こんばんは。
いよいよ7月も最後の日。
梅雨が明けた途端に日本各地、めっちゃ暑そうですね
熱中症にはほんとお気をつけくださいね
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さて今日は『空倶楽部』に参加します。
『空倶楽部』は
『9』が付く日に皆さんでいろいろな空の写真をアップして
楽しみませんかという日です。
またもや二日遅れですみません
詳細はかず某さん、chacha◯さんまでどうぞ。
今回は昨年10月の東北旅行の思い出から。
盛岡で見た空です。
2018年10月23日
この日の朝早く、息子のハリーはY君兄貴に
Y君のお仕事先、しいたけ栽培のハウスへ連れて行ってもらいました。
(手伝いをしたり美味しいランチを食べたり、楽しい時間を過ごしたらしい)
A美は自分のお仕事先へ。
残ったオットのRさんと私は一関から盛岡まで、日帰りのミニ旅にチャレンジしました
一関と盛岡の間は新幹線で30分ぐらいなんですね〜。
Rさんがスピード計のアプリを入れていたので測りながら見ていたら
帰りの途中、最高スピード323km出ましたよキャーッ
話が逸れました...
↓岩手県盛岡市 盛岡城跡公園にて。
盛岡城についてネットでちょっと調べてみました。
盛岡城は南部(盛岡)藩南部氏の居城です。
南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が
慶長2年(1597年)に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられ
翌慶長3年(1598年)の正式許可の後,築城工事が本格的に進められました。
慶長年間(1615年)には総石垣のお城としてほぼ完成。
1871年、廃藩置県により閉城となりました。
お城の石垣についてもネットのサイトに解説が書かれていました。
『盛岡城の石垣は,全て城内とその周辺で産出した花崗岩によって築かれています。
石垣は構築された時期などによって異なった積み方が見られ
自然石をそのまま積み上げる「野面積」,割石を積み上げる「乱積」,方形に整えた石を積み上げる「布積」が見られます。』
東北の城郭は土塁が多いそうです。
このような石垣は珍しいのですね、きっと。
静かな午後でした〜。
↓南部(利祥)中尉騎馬像台座
この台座に立っていた彫像のモデルとなったご本人は
南部家第42代当主利祥(としなが)でした。
日露戦争の時、24歳の若さで戦死。
その功に対し、功五級金勲章を受けたことを表彰した騎馬像「南部中尉銅像」が
明治41年(1908年)9月に建立されました。
銅像本体は太平洋戦争中の昭和19年(1944年)に金属供出として持ち出されてしまい
残念なことに今でも残っているのは台座のみ。
でも「負の遺産」として台座を残してある、というニュアンスのことが
解説板に書いてあったような。
時々、戦争にまつわるこういう話を聞きます。
悲しいことですね。
こうしてブログを書きながら、お城の歴史など調べて気付くことが多く
ここを訪れる前にもっと勉強しておけばよかったなと
後悔するのもいつものことだわ
盛岡城跡公園...またいつか散策に行きたいなと思いました。
ブログの写真は秋なので季節感が全くアレですが
これから各地では夏祭りや花火大会が楽しい季節ですね
時々、そういう日本の季節のお祭りが
無性に恋しくなるお〜たむです。
東北でも色々な場所で大きな夏祭りが目白押し
この盛岡では8月1日から4日まで
「さんさ踊り」が開かれます。
「世界一の太鼓パレード」との呼び声も高いお祭りだそうです。
↓盛岡駅近くの歩道で見かけた綺麗なタイル。
これ、今までずーっと、何の絵柄かな?って思っていたのですが
さんさ踊りのことをA美に聞いて、ハッと閃きました
このイラスト、まさにそのお祭りの絵なのですね
実に8ヶ月ぶりに謎が解明
スッキリしました〜〜
(いや、もっと早く気付きましょうよ)
めでたくスッキリしたところで、本日はこれにて失礼いたします。
ご訪問ありがとうございました。
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【私信です】
オーガスタのS子さん、盛岡の情報を
たくさん、どうもありがとうございました
おかげさまで楽しい1日を過ごすことができました。
また何かの機会によろしくお願いしま〜す