こんばんは。
あれよあれよと二月になり一週間すぎてしまいました
パースは5年ぶりの熱波に見舞われております〜。
今回は湿気があるのでだるさ倍増...
土日も40℃近い予報が出ています。
バテバテになりそうです
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆
では前回のブログ記事の続きを書きます。
2018年11月16日
旧フリーマントル刑務所にて。
札幌の親戚S家のK子さんとNちゃん母娘が
パースに初訪問に来てくれた時
旧フリーマントル刑務所を見学に行きました。
今回は刑務所の中身を少々、ご紹介します。
(以下の話はガイドさんから聞いた内容を覚えているだけ書いたもので
間違っているかもしれませんが、大まかなところOKかなと思います。)
↓床や天井の木材はパースの南の地方原産の
Jarrah(ジャラ)と呼ばれるユーカリ類の硬い木が使用されています。
昔はたくさん伐採されて建物や家具作り、古く19世紀はイギリスに輸出され道路に使用されました。
今は森林保護のためリサイクルの木材も使用されています。
お〜たむ家の床もジャラ材でできています。
刑務所と同じですね(笑)
我が家そのものは古くて価値はありませんが
ジャラの床だけなら結構なお金になるのかも???
↓囚人たちは刑務所に入りたての頃は独房に入れられ
他の囚人との会話も制限されていました。
↓態度よく刑期を務めていれば4人部屋に。
腰が痛くなりそう
↓教会付き、お祈りの時間もありました。
ここでも独房在住の囚人たちは他人との会話を許されず
衝立のようなもので区切られた空間に入り、お祈りをしたそうです
近年ではたまに、ここで結婚式を挙げるカップルもいるそうですよマジか
↓囚人の中には芸術家タイプもいました。
囚人たちは道具を持つことを許されていなかったのですが
この人は鉛筆(か何か)を使わせてもらえたのですね。
特別配慮がされたのかな。
絵はアクリル板のようなもので保護されています。
ここではフラッシュ撮影は禁止でした。
どんな気持ちでここに絵を書いていたのでしょう...。
地獄絵でも描きそうな境遇の中、この方が描いたのは優しい雰囲気の絵でした。
150年後の今、彼が描いた絵がこうして大事に保存されていると本人が知ったら
びっくりすることでしょう。
他に有名な囚人として一人、何回も逃げた脱獄の達人がいたそうです。
彼はJoseph Bolitho Johns (1826年2月某日生まれ – 1900年8月13日没)通称
Moondyne Joe:ムーンダイン・ジョーと呼ばれたイギリス出身の囚人でした。
貧しい環境に育ち、小さな盗みをして捕まってフリーマントルの刑務所にまで送られました。
↓何回も逃げるので彼の独房の壁には鉄釘が打たれ
「これで絶対に逃げられないからなっ」と
釘を刺されました。
そして看守長はムーンダインに自信満々で言ったのです。
「もし、これでまた逃げることができたらお前を自由にしてやる」と。
ところがムーンダイン、外の広場の壁に
看守の目を盗んでコツコツと穴を開け
見事、脱走に成功したのでした
彼はその後なんと約2年間、ブッシュ(郊外の深林)に身を隠し続けたのです。
でも油断したのでしょうか。
ある時、スワンバレーのワイナリー:Houghton Winesのワインセラーにいたところを見つかってしまい
とうとうフリーマントル刑務所に連れ戻されました。
「今度逃げたら自由にしてやる」と言い切った看守長はイギリス本国に戻っていたため
他の人がさらなる刑期の延長をムーンダインに言い渡しましたが
他の担当者が
その約束事が確かに交わされたということを証言してくれて
ムーンダインは晴れて自由の身となり、一般人として生涯を終えたそうです
そういうちょっと痛快な脱獄話もあったり
西オーストラリアの歴史のお勉強にもなったりで
親戚のK子さんNちゃん母娘も喜んでくれたツアーでした。
でもこれ、そもそもK子さんが
「刑務所、見に行ってみたい」って言ってくれたんです
私も楽しかったよ〜
どうもありがとう
旧フリーマントル刑務所には他にも夜のツアーとかトンネルツアーなどがあります。
私たちが参加したツアーは、普通コース。
日本語版の解説を聞けるレコーダーみたいのも借りれます。
フリーマントルにお越しの際は是非体験されてみてください
それでは、また。
ご訪問ありがとうございました。
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