教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

魔女の宅急便の新解釈

2009-04-15 00:04:07 | オタネタ全般
魔女の宅急便のラスト付近では、黒猫ジジがしゃべらなくなっている。

一般的な解釈としては・・・
『キキが成長したからジジに頼らなくなった』
となっている。

たとえば神話の世界でも、処女を失ったら(または初潮が来たら)シャーマンとしての能力を失うとする話は多い。
これと同じく、大人になると魔女能力が衰えると解釈するのは妥当だ。

しかし!

ある人からこの問いについて、まったく新しい解釈をもらったので記しておきたい。

その解釈はこうだ。
『ジジは初めから話せなかった。ジジとの会話はキキの脳内でつくられた幻想である』

なるほど。
そう思って魔女の宅急便をもういちど見直すと、たしかに頷ける場面は多い。
これは思いつかなかった。
みなさんもそう思って見直してはいかが?



またその人から教えてもらったのだが、”宅急便”という単語はヤマト運輸の商標登録になっていて事後承諾でスポンサー契約したらしい。
そこまではwikipediaにものっている。

で、その話にはさらに続きがある。
スポンサー側のヤマト運輸では、社内向けに特別に編纂されたバージョンのビデオテープを作った。
もちろん一般には流通しない入手困難の激レア品である。
なにが違うかというと、中身のいちばん最後にヤマト運輸のクレジットが出ること。それだけ。

ついでに・・・
いろんなうんちくが↓ここでまとめられていたので興味があったら。
http://www.movie-faq.com/main-403.html



追伸:

わたしはwitchを魔女と訳すのは間違いだと思うのだが・・・
この問題についてはいずれ。

腐女子の上級活用一覧

2009-04-14 00:01:23 | オタネタ全般
腐女子の類義語がたくさんあっておもしろいから、ネットを徘徊して集めてみた。
求めるものは違えども我らが同士たちよ!!!



腐女子 (婦女子)
貴腐人 既腐人 奇腐人 貴腐塵 鬼腐人 (貴婦人)
汚超腐人 雄蝶腐人 汚超腐塵 (お蝶夫人)
麻婆豆腐
腐淑女 (フレディ)
腐った死体
腐死鳥 腐師長 (不死鳥)
腐婆婆 (ギルガメッシュ神話のフンババ?)
絵馬煮餌屡腐人 (エマニエル婦人)
女嘔 (女王)
汚汚奥 (大奥)
紫式腐 (紫式部)



主な出典:

http://sinsoku.livedoor.biz/archives/51253297.html

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%85%90%E5%A5%B3%E5%AD%90

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E8%85%90%E5%A5%B3%E5%AD%90_(%E7%96%BE%E6%82%A3)

似顔絵追加

2009-04-13 00:26:49 | 描いてみた(他)




某氏のblogに似顔絵が使われていたので、わがblogも対抗して似顔絵をつかってみた。
(横のプロフィールのところに表示させてある)

これが全く似てないのか、
似てるけど美化しすぎか、
似てるのか、
それは作者が答えるのはやめておきましょうかね。

トップをねらえ! 俺的名セリフランキング

2009-04-12 00:05:09 | オタネタ全般
超ひさびさに10年っぷりくらいにトップをねらえ!を見て感動した。
いいもんだね~。
で、感動も収まらぬうちに、わたしの好きな名セリフを並べてみようと思ったわけだ。



[ランキング第4位, 第5位]

「考古物理学のニュートン、古典物理学のアインシュタイン、現代物理学のタンホイザー」
「次元波動超弦励起縮退半経跳躍重力波超光速航法、略してワープ」

オマケでついているトップをねらえ!科学講座から2本引用。
甲乙つけがたいので2本同時ってことで。

トップをねらえ!はソ連崩壊前のバリバリに冷戦やってたころの、宇宙開発が熱かったころの、科学やSFがカッコ良かったころの物語ですわ。
わたしはこういう何だかよくわからんけど何だかカッコいいSFのセリフが大好き。

というか、縮退炉はウェスチングハウス製(すなわち東芝製)だったとは(笑)。



[ランキング第3位]

「減速!」
「・・・ア、アマノ」
「はい」
「何秒遅れた?」
「12秒です」
「・・・そうか」

アニメの世界で浦島効果を本格的にあつかったのはトップをねらえ!が最初だろうね。
後にも先にも、日本のアニメが海外製ハードSFとタメはれる唯一の作品なんじゃあるまいか。

時間の概念のパラドックスが発生した作品は、近代的な意味ではSFの始祖H・G・ウェルズの ”宇宙戦争”が最初だと言われている。
しかし、近代的な意味でという限定が無ければ日本の浦島太郎が最初だと言われている。
このために、日本では浦島効果と言われている。
けどwebで検索したら、”urashima effect” でも英語サイトがけっこう引っかかるんだよね。
国際的に認知された用語なんかな。

検索するときは英語メインの検索サイト(例えばwww.yahoo.com)へ行き、urashimaとeffectが別々にヒットしないようダブルコーテーション「”」でかこってから検索しよう。



[ランキング第2位]

「12分の差で我々の勝ちだ!」

バスタードにもパクられた、トップをねらえ!で最も盛り上がる戦闘シーンのセリフ。

たいがいのアニメだと、あと1秒とかの残り時間で成功しているわけだが、トップをねらえ!はそういったところがホントにありそうなギリギリの時間で作られていて、かなりグッとくる。

たとえば、何かのアニメで爆弾のエネルギーを30分かけて溜めなければならないとして、最後の残りの1秒が間に合うか間に合わないかを争っているシーンがよく出てきて盛り上がるわけだが、その1秒は本当に重要なのか?というのは常々思うところだ。
30分のうち1秒だったら、単に威力が1800分の1ほど減るだけで正常動作するんじゃね? だったらギリギリ粘るんじゃなくて1秒早めに点火してもいいんじゃね? と思うわけだ。
それに、実際の製品レベルの話をすると、何万個つくってもその全てに動作保証しなければならんから動作マージンは必ず持っているわけなので、例えば1秒早めに点火しても1000個中999個くらいは正常に点火するはずだ。

トップをねらえ!にはそういう理不尽な1秒みたいなのはない。



[ランキング第1位]

「オカエリナサλ」

1万2000年後の地球ではオカエリナサイの最後のイが左右逆転して書かれているシーン。
きっと、1万2000年たってカタカナのフォントが変化したとか、1万2000年後にはカタカナを使っていなくて古代の文献とにらめっこしながら書いたから間違ったとか、そういうSF的な設定を盛り込んだのだろうと思われる。

だれか知らんがそれをオカエリナサλと書くとは、なかなか粋なことを思いつくヤツもいたもんだ。

そして2にもこれが出てきてまた感動した。



[番外編]

