ジブリ作品は言うまでも無くおもしろい。
冒険活劇としての娯楽作品としてもおもしろいし、ストーリーに唸ってしまうほどおもしろい。
しかし!
ジブリ作品は科学や文明に対するアンチテーゼとしてのメッセージ性が強すぎる気がする点において、かなりキナ臭い。
もうちょっと具体的に言おう。
科学や文明が発達したことによって、逆に人類が不幸になってしまった的なストーリーが多い。
そこでは科学や文明が悪だと描かれている。
例えばナウシカでは、過去に発達した文明を持っていた人類がムチャしたツケが腐界という形で顕在化したと描かれている。
これはジブリ映画最強のバケモノであるモノノケ姫のデイダラボッチでも似たようなもんだ。
(例をあげればキリがないので、blog読者のみなさんも他の例を考えてみてほしい。)
これらをすごく極論してしまえば・・・
科学の発展を嫌い、科学の発展のために従事している人をワルモノ扱いしているようなものだと思わないか?
こういった文明否定論は別にジブリ作品に限るわけではなく、たとえばドラえもんの雲の王国などでもそういったメッセージ性が込められているわけで、普遍的にそこら中で扱われているテーマでもある。
わたしは科学の発展に寄与する職業についているので、こういった意見が気にかかってしょうがないのだ。
まあ、別に娯楽作品のなかだけなら問題は起こりにくい。
しかし、それが政治的発言力を伴った場合、かなりめんどくさい事になることを覚悟する必要がある。
たとえば日本の電力需給のことにしてもそうだ。
電気というのは水力/火力/原子力/太陽光/風力/地熱など、いろんな方法で作ることができる。
しかし、そのどれもがカンペキからはほど遠い。
たとえば、太陽光発電だけでは昼間しか発電できないことや、風力発電は電力変動が激しすぎることや、地熱発電が可能な地域はほとんど無いことなど。
しかし、こういった事例で文明否定論者が政治的な発言を伴う場合、そういった技術的にできるかできないかの議論はすっとばして原子力発電所や火力発電所やダムは全廃して全て自然エネルギーでまかないきれると発言する。
しまいには、それができないのは原発関連企業がロビー活動で妨害しているからだと陰謀論まで持ち出すから始末が悪い。
(ついでに言うと、自然エネルギーでかつ安定に大量供給できるのはダム式水力しかないと思うんだが、文明否定論者はダムも大嫌いなんだよなぁ・・・)
べつに電力事情にかぎらず文明を完全否定した場合、人類の平均寿命は40台になるだろうし、人類全員が定期的に飢餓に苦しむのは目に見えているわけだが、ヤツらはそういったことには触れようともしないからフシギなものだ。
わたしはジブリ作品を見た文明否定論者が
「だから科学や文明は悪なんだよ」
と鼻息を荒くして得意げに語るのに腹がたつのだ。
(ちなみにわたしの出身中学の教員はこの傾向が極端に強くて、当時ムカついていた)
実はこれらに比べて数はぐっと減るのだが、科学や文明が正義だと語る作品もわずかながらに存在する。
宇宙のステルヴィアがそうだ。
そこでは自然現象によって壊滅的打撃をうけた人類が科学の力によって再生したことが語られている。
そして次なる災厄には、人類の英知と技術の蓄積と人員の訓練によって立ち向かう。
娯楽作品としてもおもしろかったし、SFとしてもいい感じだったし、ジブリ作品の科学や文明に対するアンチテーゼに対するカウンターアンチテーゼとしても嬉しかった。
もっとメッセージ性が強いものもある。
ウルトラマンのゼットンだ。
ウルトラマンに出てくる怪獣どもは人類サイドの科学特捜隊では歯がたたない。
ウルトラマンはその怪獣を3分でやっつけてしまう。
そしてゼットンはウルトラマンを倒した最強のバケモノだ。
しかしゼットンは科学特捜隊の最終兵器によって倒された。
なんとヒニクなものか。
最強のバケモノは人類の科学の力によって倒されてしまったのだ。
これをモノノケ姫のデイダラボッチと比べてみよう。
デイダラボッチは
「人類の文明がムチャしたおかげで怒らせてしまい申し訳ありませんでした」
的なノリだった。
対するゼットンは
「人類の文明のおかげで絶望的苦難をのりこえたぞバンザイ」
的なノリだ。
どちらもバケモノに相対するというもので見たら同じようなものだが、そのメッセージ性は全く異なるものだ。
わたしはどちらのメッセージ性のほうが高尚だとかぬかすつもりはない。
しかし、アニメが文明否定論者の巣窟になることだけは避けるべきだとは感じている。
冒険活劇としての娯楽作品としてもおもしろいし、ストーリーに唸ってしまうほどおもしろい。
しかし!
