教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ずっとずっと前から負けは決まっている

2013-07-30 22:02:42 | オタネタ全般
ひさしぶりに「あの夏で待ってる」を見た。

予め結末がわかっているだけに、見るに堪えない辛いシーンが数多くあった。

それは・・・
柑菜(青)は幸せになれないということだ。

そして。
もう1つこれと同じものを見てしまった。
ひさしぶりに「魔法少女まどかマギカ」を見たからだ。

予め結末がわかっていると、実はこちらも同じものが見えるものだ。

それは・・・
さやか(青)は幸せになれないということだ。

なぜか?

この問いを考えると、とても残酷な現実が垣間見える。

柑菜もさやかも恋敵が登場する遥か以前から最も親しい他人という絶好の位置にありながら、にもかかわらずモノにできなかった。
それも僅かなミスで敗北を喫したというレベルでなく、全く歯が立たないレベルでの惨敗を喫した。

どうしてこうなった?
何か打つ手はあったんじゃないのか?

いや、たぶん何もできなかったろう。
敗因は、ひとことでいうなら、異性に見られていなかったというところにある。

恋の戦場では、1つに相手に合わせるという作戦は常套手段として取りうる。
だがどんなに相手に合わせようと、相手に異性に見られていなければ勝負の土台にすら乗らない。
それでは当たりの入っていないくじびきを何度も何度も試しているみたいなものだ。

つまり。
自分が相手の異性の好みとほんの少しもかぶっていない場合、どんなに自分が努力しようと本質的にその恋は実らない、という残酷な現実。
それが柑菜とさやかだったのだ。

柑菜の場合は年上のお姉さんタイプでないと異性に見えない相手だったように思えるし、さやかの場合はテンプレに女の子女の子した娘でないと異性に見えない相手だったように思える。
柑菜とさやかにそのクラスチェンジが可能だったかというと・・・
いったん戸塚ヨットスクールに行って帰るくらいの強烈な体験をしたとしてもその性格を変えることはできなかったろう。
だから恋は実らない。
なんという残酷な現実か。

これではどんなに時間を巻き戻しても、どんなに同じ時間をやり直しても、極論すれば恋敵がターゲットと接触する前に殺害したとしても、それでもほんの少しも勝ち目はない。
ほむらが単騎でワルプルギスの夜を倒すほうがまだ勝ち目がある。
柑菜とさやかにはリングの上で戦う方法すら用意されていなかった。



人生は残酷である。
人生には、自我が完成したときには既に必敗が確定しているが自分だけ気がついていない無為な戦いも時ある。