「トップには 萌えはいらない 燃えだけで」

これは作中のものではない。
トップをねらえ2!のキャラデザを見たとある男が詠んだ時世の句である。たしかに
  萌え度: 2≫1
  燃え度: 1≫2
であるのは間違いないからなあ・・・。わたしは2も好きだけど。



ついでに・・・

トップをねらえ!その他のうんちくを語るすげーサイトを見つけたので記しておく。
わたしもうんちく好きだが、このサイトの人には全然かなう気がしねえ(笑)。

もりおん王国
http://www.asahi-net.or.jp/~ug8y-mztn/

究極にアレなゲーム機を考えてみよう(笑)

2009-04-11 00:06:46 | オタネタ全般
歴史の影に隠れ、ひとしれず葬られていったゲーム機は多い。

歴史にifはない。
しかしifがあったとして、ひとしれず葬られていったゲーム機に続編が出たとすると、いったいどんなゲーム機になるのか。
われわれの住む世界には起こらなかったパラレルワールドでのゲーム機を考えてみた(笑)。

自分ならどれが欲しいかと問われても選択に困ってしまい、とてもじゃないがどれか1つには選べそうにないのではないだろうか。



● ジャガーポケット

なんとAtari社の世界に誇る高性能ゲーム機ジャガーは15年以上前に発売されたにもかかわらず、PS3でも実現できていない64bitマシンなのである。
なにがすごいかって、そりゃあCPUは32bitなのに64bitマシンなところだ。

そのジャガーがハンディーマシンに!
きっとアメリカンサイズのハンディマシンとして異形を放つリンクスをさらに上回る漢のビッグボディーとして生まれ変わるはずだ。
ファミリーコンピュータが発売される以前にすでにAtariショックと言われるほどの影響力を持っていたAtariが作ったゲーム機がいかにすばらしい出来になるか、語るまでもなかろう。

もちろんリンクス同様に8人対戦ケーブルが別売されるのは言うまでもない。
ユーザーの間では8人対戦は都市伝説として永遠に語り継がれるだろう。



● PC-FXスーパーグラフィックス

かつて幾多のゲーム機が発売されたものの、未だかつてギャルゲー専用ハードと銘打ったゲーム機はPC-FXしか存在しない。
われわれは単にPC-FXを持っているというだけで、好事家に一目置かれる存在になれた大変希少なステータスアイテムだったのである。

実際、”勝手に改造” というマンガにも5月バカ(4月バカのおかえしに本当のことを言われる設定)というネタで、「キミの家にはFXがあるだろ?」という事が書かれている(うる覚え)ことを見ても、PC-FXのステータスアイテムっぷりは尋常ではない。

しかしPC-FXは滅んだ。
なぜなら、当時はポリゴン化が趨勢であったから、2Dに特化したPC-FXは後塵を帰したのである。
しかしギャルゲーは未だポリゴン化されていない。
ギャルゲー専用ハードを詠うのであれば高速なCPUを持つ必要もないのだ!

そしてPC-FXはPC-FXスーパーグラフィックスとなり復活する。
もちろんスーパーグラフィックスとは、ハード性能至上主義者メガドライバーに対してPCエンジン陣営が唯一対抗しえた偉大なる高性能ハードPCエンジンスーパーグラフィックスの名を冠したものだ。
今回の目玉機能はなんとPC-9801完全エミュレーション機能。
これであなたのゲームライフは膨大なソフト資産を誇る98エロゲ三昧できまりだ!!



● バーチャルWii

任天堂はある意味で失敗を恐れず果敢に挑戦する企業である。
かつて任天堂はバーチャルボーイという比類なきゲーム機を発売した。
バーチャルボーイでは右目と左目に別々の画像を送ることで、本当に立体的に見えるゲームを実現したのだった。
ハリウッドの3DCGなど比較にもならない、あんなもの単に平面に3Dっぽいのを投影しているだけじゃないか。
こんなゲーム機はあと100年たっても出ないかもしれない。

ただ、惜しむらくはバーチャルボーイは発色がダメダメだった。
赤か黒かの2色しかなかった。
だがバーチャルWiiは違う。
なんと、白と黒の2色で表現できるのだ!



● プレスティディア3

かつてプレイディアというゲーム機があった。
しかし、プレステ・サターン・PC-FXという並みいる強豪がひしめく当時の次世代ゲーム機戦争のなか、プレイディアは早々に敗退せざるを得なかった。
プレイディアの特徴はとにかく安いこと、そして安いなりであることである。

しかし、プレイディアには思わぬ追い風が吹いた。
それは
「プレ、プレ、えっとプレイなんとかってゲーム機だったよな・・・」
と言いながらゲーム機を買いに来た保護者のみなさんに、プレステと誤解させて買わせることにまんまと成功したのである。
プレイディアを買い与えられた児童は、きっと人生における希望と絶望について深く学び取ることができる良い機会をあたえられたことだろう。

そのプレイディアの後継機種もその設計思想を受け継いでいなければならない。
そう、後継機種の名前はプレスティディア3以外に考えられない。
もちろん、2がないのに3が出たのはマーケティング上のトップシークレットであり、永遠に社外で語られることはない。



● FMVマーティー

かつてFMタウンズというPCがあり、その互換ゲーム機としてFMタウンズマーティーというマシンが発売された。
いや、ゲーム機と言ってはならんな、その当時は「マルチメディア」という言葉が世間的にキーワードであり、FMタウンズマーティーもその趨勢に従いゲーム機ではなくマルチメティアマシンであると主張していた。

FMタウンズマーティーの第1の特徴はFMタウンズのゲームがそのまま遊べることであり、当時まだ高額だったPCを買わなくても良いことが売りだった。

そして、FMタウンズマーティーの第2の特徴はPCと同じくらい高額なゲーム機なことである。
それは当然だ、ゲーム機ではなくマルチメティアマシンであり、ゲーム以外にも「何かしら」用途があるはずなのだから、PCと同額の金額を要求しても良いはずなのである。
もちろん、「何かしら」とは何なのか、ユーザーでもないわたしには残念ながら味わうすべもない。

FMタウンズマーティーは当時すでに高嶺の花であったレーザーアクティブをさらに上回るほどの想像を絶するほどの高嶺の花プライスであり、わたしのまわりでは持っているとか売っているとかいうウワサすら聞いた事がなかった。
恐らく持っていたとしたらPC-FX以上の最高のステータスアイテムになったに違いない。
きっとFMタウンズマーティーの後継機種たるFMVマーティーはさらなる高嶺の花として、伝説的な地位を獲得すると確信している。

