もう30年程前のことである。
初めて中国を訪れた。
大西行雄・嘉田由紀子(今の滋賀県知事)・前田広人たちと一緒だった。
断片的な記憶の中に、古い時代の中国が浮かんでくる。
上海から南京へ、火車(汽車)に乗って移動した。
夕方の暗闇が迫り、車窓には点々と裸電球を灯した村が通り過ぎていく。
そこには昭和30年代の日本における田舎の情景があった。
道行く人たちの人民服が目立ち、路上は自転車の天下だった。
南京地理研究所で歓待を受けたのち、中山陵に案内された。
392の石段を登ると孫中山(孫文)の墓があった。
この国はすごいな、という印象をもった。
夜の歓迎会では生ぬるいビールときつい茅台酒で乾杯を繰り返した。
宿舎となった招待所でクリーニングに出した上着が皺だらけになって返ってきたと、嘉田さんがクレームをつけていた。
帰りの上海の路上で食べたアイスクリームは豆乳でできていた。
今となっては昔話だが、訪問者も歓迎者も緊張感を持って相対していた時代だった。
当時のほうが、衣食足りて礼節を知っていた気がする。
今は豊かにはなったが、足るを共に知らない時代なのかもしれない。
初めて中国を訪れた。
大西行雄・嘉田由紀子(今の滋賀県知事)・前田広人たちと一緒だった。
断片的な記憶の中に、古い時代の中国が浮かんでくる。
上海から南京へ、火車(汽車)に乗って移動した。
夕方の暗闇が迫り、車窓には点々と裸電球を灯した村が通り過ぎていく。
そこには昭和30年代の日本における田舎の情景があった。
道行く人たちの人民服が目立ち、路上は自転車の天下だった。
南京地理研究所で歓待を受けたのち、中山陵に案内された。
392の石段を登ると孫中山(孫文)の墓があった。
この国はすごいな、という印象をもった。
夜の歓迎会では生ぬるいビールときつい茅台酒で乾杯を繰り返した。
宿舎となった招待所でクリーニングに出した上着が皺だらけになって返ってきたと、嘉田さんがクレームをつけていた。
帰りの上海の路上で食べたアイスクリームは豆乳でできていた。
今となっては昔話だが、訪問者も歓迎者も緊張感を持って相対していた時代だった。
当時のほうが、衣食足りて礼節を知っていた気がする。
今は豊かにはなったが、足るを共に知らない時代なのかもしれない。