今回は見えない敵と戦う人たちのお話。
べつに見えない敵っていったって、透明マントを着たのび太と戦うわけでもないし、見えない自由がほしくて見えない銃を撃って戦うわけでもない。
ときにSF、すでに何十年も前にすでに異星人のようなのが地球に侵略しにやってくるというストーリーが定番になっていた。
SFの始祖ともいうべき100年以上前のH・G・ウェルズの ”宇宙戦争” にすでにその手法が使われていたし、アニメでもガミラス星人デスラー総統閣下は有名だ。
つまり何がいいたいかというと、とにかく主人公側にとって絶対的な敵を用意し、それを打ち倒すというラストを迎える作風が定番だということに対し、それはいかがなものかと提言したいわけだ。
ヒーローモノの場合にはそもそもヒーロー対ヒールという構図を楽しむものだから、そういう場合にまでは文句をたれるつもりはない。
しかし、本来的にヒーロー対ヒールという構図を楽しむものでもないSFモノやアクションモノでもその傾向が非常にに強い。
SFモノやアクションモノでは悪のラスボスというものは展開上必ずしも必要がないにもかかわらず、暴走する悪のラスボスを打ち倒して大団円にするパターンがあまりにも多すぎる。
わたしはそういうところに少々食傷気味なのだ。
いちばん酷い例をあげよう。
何とは言わないが、とある邦画でDNA関連のSFチックな実写のドラマ映画があった。
実写の邦画では濃いSFは大変少ない。
わたしもパッと何かあげろと言われてもガンヘッドくらいしか思いつかないほど低調だ。
わたしは少しだけ期待して見た。
その映画の最初のころは、いい感じにSF的にリクツをこねていて雰囲気を楽しめた。
しかし後半になると、とある遺伝子を発現させた敵キャラがモンスター化し、そしてタダのガンアクションになり下がった。
「前半のSF的なつくりを返してくれ!」と叫びたいくらい不満たらたらで終了した。
そもそもハードSFファンはこんな程度で満足するだろうと製作者側に思われていること自体悔しいものがある。
単なる消化不良以上に消化不良になった・・・。
良い例もあげよう。
無神論者アイザック・アシモフが書いたファウンデーションシリーズなど、特に初期の作品が良い感じだ。(※1)
例えば星間で戦争が起きるシナリオだったとする。
かなり精密に戦争が起きる直前までの設定描写がなされる。
だが実際の戦争下のドンパチ描写は全く無い。
次のページでは戦争は終わってしまっている。
そして、なぜ一方(キホン的に負けそうな側)が勝てたかというカラクリが説明される。
それは実のところ、戦争が起きる直前までの描写で既に語られていたことだけで説明がついている。
それを読んだものはアシモフが創りあげた絶妙な設定に感激し、読み終わったあとに大満足する。
例えば三国志とかだったら、敵側の武将がどんなヤツかが極めて重要になるわけだが、ファウンデーションシリーズでは敵側の総司令官なんか出てきもしないから、どんなヤツなのか全く見えない。
そもそも戦闘シーンが無いのだから。
それにもかかわらずファウンデーションシリーズの戦争シーンはおもしろいのだから、作者はなんと素晴らしい腕前かと感服せざるを得ない。
なんとすばらしいハードSFか!
ハードSFは戦闘シーンやアクションシーンが全くなくても、その設定だけで魅せるものでなければならないはずではないか!!
ハヤカワのSF文庫を除くと、そんな小説はいったいどれだけあることか!!!
国産でも良いものをあげたい。
宇宙のステルヴィアというアニメがいい感じだ。
こいつは危機に瀕した人類を救うという、そこだけ見たらどこにでもあるハードSFだ。
しかし宇宙人が襲ってくるわけでもない。
かといって宇宙怪獣が襲ってくるわけでもない。
もちろんスペースコロニー国家がが地球連邦に攻めに来るわけでもない。
なんと宇宙のステルヴィアでは人類の敵は自然現象なのである。
もちろんハリウッドでいくらでもあるような、洪水が来ただの火山が噴火しただのという例の映画のような自然現象パニック映画ではない。
ステルヴィアはそんな凡百の映画とは比べられない。
このアニメではパニック映画的な意味合いでのパニックは起きない。
もちろんガミラス星人のような敵キャラが襲ってくるわけでもない。
人類の英知と技術の蓄積と人員の訓練によって毅然と立ち向かうのだ。
こういった明確な敵が見えないストーリーを巧く描くのは大変難しいだろうと察する。
しかし、それをうまいことおもしろい娯楽作品に創りあげたという点で、わたし的に大変評価が高い。
とりあえずラスト付近になると凶暴化(または巨大化)したラスボスと戦う仕掛けにでっちあげる凡百の監督に対し、ステルヴィアのツメのアカでも煎じて飲ましてやりたいくらいだ!