ガイナックス作品の動力機関うんちく

2009-04-10 00:03:39 | 科学
作品名: トップをねらえ!
マシン: ガンバスター
動力機関: 縮退炉

縮退というのは、小難しく言うと「複数の固有ベクトルが同じ固有値を持っていること」を指す。
もうちょい具体的にいうと「同じ周波数において別のモードで発生する共振が2個以上ダブってしまい、強烈な共振が発生していること」なんかを指す。
たとえば「正方形の板はタテとヨコの長さがおなじだから叩いたときの共振は縮退で発生する」とか。

縮退だけで直接動力源にむすびつくわけではない。
けれど、何かのエネルギー源の共振を利用していて、エネルギーの変換効率を最大限上げるために、縮退を利用したのかもしれない。

・・・と思っていたら、wikipediaに縮退炉という項目があった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%AE%E9%80%80%E7%82%89

どうやら極小のブラックホールが蒸発するときに質量がエネルギーに変換される作用を利用するらしい。

世間では「大型粒子加速器ができたらブラックホールができて地球が滅びる!」なんて言ってるヤツがいて海外では自殺者がでたり裁判ざたになったりもしたらしい。
マジでブラックホールを使うようなブツができたらいったいどんな政治問題が起きるか想像もつかねえ・・・。



作品名: ふしぎの海のナディア
マシン: ノーチラス号
動力機関: 対消滅エンジン

対消滅とは、物質と反物質がくっついて消えて無くなることを指す。
たとえば陽子と反陽子は質量を持っているので、くっついて消えてなくなるとその質量の分だけエネルギーが放出される(というか質量もエネルギーの1形態なわけだが)。

核融合や核分裂をしたとき、その前後で「ほんの少しだけ」質量に増減があって、たとえばその分が原子力発電所なんかで取り出されて電気エネルギーになっている。
ところが、対消滅を使えば「ほんの少しだけ」じゃなくて「質量まるまる全部が」エネルギーに変換できてしまうかもしれない。

ノーチラス号では94%の効率となっている。
よくは知らんけど、たぶん水素(陽子+電子)と反水素(反陽子+陽電子)の対消滅だとニュートリノとかできるんじゃないかな。
ほとんど検出もできないようなニュートリノも込みで94%の効率なんて、対消滅で熱エネルギーを取り出すよりそっちのほうがはるかに難しいんじゃあるまいか。
まっ、そんなかんなで常温対消滅エンジンは原子炉よりもはるかに少ない燃料で稼動できる原子炉のようなエンジンなのだろう。

最大の難点は「どうやって反物質を蓄えておくのか」というところかな。
リアルタイムで膨大なエネルギーを使って反物質を作るなんて、それこそ意味がないわけで、どうにかして別途(例えば南極基地とかで)作った反物質を蓄えておくしくみを持っているはずである。
反水素のように電荷も持たなければ磁性も帯びずかといって触れたら対消滅するようなモノを蓄えるしくみ自体、対消滅させることよりも遥かに難しいんじゃあるまいか。

あんま量子物理学にくわしくないタダのアニオタが考えただけでも、実は思っていたよりすごく技術的なハードルが高いことがわかった。
対消滅エンジンなんて縮退炉のオマケ的あつかいを受けているが、こいつはとてもオマケ相当に甘んじるようなヘタレエンジンではない。

なお、同じガイナックスのエヴァンゲリオンにもポジトロンライフル(陽電子砲)というかたちで反物質が登場する。
ちなみにΝ-ノーチラス号の縮退炉は、おまけ劇場その10で構造が解説されている。

まっ、仮にホントに実用化したとしたら、核アレルギー左翼が対消滅エンジン反対運動とか展開しそうな気がしないでもない・・・。



作品名: 天元突破グレンラガン
マシン: グレンラガン
動力機関: 螺旋エンジン

螺旋(らせん)というのは単なる構造の1つなので直接動力源にむすびつくわけではない。
じゃあ現実に螺旋構造の動力機関はないんかい!というと、実はあるのだ。

核融合炉の方式のひとつにヘリカル型というものがある。
こいつは螺旋のように二重に巻いたヘリカルコイルを使い、炉の中のプラズマを閉じ込めるのだ。
ひょっとすると螺旋エンジンも、核融合炉のように高エネルギー状態の閉じ込めをしていて、その方式のことを螺旋型というのかもしれない。

ちなみに核融合炉の方式ではヘリカル型よりもトカマク型というもののほうがメジャーだ。
なんとこいつはソ連が開発したものだ。
トップをねらえ!ではソ連製の兵器も出てきてたが、あながちそれと無関係ではないかもしれない。

よく見たら、ここであげた動力機関は3つとも質量がエネルギーに変換される作用を利用するものだよな。
ガイナックスも相対性理論すきだね~。

見えない敵と戦う物語

2009-04-09 00:07:32 | オタネタ全般
今回は見えない敵と戦う人たちのお話。

べつに見えない敵っていったって、透明マントを着たのび太と戦うわけでもないし、見えない自由がほしくて見えない銃を撃って戦うわけでもない。

ときにSF、すでに何十年も前にすでに異星人のようなのが地球に侵略しにやってくるというストーリーが定番になっていた。
SFの始祖ともいうべき100年以上前のH・G・ウェルズの ”宇宙戦争” にすでにその手法が使われていたし、アニメでもガミラス星人デスラー総統閣下は有名だ。

つまり何がいいたいかというと、とにかく主人公側にとって絶対的な敵を用意し、それを打ち倒すというラストを迎える作風が定番だということに対し、それはいかがなものかと提言したいわけだ。

ヒーローモノの場合にはそもそもヒーロー対ヒールという構図を楽しむものだから、そういう場合にまでは文句をたれるつもりはない。

しかし、本来的にヒーロー対ヒールという構図を楽しむものでもないSFモノやアクションモノでもその傾向が非常にに強い。
SFモノやアクションモノでは悪のラスボスというものは展開上必ずしも必要がないにもかかわらず、暴走する悪のラスボスを打ち倒して大団円にするパターンがあまりにも多すぎる。
わたしはそういうところに少々食傷気味なのだ。



いちばん酷い例をあげよう。

何とは言わないが、とある邦画でDNA関連のSFチックな実写のドラマ映画があった。
実写の邦画では濃いSFは大変少ない。
わたしもパッと何かあげろと言われてもガンヘッドくらいしか思いつかないほど低調だ。
わたしは少しだけ期待して見た。

その映画の最初のころは、いい感じにSF的にリクツをこねていて雰囲気を楽しめた。
しかし後半になると、とある遺伝子を発現させた敵キャラがモンスター化し、そしてタダのガンアクションになり下がった。
「前半のSF的なつくりを返してくれ!」と叫びたいくらい不満たらたらで終了した。

