DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

琵琶湖の七不思議-その5

2013-04-25 16:25:48 | ButsuButsu


琵琶湖には自然にできた島が4つある。

大きな順に、沖島、竹生島、多景島、沖の白石と呼ばれている。

花崗岩からなる竹生島や多景島とは異なり、沖島と沖の白石は湖東流紋岩から成り立っている。

ご承知のように、花崗岩は深成岩で深い場所でマグマがゆっくりと固まったものだ。

一方、流紋岩は火山岩で、地表付近で急速に冷えて固まったものだ。

どのような構造を考えれば、同じ湖の中の4つの島の成因が異なることを説明できるのだろうか。

今から300万年前に、古琵琶湖と呼ばれる大山田湖を埋め尽くしたのが、この湖東流紋岩だ。

従って、現在の琵琶湖がある場所は、昔は急峻な山岳地帯だったということになる。

単純に考えてみよう。

琵琶湖の沈降速度を年に1mmとしよう。

1000年で1m沈み込むということになる。

ということは300万年前には、3000mの高さだったことになる。

まさに、日本アルプス並みの山々があったことになる。

4つの島の中で、一番小さいのが沖の白石である。

この島を構成している流紋岩は、写真で見るように白っぽい岩である。



だからこそ、沖の白石と呼ばれるようになったのだろう。

ところが、現在の沖の白石は、決して白くはない。

むしろ遠目には黒っぽく見える。

鳥の糞のせいで黒くなったのだという説もある。

ということは、沖の黒石か?



この島の周囲は、とても深い。

少し離れると、水深が60m~70mに達する。

まるで、針が立っているような島だ。

300万年前には、おそらく槍ヶ岳(3180m)のような姿をしていたのだろう。

いろいろ想像することは楽しいことだ。

琵琶湖の湖底地形は、興味深いことを私たちに教えてくれる。

実は、私たちの測量では、湖底に小さな突起を見つけている。

これは昭和30年代に行われた国土地理院の地図には載っていない。

彼らが指摘する湖底のふくらみは、場所がずれている。

単なる測量誤差なのか、実際に琵琶湖の底が盛り上がりつつあるのかは、謎である。

はっきりさせるためには、もう一度正確な測量を行う必要がある。

そのためには、はっけん号を使わなければならない。

何とかしてこの船を手に入れたいものだ。
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古地図

2013-04-25 09:56:51 | ButsuButsu


私の古い友人に武田和忠さんがいる。

友人と言っても私より10歳は年配で、しかも大学の先輩でもある。

だから大いに恐れいる必要があるのだが、本人はいたって気さくなのでつい友達のように接してしまう。

武田さんは、技術士だ。

技術士の偉さを私に教えてくれた人でもある。

昔は三洋電気に勤めていたが、脱サラして自由業になったらしい。

技術士が自由業かどうかという議論はさておき、彼の暮らしぶりは確かに自由人である。

私が公務員であったころ、よく研究室に遊びに来てくれた。

遊湖の会の初期会員でもある。

彼については面白い話がたくさんあるのだが、今日は古い地図の話をしよう。

武田さんは、努めて古い地図を集めている。

面白い地図や珍しい地図が手に入ると、私のところに見せびらかしに来る。

きっと私も興味を持つに決まっていると、確信しているのだろう。

いつだったか、伊能忠敬が描いた琵琶湖の地図を持ち込んできた。

おそらく、我が国最古のまともな琵琶湖地図だろう。

皮肉屋の私は、数値化して持ってこなければ役に立たない、と言って彼に地図のデジカル化を押し付けてしまった。

それが添付した画像である。

よく見ると面白い発見がたくさんある。

山科に大きな池があったなどとは知らなかった。

時間があれば現在の地図との比較をしてみようか、と思っている。

武田さんは、過去を楽しみ、現在を憂い、未来を分かち合う、数少ない私の友人の一人だ。
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4月24日(水)のつぶやき

2013-04-25 05:05:25 | 物語
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