ついでに。
宇宙のステルヴィアはオープニング曲もイイ感じだ。
わたしは著作権ヤクザ(JASR○C)が怖いので歌詞はここでは書かないけれど、漢の悲壮な魂を熱くさせそしてそれが本体の作風にも実にマッチしていて素晴らしい。
これ以上にオープニングが心に刻まれたアニメはほとんど無い感じる。
【※1 ファウンデーションシリーズ】
正確には「銀河帝国興亡史」シリーズという。
アイザック・アシモフ
ハヤカワSF文庫
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8B%E2%89%CD%92%E9%8D%91%8B%BB%96S%8Ej&x=0&y=0
べつに見えない敵っていったって、透明マントを着たのび太と戦うわけでもないし、見えない自由がほしくて見えない銃を撃って戦うわけでもない。
ときにSF、すでに何十年も前にすでに異星人のようなのが地球に侵略しにやってくるというストーリーが定番になっていた。
SFの始祖ともいうべき100年以上前のH・G・ウェルズの ”宇宙戦争” にすでにその手法が使われていたし、アニメでもガミラス星人デスラー総統閣下は有名だ。
つまり何がいいたいかというと、とにかく主人公側にとって絶対的な敵を用意し、それを打ち倒すというラストを迎える作風が定番だということに対し、それはいかがなものかと提言したいわけだ。
ヒーローモノの場合にはそもそもヒーロー対ヒールという構図を楽しむものだから、そういう場合にまでは文句をたれるつもりはない。
しかし、本来的にヒーロー対ヒールという構図を楽しむものでもないSFモノやアクションモノでもその傾向が非常にに強い。
SFモノやアクションモノでは悪のラスボスというものは展開上必ずしも必要がないにもかかわらず、暴走する悪のラスボスを打ち倒して大団円にするパターンがあまりにも多すぎる。
わたしはそういうところに少々食傷気味なのだ。
いちばん酷い例をあげよう。
何とは言わないが、とある邦画でDNA関連のSFチックな実写のドラマ映画があった。
実写の邦画では濃いSFは大変少ない。
わたしもパッと何かあげろと言われてもガンヘッドくらいしか思いつかないほど低調だ。
わたしは少しだけ期待して見た。
その映画の最初のころは、いい感じにSF的にリクツをこねていて雰囲気を楽しめた。
しかし後半になると、とある遺伝子を発現させた敵キャラがモンスター化し、そしてタダのガンアクションになり下がった。
「前半のSF的なつくりを返してくれ!」と叫びたいくらい不満たらたらで終了した。
そもそもハードSFファンはこんな程度で満足するだろうと製作者側に思われていること自体悔しいものがある。
単なる消化不良以上に消化不良になった・・・。
良い例もあげよう。
無神論者アイザック・アシモフが書いたファウンデーションシリーズなど、特に初期の作品が良い感じだ。(※1)
例えば星間で戦争が起きるシナリオだったとする。
かなり精密に戦争が起きる直前までの設定描写がなされる。
だが実際の戦争下のドンパチ描写は全く無い。
次のページでは戦争は終わってしまっている。
そして、なぜ一方(キホン的に負けそうな側)が勝てたかというカラクリが説明される。
それは実のところ、戦争が起きる直前までの描写で既に語られていたことだけで説明がついている。
それを読んだものはアシモフが創りあげた絶妙な設定に感激し、読み終わったあとに大満足する。
例えば三国志とかだったら、敵側の武将がどんなヤツかが極めて重要になるわけだが、ファウンデーションシリーズでは敵側の総司令官なんか出てきもしないから、どんなヤツなのか全く見えない。
そもそも戦闘シーンが無いのだから。
それにもかかわらずファウンデーションシリーズの戦争シーンはおもしろいのだから、作者はなんと素晴らしい腕前かと感服せざるを得ない。
なんとすばらしいハードSFか!
ハードSFは戦闘シーンやアクションシーンが全くなくても、その設定だけで魅せるものでなければならないはずではないか!!
ハヤカワのSF文庫を除くと、そんな小説はいったいどれだけあることか!!!
国産でも良いものをあげたい。
宇宙のステルヴィアというアニメがいい感じだ。
こいつは危機に瀕した人類を救うという、そこだけ見たらどこにでもあるハードSFだ。
しかし宇宙人が襲ってくるわけでもない。
かといって宇宙怪獣が襲ってくるわけでもない。
もちろんスペースコロニー国家がが地球連邦に攻めに来るわけでもない。
なんと宇宙のステルヴィアでは人類の敵は自然現象なのである。
もちろんハリウッドでいくらでもあるような、洪水が来ただの火山が噴火しただのという例の映画のような自然現象パニック映画ではない。
ステルヴィアはそんな凡百の映画とは比べられない。
このアニメではパニック映画的な意味合いでのパニックは起きない。
もちろんガミラス星人のような敵キャラが襲ってくるわけでもない。
人類の英知と技術の蓄積と人員の訓練によって毅然と立ち向かうのだ。
こういった明確な敵が見えないストーリーを巧く描くのは大変難しいだろうと察する。
しかし、それをうまいことおもしろい娯楽作品に創りあげたという点で、わたし的に大変評価が高い。
とりあえずラスト付近になると凶暴化(または巨大化)したラスボスと戦う仕掛けにでっちあげる凡百の監督に対し、ステルヴィアのツメのアカでも煎じて飲ましてやりたいくらいだ!
ついでに。
宇宙のステルヴィアはオープニング曲もイイ感じだ。
わたしは著作権ヤクザ(JASR○C)が怖いので歌詞はここでは書かないけれど、漢の悲壮な魂を熱くさせそしてそれが本体の作風にも実にマッチしていて素晴らしい。
これ以上にオープニングが心に刻まれたアニメはほとんど無い感じる。
【※1 ファウンデーションシリーズ】
正確には「銀河帝国興亡史」シリーズという。
アイザック・アシモフ
ハヤカワSF文庫
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8B%E2%89%CD%92%E9%8D%91%8B%BB%96S%8Ej&x=0&y=0