そもそもハードSFファンはこんな程度で満足するだろうと製作者側に思われていること自体悔しいものがある。
単なる消化不良以上に消化不良になった・・・。



良い例もあげよう。

無神論者アイザック・アシモフが書いたファウンデーションシリーズなど、特に初期の作品が良い感じだ。(※1)

例えば星間で戦争が起きるシナリオだったとする。
かなり精密に戦争が起きる直前までの設定描写がなされる。
だが実際の戦争下のドンパチ描写は全く無い。
次のページでは戦争は終わってしまっている。
そして、なぜ一方(キホン的に負けそうな側)が勝てたかというカラクリが説明される。
それは実のところ、戦争が起きる直前までの描写で既に語られていたことだけで説明がついている。
それを読んだものはアシモフが創りあげた絶妙な設定に感激し、読み終わったあとに大満足する。

例えば三国志とかだったら、敵側の武将がどんなヤツかが極めて重要になるわけだが、ファウンデーションシリーズでは敵側の総司令官なんか出てきもしないから、どんなヤツなのか全く見えない。
そもそも戦闘シーンが無いのだから。
それにもかかわらずファウンデーションシリーズの戦争シーンはおもしろいのだから、作者はなんと素晴らしい腕前かと感服せざるを得ない。

なんとすばらしいハードSFか!
ハードSFは戦闘シーンやアクションシーンが全くなくても、その設定だけで魅せるものでなければならないはずではないか!!
ハヤカワのSF文庫を除くと、そんな小説はいったいどれだけあることか!!!



国産でも良いものをあげたい。

宇宙のステルヴィアというアニメがいい感じだ。
こいつは危機に瀕した人類を救うという、そこだけ見たらどこにでもあるハードSFだ。

しかし宇宙人が襲ってくるわけでもない。
かといって宇宙怪獣が襲ってくるわけでもない。
もちろんスペースコロニー国家がが地球連邦に攻めに来るわけでもない。
なんと宇宙のステルヴィアでは人類の敵は自然現象なのである。

もちろんハリウッドでいくらでもあるような、洪水が来ただの火山が噴火しただのという例の映画のような自然現象パニック映画ではない。
ステルヴィアはそんな凡百の映画とは比べられない。

このアニメではパニック映画的な意味合いでのパニックは起きない。
もちろんガミラス星人のような敵キャラが襲ってくるわけでもない。
人類の英知と技術の蓄積と人員の訓練によって毅然と立ち向かうのだ。

こういった明確な敵が見えないストーリーを巧く描くのは大変難しいだろうと察する。
しかし、それをうまいことおもしろい娯楽作品に創りあげたという点で、わたし的に大変評価が高い。
とりあえずラスト付近になると凶暴化(または巨大化)したラスボスと戦う仕掛けにでっちあげる凡百の監督に対し、ステルヴィアのツメのアカでも煎じて飲ましてやりたいくらいだ!



ついでに。
宇宙のステルヴィアはオープニング曲もイイ感じだ。
わたしは著作権ヤクザ(JASR○C)が怖いので歌詞はここでは書かないけれど、漢の悲壮な魂を熱くさせそしてそれが本体の作風にも実にマッチしていて素晴らしい。
これ以上にオープニングが心に刻まれたアニメはほとんど無い感じる。



【※1 ファウンデーションシリーズ】
正確には「銀河帝国興亡史」シリーズという。
アイザック・アシモフ
ハヤカワSF文庫
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8B%E2%89%CD%92%E9%8D%91%8B%BB%96S%8Ej&x=0&y=0

ホリエモンによる桃鉄レビュー

2009-04-08 00:03:31 | オタネタ全般
最近は話題にはならなくなったが、ホリエモンのblogがある。

六本木で働いていた元社長のアメブロ
http://ameblo.jp/takapon-jp/

そのblogに桃太郎電鉄のレビューがある。
ちょいとだけ引用したい。

[桃鉄] 青いカード売却スキーム
http://ameblo.jp/takapon-jp/day-20090318.html
> 桃鉄は資本主義の仕組みを勉強するには最適のゲームである。
> 物件を買ってその資産額を増やし、配当からの利益を再投資する。
> 子供の頃はなんで高い金を払って物件を買わねばならないのだ、と思っていたが毎年配当が入りそれで資産額が増える仕組みを身をもって(ゲームだけど)知ることにより、投資の大事さがわかる。

ひところは経済戦士だとか拝金主義者だとかさんざんな評判だったが、それでもホリエモンが桃鉄レビューを語ると重みが違う。
評判はアレだがキレモノであるのは間違いないし、ホリエモンだとわかって見るとそれはそれで面白い。
いちど見てみてはどうだろう。

メガドライブの初代コントローラーが好きだー!

2009-04-07 00:04:31 | オタネタ全般
わたしはあらゆるゲーム機用コントローラーのなかで、メガドライブの初代コントローラーが一番好きだ。



まず、ファミコンや初代プレステのコントローラーでは、長時間遊んでいると十字キーを押す親指が必ずズル剥けになる。
指の腹へのダメージが大きく、とてもじゃないが長時間のハードなプレイには耐えない。

初代プレステのコントローラーは
「人間工学を駆使した設計で・・・」
というふれこみだったと記憶しているが、わたしたち古参ゲーマーから言えば
「どう人間工学を駆使したら血が出るようなコントローラーができるんだよ(笑)」
「まともにTVゲームで遊んだこともないやつが人間工学を駆使して設計だなんて笑わせるな(笑)」
などという調子だったものだ。



そしてメガドライブの十字キーは斜めに入れやすい。でないとシューティングとかやりづらくて困る。
いまとなっては当たり前の操作性で特筆すべきほどのことでもないはずだ。しかし実は、その当時はファミコンを筆頭に斜めに入れにくいものはいくらでもあったのだ。



それまで、ファミコンやPCエンジンでは右手親指で操作するボタンは2つだった。
スーファミや初代プレステは4つだった。
あくまでもこれはわたしの感想だが、親指で操作するボタンは3つ以下でないと脳みそと直結して動かせないと感じたし、3つ以上はないと操作項目が少なすぎるとも感じた。

スーファミや初代プレステの4つは多すぎた。マリオワールドでもやってみると、えっとどれ押すんだっけ・・・と僅かに考える時間が入る。ゲームには致命的だ。
そしてファミコンやPCエンジンの2つでは少なすぎた。操作できるレパートリーが1ボタン分少ないので、その分だけゲームを作るのに支障がでる。
仮にゲーセンのような据え置き型コントローラーであれば、ボタンの上に指を配置しておくことで4個までは脳みそと直結して動かせるのだが、手で握るタイプのものはそうはいかない。わたしはストⅡの6ボタンではちょっとディレイが出るから、未だにうまく扱いきれていないんだよな・・・
たしかにプレステのLRボタンなどはあったほうが良いと感じる面もありどっちもどっちなのだが、総合的な完成度でいえば3ボタンのメガドライブが最も優れていると個人的には感じている。



