季節によって違うが、テニスボールやサッカーボールなどのボール類、大量のホテイアオイやその他の水草、流木、魚貝類の死骸、なぜかイチジク形の容器など。一度卒塔婆が漂着していて、この手のものが大の苦手な夫は動揺して青ざめていた。
私の母方の親戚が琵琶湖畔にあり、子どもの頃は長期休暇の度に泊まりで遊びにいった。いとこたちと浜辺に繰り出しては、波打ち際で遊んだ。まだシジミが取れる程、水のきれいな頃、私たちは歩ける浜の端から端まで目を凝らして探していた「モノ」があった。親指の爪くらいの大きさの円錐形の小石である。私たちはそれを「天狗の鼻」と命名し、浜辺に行くたび、根気よく探した。そして不思議なことに、同じような形の石が探せばたいてい1個は見つかった。『天狗の鼻』が何なのか、近年までは謎に包まれていた。
Kちゃんが学校の自由研究で1年を通して「石」をテーマに調べ学習していたとき、京都にある石の博物館「益富地学会館」http://www.masutomi.or.jp/に行ったことがある。そこにはいろんな珍しい石が展示してあり、職員である石マニアの方に質問や鑑定をしてもらうこともできた。その場所を事前にPC調査をしていた私は、永年の疑問を晴らすべく『天狗の鼻』を持参していた。
「なんなんでしょうね」と『天狗の鼻』をしげしげ見た『石おじさん』は、「少々お待ち下さい」と階下に降りて行った。ほんの2、3分でおじさんはもどってきた。
「これは多分、昔、土器を焼いた時に、下にくっつかないように土器と地面の間に置いたのだと思います。石ではなくて、焼き物ですね。考古学の方に持って行ったら、あるいは貴重なものかもしれません」・・・なるほど。
子どもの頃、琵琶湖の波打ち際で目を見開いて拾った「天狗の鼻」。今も琵琶湖畔に行けば、条件反射のように目を皿の様にして探してしまう。結婚後拾った「天狗の鼻」は夫のコレクションの蕎麦猪口とともに「たぬき亭」のなかの「へんなもの」のひとつとして陳列されている。
☆☆☆浜辺に打ち上げられた漂流物を集めたり、調べたり、楽しんだりするビーチコーミングについて書かれたビジュアル満載の楽しい本。
→ 池田 等著『ビーチコーミング学』 \1,890 (本体:1,800) 出版 : 東京書籍 発行年月 : 2005.8
本の上には結婚後拾った「天狗の鼻」。Kちゃんがいつの間にか同じ形の木の皮を、こっそり並べていました(中程の茶色ややおおぶりの円錐)。
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