ジブリ作品は科学や文明に対するアンチテーゼとしてのメッセージ性が強すぎる気がする点において、かなりキナ臭い。
もうちょっと具体的に言おう。
科学や文明が発達したことによって、逆に人類が不幸になってしまった的なストーリーが多い。
そこでは科学や文明が悪だと描かれている。
例えばナウシカでは、過去に発達した文明を持っていた人類がムチャしたツケが腐界という形で顕在化したと描かれている。
これはジブリ映画最強のバケモノであるモノノケ姫のデイダラボッチでも似たようなもんだ。
(例をあげればキリがないので、blog読者のみなさんも他の例を考えてみてほしい。)
これらをすごく極論してしまえば・・・
科学の発展を嫌い、科学の発展のために従事している人をワルモノ扱いしているようなものだと思わないか?
こういった文明否定論は別にジブリ作品に限るわけではなく、たとえばドラえもんの雲の王国などでもそういったメッセージ性が込められているわけで、普遍的にそこら中で扱われているテーマでもある。
わたしは科学の発展に寄与する職業についているので、こういった意見が気にかかってしょうがないのだ。
まあ、別に娯楽作品のなかだけなら問題は起こりにくい。
しかし、それが政治的発言力を伴った場合、かなりめんどくさい事になることを覚悟する必要がある。
たとえば日本の電力需給のことにしてもそうだ。
電気というのは水力/火力/原子力/太陽光/風力/地熱など、いろんな方法で作ることができる。
しかし、そのどれもがカンペキからはほど遠い。
たとえば、太陽光発電だけでは昼間しか発電できないことや、風力発電は電力変動が激しすぎることや、地熱発電が可能な地域はほとんど無いことなど。
しかし、こういった事例で文明否定論者が政治的な発言を伴う場合、そういった技術的にできるかできないかの議論はすっとばして原子力発電所や火力発電所やダムは全廃して全て自然エネルギーでまかないきれると発言する。
しまいには、それができないのは原発関連企業がロビー活動で妨害しているからだと陰謀論まで持ち出すから始末が悪い。
(ついでに言うと、自然エネルギーでかつ安定に大量供給できるのはダム式水力しかないと思うんだが、文明否定論者はダムも大嫌いなんだよなぁ・・・)
べつに電力事情にかぎらず文明を完全否定した場合、人類の平均寿命は40台になるだろうし、人類全員が定期的に飢餓に苦しむのは目に見えているわけだが、ヤツらはそういったことには触れようともしないからフシギなものだ。
わたしはジブリ作品を見た文明否定論者が
「だから科学や文明は悪なんだよ」
と鼻息を荒くして得意げに語るのに腹がたつのだ。
(ちなみにわたしの出身中学の教員はこの傾向が極端に強くて、当時ムカついていた)
実はこれらに比べて数はぐっと減るのだが、科学や文明が正義だと語る作品もわずかながらに存在する。
宇宙のステルヴィアがそうだ。
そこでは自然現象によって壊滅的打撃をうけた人類が科学の力によって再生したことが語られている。
そして次なる災厄には、人類の英知と技術の蓄積と人員の訓練によって立ち向かう。
娯楽作品としてもおもしろかったし、SFとしてもいい感じだったし、ジブリ作品の科学や文明に対するアンチテーゼに対するカウンターアンチテーゼとしても嬉しかった。
もっとメッセージ性が強いものもある。
ウルトラマンのゼットンだ。
ウルトラマンに出てくる怪獣どもは人類サイドの科学特捜隊では歯がたたない。
ウルトラマンはその怪獣を3分でやっつけてしまう。
そしてゼットンはウルトラマンを倒した最強のバケモノだ。
しかしゼットンは科学特捜隊の最終兵器によって倒された。
なんとヒニクなものか。
最強のバケモノは人類の科学の力によって倒されてしまったのだ。
これをモノノケ姫のデイダラボッチと比べてみよう。
デイダラボッチは
「人類の文明がムチャしたおかげで怒らせてしまい申し訳ありませんでした」
的なノリだった。
対するゼットンは
「人類の文明のおかげで絶望的苦難をのりこえたぞバンザイ」
的なノリだ。
どちらもバケモノに相対するというもので見たら同じようなものだが、そのメッセージ性は全く異なるものだ。
わたしはどちらのメッセージ性のほうが高尚だとかぬかすつもりはない。
しかし、アニメが文明否定論者の巣窟になることだけは避けるべきだとは感じている。