メガドライブの初代コントローラーは他のにくらべてやや大きい。
初めて触ったときには少々もてあまし気味だったのをおぼえている。
しかし、それがしばらく触っていると妙にしっくりくるのだ。
さらにフシギな事に、それにしっくりくるようになった後では、他のコントローラーを触っても妙にチャチっぽく感じてしまう。
握ったときの奇妙な満足感をあたえてくれるのは、後にも先にもこのコントローラーだけだろう。別売のコントローラーになるとまた話は別だけどね。



メガドライブの初代コントローラーはボタンを押した感触が良い。
基本的にゲーム用コントローラーはゴムの弾性を使ったボタンを使っているため、押した感触がヌルッとしやすい。
個人的な好みで言うとゲーセンのボタンのようなカツッとした感触が良いのだが、あえてそれに近いものを選ぶとすればメガドライブの初代コントローラーはかなり良いほうに入る。
本体同梱のコントローラーのなかでいちばんカツッとした感触が得られるものでは、ネオジオのコントローラーの右に出るものはないと思うのだが、あれは据え置き型だし別格なのでいっしょくたにはしないほうが良いだろう。



メガドライブは壊れない。
それはコントローラーも同じである。

ファミコンなぞ、蓋をあけて改造しあやまって結線をまちがったら、ほんとすぐに本体までいかれる。買い換えるしかなくなる。
メガドライブは違う。間違って結線してもうまく動かないだけで、意外な事に案外壊れない。
ふつうの人には関係ないかもしれない長所だが、回路工作もたしなむわたしにとっては大変ありがたかった。

ファミコンは何もしなくても本体はすぐ壊れたし、メガドライブの本体はぜんぜん壊れなかった。
きっとメガドライブは信頼性に対する経験ある回路エンジニアが設計したのだろう。

ゼットン V.S. デイダラボッチ、 そして文明は正義か悪か

2009-04-06 00:03:05 | オタネタ全般
ジブリ作品は言うまでも無くおもしろい。
冒険活劇としての娯楽作品としてもおもしろいし、ストーリーに唸ってしまうほどおもしろい。

しかし!

ジブリ作品は科学や文明に対するアンチテーゼとしてのメッセージ性が強すぎる気がする点において、かなりキナ臭い。

もうちょっと具体的に言おう。
科学や文明が発達したことによって、逆に人類が不幸になってしまった的なストーリーが多い。
そこでは科学や文明が悪だと描かれている。

例えばナウシカでは、過去に発達した文明を持っていた人類がムチャしたツケが腐界という形で顕在化したと描かれている。
これはジブリ映画最強のバケモノであるモノノケ姫のデイダラボッチでも似たようなもんだ。
(例をあげればキリがないので、blog読者のみなさんも他の例を考えてみてほしい。)

これらをすごく極論してしまえば・・・
科学の発展を嫌い、科学の発展のために従事している人をワルモノ扱いしているようなものだと思わないか?

こういった文明否定論は別にジブリ作品に限るわけではなく、たとえばドラえもんの雲の王国などでもそういったメッセージ性が込められているわけで、普遍的にそこら中で扱われているテーマでもある。
わたしは科学の発展に寄与する職業についているので、こういった意見が気にかかってしょうがないのだ。

まあ、別に娯楽作品のなかだけなら問題は起こりにくい。
しかし、それが政治的発言力を伴った場合、かなりめんどくさい事になることを覚悟する必要がある。

たとえば日本の電力需給のことにしてもそうだ。
電気というのは水力/火力/原子力/太陽光/風力/地熱など、いろんな方法で作ることができる。
しかし、そのどれもがカンペキからはほど遠い。
たとえば、太陽光発電だけでは昼間しか発電できないことや、風力発電は電力変動が激しすぎることや、地熱発電が可能な地域はほとんど無いことなど。

しかし、こういった事例で文明否定論者が政治的な発言を伴う場合、そういった技術的にできるかできないかの議論はすっとばして原子力発電所や火力発電所やダムは全廃して全て自然エネルギーでまかないきれると発言する。
しまいには、それができないのは原発関連企業がロビー活動で妨害しているからだと陰謀論まで持ち出すから始末が悪い。
(ついでに言うと、自然エネルギーでかつ安定に大量供給できるのはダム式水力しかないと思うんだが、文明否定論者はダムも大嫌いなんだよなぁ・・・)

べつに電力事情にかぎらず文明を完全否定した場合、人類の平均寿命は40台になるだろうし、人類全員が定期的に飢餓に苦しむのは目に見えているわけだが、ヤツらはそういったことには触れようともしないからフシギなものだ。

わたしはジブリ作品を見た文明否定論者が
「だから科学や文明は悪なんだよ」
と鼻息を荒くして得意げに語るのに腹がたつのだ。
(ちなみにわたしの出身中学の教員はこの傾向が極端に強くて、当時ムカついていた)

実はこれらに比べて数はぐっと減るのだが、科学や文明が正義だと語る作品もわずかながらに存在する。

宇宙のステルヴィアがそうだ。
そこでは自然現象によって壊滅的打撃をうけた人類が科学の力によって再生したことが語られている。
そして次なる災厄には、人類の英知と技術の蓄積と人員の訓練によって立ち向かう。
娯楽作品としてもおもしろかったし、SFとしてもいい感じだったし、ジブリ作品の科学や文明に対するアンチテーゼに対するカウンターアンチテーゼとしても嬉しかった。

もっとメッセージ性が強いものもある。
ウルトラマンのゼットンだ。

ウルトラマンに出てくる怪獣どもは人類サイドの科学特捜隊では歯がたたない。
ウルトラマンはその怪獣を3分でやっつけてしまう。
そしてゼットンはウルトラマンを倒した最強のバケモノだ。
しかしゼットンは科学特捜隊の最終兵器によって倒された。

なんとヒニクなものか。
最強のバケモノは人類の科学の力によって倒されてしまったのだ。
これをモノノケ姫のデイダラボッチと比べてみよう。

デイダラボッチは
「人類の文明がムチャしたおかげで怒らせてしまい申し訳ありませんでした」
的なノリだった。
対するゼットンは
「人類の文明のおかげで絶望的苦難をのりこえたぞバンザイ」
的なノリだ。

どちらもバケモノに相対するというもので見たら同じようなものだが、そのメッセージ性は全く異なるものだ。
わたしはどちらのメッセージ性のほうが高尚だとかぬかすつもりはない。
しかし、アニメが文明否定論者の巣窟になることだけは避けるべきだとは感じている。

シャングリ・ラ 先行上映会速報

2009-04-05 00:39:43 | オタネタ全般
シャングリ・ラの先行上映会の行ってきましたよ~。

新宿は遠いねえ・・・。
ここは関東付近ではあるけど、あくまでも関東「付近」だからねえ。
「消防署から来ました」と「消防署のほうから来ました」ってくらい違います。(^^;
けどまあ、何時間もかけてわざわざ新宿までタダのTV番組を見に行ったかいはあった。
シアターでシャングリ・ラ第1話を見れて感動したよ♪

上映開始の30分前に開場だったので、ちょうど30分前くらいに行ったわけだが、なんとまあ、わたしはほとんど最後のほうの入場者になってしまった。
みんなどんだけ気合い入ってんねん(笑)。



そろそろ本題に入ろうか。

シャングリ・ラはまああれだ。
GONZOのスピードグラファーのようにハードでシリアスなアニメだ。
GONZOのロミオ×ジュリエットのように背景作画や音楽の作りこみに気合い入っている。
GONZOのHellsingのように作品に魂を感じる。
GONZOのサムライセブンのように、とまではいきそうにないが、戦車や武器なんかのメカモノにもこだわりがありそうだ。
しかし、GONZOのロザリオとバンパイアのような安直なパンチラや萌えキャラは出てこない。

ある意味、GONZOの持てる力のほとんどを投入した作品だと直感した。
これならば、いずれGONZOの最高傑作と評価される日がきてもおかしくないだけの出来だったと思う。
まっ、先行上映会をひらくくらいなんだから、それなりに自信はあるのだろう。

安直な萌えは出てはこないが、そもそもGONZOは萌えアニメは不得意とするところなので、GONZOらしさという観点から言えば萌えキャラは出ないシャングリ・ラのようなアニメのほうが本来のGONZOらしい。


メカモノのことで少し補足しておく。
GONZOのデビュー作の青の6号など、GONZOは3DCGを駆使したメカモノで魅せるのが実に巧い。
しかし、アニメ絵の人物画との切り替わりで変なギャップを感じてしまう。
それを回避するため、アニメ絵がベースの世界観にうまく溶け込むようにアニメ絵の3DCGを描く技を身につけ、シャングリ・ラでそれを表現している。
だから青の6号やサムライセブンのような見るからにカッコいい、しかしアニメ絵の人物画と繋ぎが悪い3DCGは出てこない。
だが、アニメ絵のまま3Dで動く戦車や背景が出てくるのはそれはそれでイかした感じだ。
シャングリ・ラがヒットするかどうかにかかわらず、この表現手法はこれからある程度は定着するんじゃなかろうか。


たいがい潰れそうな会社の社員は負け犬根性が染み付いてしまっていて商品にもそんなイヤな感じのするものしか作れないようになっているか、もうビジネスだと割り切ってギリギリまで簡単な製作で済ませてツマランものしか出さないか、もしくは一発逆転で大枚はたいたはいいが金はかかってるのは解るけど何だかイマイチおもしろくないようなものしか作れないか、そんなのを良く見る。

どことは言わんが、お子様向けで見た目は映えるけど、いつ見ても同じような無難なクオリティーの、キャラクター商品化したアニメしか提供しないとこがある。
その会社のアニメはスタッフが楽しんで描いているような感じが全然しない。

GONZOは今すでに潰れそうだが、シャングリ・ラはそんな危惧した感じは全くしなかった。
むしろ、シャングリ・ラで最高の作品を作り、高い評価を得て、そして会社を立て直すんだ! そんな気概を感じたね。

シャングリ・ラはあるいみ地味な作品だ。
マス層であるお子様向けでもなければ、ジャンプとタイアップしたキャラクター商売でもなければ、かといって萌えキャラ好きな大きなお友だち向けでもない。
いい歳してアニメばかり見ているような、アニメに対して目の肥えたアニオタの同士諸君から賞賛を受けたいがための作品だと、わたしはそう見る。
これは創業まもないころのGONZOの魂そのものだ。

先日の、3月末で債務超過は不可避(つまり上場廃止確実)だとの発言を聞いて、ガッカリして手持ちのGONZO株を成行で売り注文出そうかと思ったことがあった。
しかしシャングリ・ラを見て、いまは再起をはかるまで長々と持っていようかと思っている。

わたしはシャングリ・ラを描けるGONZOに期待している!
どうかシャングリ・ラがヒットして会社が立ち直りますように。

世界崩壊 と 魔法少女隊アルス

2009-04-04 00:08:38 | オタネタ全般
(本記事は "魔法少女隊アルス" についての強烈なネタバレをふくんでいます)



NHKアニメにしては “魔法少女隊アルス” はおもしろかった。
さいしょはNHKアニメだからってノータッチを決め込んでいたんだけど(笑)。
(このあたりは前回記事にて)

“魔法少女隊アルス” はMEMORIESをつくったSTUDIO4℃の作品だ。
ここの作品をたくさん網羅してみたわけではないのだが、こういう腕っ節に自信のある小規模メーカーがこだわりまくって作った作品は大概イイ味だしている。

まず “魔法少女隊アルス” は背景作画が綺麗である。
同じファンタジー作品であるGONZOの “ロミオ×ジュリエット” のように、ときどき過剰とも言えるほど美しい背景作画が使われる。
こんなに気合い入れた絵を1シーンで使い流してしまって、作画の人件費とか大丈夫なんだろうかと心配になるほどだ(笑)。

“魔法少女隊アルス” はダークファンタジーである。
ダークファンタジーとは、シリアスで悲壮感漂う本格ファンタジーのことを指す。
1980年代後半ごろファンタジーがブームのようになっていたが、それを過ぎて久しい現在、どちらかというとファンタジーは売れないから敬遠されている。
さらに言うと、濃ゆいファンタジーはなかなか出なくなってしまっており、ダークファンタジーにいたってはほとんど壊滅的に無いという有様だ。
ダークファンタジーの筆頭は “ベルセルク” だろうが、“ベルセルク” がバカ売れしたのは例外的だと思う。
(ひょっとしたらダークファンタジーの筆頭はクトゥルー神話かな? まあ、その辺はおいといて・・・)
個人的にはダークファンタジーのアニメが出たのは大歓迎だ。



さて、そろそろ本題に入ろう。(こっからネタバレ)

“魔法少女隊アルス” の世界は崩壊の危機に直面している。

① 主人公たちのいる魔女社会は、崩壊は運命であり誇り高く座して死を待つことを説いた。

② 主人公たちと敵対する魔族社会は、座して死を待つのではなく、失敗すると世界が滅ぶかもしれないほど危ない魔法を使ってイチかバチか崩壊を食い止めようとした。

③ 主人公たち魔法少女隊は、きっと崩壊を止める方法はなにかあるはずだと言い、個々の日常においてできるかぎりの小さなことの積み重ねをやった。

④ そして、崩壊を食い止めようとはせず自分だけ脱走を図るいろんな人たち。

ストーリーの都合か、主人公たちに敵対する魔族がワルモノという設定になっている。
しかし、限られた条件下で①②③④のどれが正しい選択かと問われると、どれも正しくないが②の魔族の選択が最善ではないかと、わたしだったらそう答える。

結果的には主人公たちの活躍で世界崩壊にはいたらずに済む。
わたしは結果的にそうなっただけで、本当に主人公たちの選択肢が正しかったのだろうかと考えざるを得ない。
これは現代社会における核の抑止力とか、そういったものの暗喩ではなかろうか。

(ほかにも “魔法少女隊アルス” では、妖精の体の一部をもぎ取ってこないと魔法が使えないという設定もある。これも現代社会における化石燃料を使わないと車も走らないことの暗喩だろう。)

見終わったあとの余韻ののこるアニメは、きまってこうやって視聴者に考察を求めるものだ。エヴァンゲリオンにしてもそうだった。
思想的に正しいかどうか若干のギモンが無いわけでもないが、それくらい目をつぶろうか。

願わくば多くのアニメがかくあらんことを。



追伸:

まあ、アニメだから対立構造を単純化させたのだろうけど、現代社会でこうなったら恐らく韓国人は
「日本が○○したせいでこうなったんだ! 謝罪と賠償を要求する!」
とか死ぬ間際までイチャモンつけて何もせずに、というか最後まで日本の足ひっぱって終焉を迎えるだろうね。

さっきの①②③④のどれにも属さない真のクソ野郎集団はアニメには出てこなかったな・・・。

NHKアニメを切る!

2009-04-03 18:14:41 | オタネタ全般
わたしはアニメが大好きだ。

しかし!

NHKアニメはほとんど見ない。

なぜなら、どうもNHKアニメってえと “名犬ジョリー” とか ”スプーンおばさん” とかの、なんつうか良い子のアニメっつうか、情操教育させたい親が子供にムリヤリ見せたいアニメっつうか、そんなイメージが強くって何なんだよなぁ・・・。だからNHKアニメだってだけで、はじめっからスルーしている作品が多い。
食わず嫌いなんだろうけど、どうもわたしのようなイイ歳こいた大人が喜んで見そうなアニメは放映しそうに無いイメージがあるんでね。


もちろん例外もある。

その筆頭には “ふしぎの海のナディア” をあげたい。
こいつはNHKアニメらしからぬ最高におもしろい作品だ。
なぜ最高におもしろいかってえと、製作元のガイナックスがNHKの要望を完全無視して暴走して作ったからだ、と言われている。とくに最後のほうはそうに違いない。
ナディアのNHK側担当者は泣いていたという、まことしやかなウワサがある。
まあそうでなくても、これ以降ガイナックスはNHK出入り禁止になったのは間違いないだろうと思う。
NHKが国営放送であるかぎり、“ふしぎの海のナディア” に比類するアニメは絶対にNHKからは出てこないと予言しておこうではないか。


もちろん、そうではなくても良作はある。
そいつらは巧妙に偽装した作品だ。

その筆頭は “カードキャプターさくら” 以外に考えられない。
マンガやアニメをあまり見ていない一般人からすれば、つまりアニメの選定眼のないNHK上層部からすれば、 “カードキャプターさくら” は小さなお友だちの女の子むけ、すなわち女児むけの健全なアニメにしか見えない。
もちろんこれは表向きの顔だ。

“カードキャプターさくら” は大ヒットした。
もちろん全国の小さなお友だちの女の子に大ヒットしたわけではない。
『小さなお友だちの女の子』が大好きな『大きなお友だちの男の子』に大ヒットした。
もしもさくらがスプーンおばさんのようなキャラデザだったら、間違いなくスプーンおばさんと同等の扱いを受けていただろう。
しかし、 “カードキャプターさくら” は確信犯的に巧妙に偽装して大きなお友だち向けアニメに仕立て上げたのだ。

その証拠に、われわれアニオタが見れば1秒で女児むけではないことは伝わるし、逆に一般人が見ても
「なんでこんな小さな女の子が見るようなアニメをいい歳して見てるんだよ?」
としか認識できない。
わたしはNHKをだまくらかしたという意味では “カードキャプターさくら” は最高傑作だと思っている。


似たようなものでいうと “今日からマ王” もそうだろう。
一見すると少年向けアニメだが、あれはどう見ても腐向けアニメだ。
だからといって批判するつもりはないが、NHKをだまくらかしたという意味では同類として戦犯にしたい。


もちろんNHKの言い分すなわち良い子向けの作品であることと、われわれアニオタの言い分すなわち作画にこだわりがあり感心する設定がありストーリーが濃密であることの両方を同時に満たす作品もある。

それは “魔法少女隊アルス” だ。

(これのすばらしさについて語ると長くなりそうなので、こいつは次回記事にて)

シャングリ・ラ先行試写会に当たった~!

2009-04-02 00:07:05 | オタネタ全般
シャングリ・ラ先行試写会に当たった~!
ラッキー!!

原作読んでないから詳しいことは知らんけど、シャングリ・ラってのはまあアレだ、いわゆる「メカと美少女」という黄金コンビのアニメですわ。
GONZOだから原作は外注(?)だけど、アニメ絵と3DCGをブレンドしたシリアスものを描かせたら最高の腕前を発揮してくれるし、つまらんわけがないだろって期待している。

実は一つおもしろい特徴がある。

> 庶民を置き去りにした一方的な”森林化”を進める政府軍に対して真っ向から戦いを挑む!

常々、わたしはインチキ臭いハードエコロジスト理論にギモンを抱いていたわけだが、ある意味でハードエコロジスト達と正反対の正義を描こうとしているのかもしれん。
そういう意味でも個人的に興味津々だ。


しっかし、先行試写会は50名の狭き門なんだが、この手のヤツっていったいどれくらい狭き門なんだろね。


> 応募条件:アニメ作品の個人ブログを持ち、かつ宣伝(更新)していただける方。

この条件を満たすのが厳しいのかもしれんね。


> ※ブログアドレスの記載は確認用のものです。掲載内容によって抽選結果が左右されることはございません。

とは書いてあるものの、いくらなんでも見もせずに判断するってぇ事はないんじゃないかな。
ともかく、呼んでくれたからには試写会終わったら宣伝しまっせ。(^^v



http://www.anime-shangri-la.jp/event.html

> 「シャングリ・ラ先行試写会」開催決定!

> キャラクターデザイン・村田蓮爾×アニメーション制作・GONZOが世に送り出す
> 4月5日放映開始の新番組「シャングリ・ラ」!
> その第1話を一足早く、スクリーンで見られる特別上映会を開催!

> イベント名:「シャングリ・ラ」先行上映会 メタルエイジ声明会見
> 日時:2009年4月4日(土) 19時30分開場 20時00分上映開始(21時00分終了予定)
> 場所:角川シネマ新宿 シネマ2
> 内容:「シャングリ・ラ」第1話上映、スペシャルゲストによるミニトーク予定
> ※当日出演者は変更になる場合がございます。

> 応募条件:アニメ作品の個人ブログを持ち、かつ宣伝(更新)していただける方。
> 応募要項:下記応募用アドレスに「(1)ブログネーム、(2)本名、(3)年齢、(4)住所、(5)電話番号、(6)個人ブログのアドレス」を記載の上、
> 応募期間中にご送付ください。

> 抽選のうえ、50名様をご招待いたします。
> ※ブログアドレスの記載は確認用のものです。掲載内容によって抽選結果が左右されることはございません。

「先生を流産させる会」犯人側視点で解説

2009-04-01 00:00:23 | 経済/経済/社会
(注:当記事は犯人を擁護しているように見えますがそんな意図はなく、事件の理解につながればとの思いで執筆しています)



世間では「先生を流産させる会」という時事ネタで盛り上がっている。
犯人に対しての各々blogでの批判が、どうもわたしには的外れのものばかりにしか見えないので、ここで犯人視点で解説してみたい。

わたしの出身中学はとにかく教員がクソだった。
きょうは詳細は書かないが、とにかく些細なことでぶん殴る、とにかくどんな些細な事でも校則違反適用、とにかく全体主義バンザイ、始終そんな感じだった。
当時そこにいたわたしは生徒を人間扱いしておらず動物扱いしていると感じた。そして今なおそう思っている。

わたしは中学教員に恨みを感じていた。
たかが3年の間のことで人生を棒に振るのはアホだと思ってガマンしたが、残念ながら一生あそこに居続けなければならないとしたら殺人を犯していないとは断言できない。

ちなみに今のわたしは社会人をやっているが、中学, 高校, 大学を卒業して社会人生活にいたるまで、あんなクソどもの集団に遭遇したことはない。
今は恨みは持っていないが今なお心底軽蔑している。

(よくよく考えたら、わたしが絵に描いた二次元の姉ちゃんにしか興味がないとか性的倒錯をおこしたのも、この中学で人類にたいして絶望したからなんかもしれんなあ。そういう意味ではわたしもアダルトチルドレンかも?)

そんないかにも「先生を流産させる会」の犯行に及びそうな人だったら、本事件はどのように写るか。

報道にある単語をいくつかピックアップしてみよう。



> 悪質ないたずら
> ゲーム感覚

少しはそうかもしれないが、主要な動機ではない。
これは怨恨である。
不当な仕打ちを受け、それが不当であると訴え出ることのできない立場に追い込まれたとき、人は相手と同じくらい不当な仕打ちを用いて仕返しに出るのだ。

中学校は非常に閉鎖的な社会であって、それに加えて教員は絶対王政的な権力を有しているため、教員についての苦言を語ることのできる場所は用意されていない。
したがって大人からしたら思ってもみないほど生徒は酷く追い詰められる。
腹をくくって犯行に及んだ場合には推して知るべしである。



> 命の尊さをわかっていない

これは正しい。
なぜなら動物は命の尊さをよく理解できないからだ。
そして生徒を人間あつかいせず動物あつかいし、そのように理解するよう仕向けたのも教員である。



> 個々にはいい子たちで

もとから素行の悪い生徒にのみ恨みを買ったわけではない。
もとはふつうの生徒の恨みを買ったわけなので、ふつうに見たらいい子に見えるのは当然だ。



> 洒落にならないとかいう問題じゃない
> そこから起きる結果が何を引き起こすのか、という想像力と感受性に欠けているように思います

事件の中心メンバーは流産して教員が悲しむのを本心で望んでいたはずなので、これは洒落で行った事件ではないし、結果について理解していたはずだ。
流産したらしたで小躍りして喜ぶに違いないし、とんでもないことをしてしまったとは絶対に思わない。



> 殺人未遂で逮捕すべき

逮捕者が出たらいちばん困るのは教員である。
わたしの出身中学でいえば、毎日だれかに暴行を加えたり、教育と称して100発もぶん殴ったり、女生徒の髪型が気に入らないからといってハサミで切りきざんだり、校則違反だからといって次々に生徒のものを取り上げて私物化したり・・・といった事が明るみに出た場合、いったいどっちが困るだろうか、これは見ものだ。

ついでに言うと、わたしの出身中学では日本国憲法が通用しない治外法権のようなムードになっていて、黙秘権が認められないとかそんな生易しい次元では全然なく身体の自由や財産権までもが侵害されていた。たぶん、北朝鮮なみというのが最も的を得ているだろう。



> 社会の厳しさをしっかりと叩き込むことが大切

これは正しい。
他人の命を大切にしない者は日本国政府から自分の命を大切にされない事をわからせるのは有用な施策の1つだと思う。
今回のような怨恨によるものと疑われる場合、情操教育によって何とかしようという発想は通用しない。



> 命の教育を徹底し、二度とこのようなことがないようにしたい

ヤツらが正しい教育を施しているのであればこれで良いが、この場合は見当違いの判断だ。
殺されてもいいから殺してやりたいと思うほど憎しみを持っているものに対し、ほんとうに命の大切さを教育することは事件防止に効果的だろうか。

二度とこのようなことがないようにするためには、有用な対策方法は2つである。
その1、人間らしいマトモな教育を施す。
その2、たかが中学3年間で人生を棒にふるようなマネは止めておけ、と部外者の大人(たとえば親)が忠告する。

ついでに言うと、わたしの出身中学ならばどうせまた教育と称して10発以上ぶん殴るのだろう。それは事件防止どころか再発促進にしかならないのを肝に銘じておく必要がある。



追伸:

わたしは某中学校に在学したことで、
「わたしは絶対に中学校教員にはならない! こんな人間にはなりたくないからだ」
と心に誓ったものだ。

願わくば全ての教員がそう思われることのない人物であることを。