
琵琶湖総合開発と水位調節(1)
2020年に2回目の東京オリンピックが開催されることが決まった。
大きな経済効果が期待されているが、思い起こされるのは1969年に開催された第1回東京オリンピックのことだ。
1954年から1973まで続いた高度成長期に、都市用水の需要に供給が追いつかず各地で水不足に見舞われた。
都市部では地下水の過剰なくみ上げによって、地盤沈下も進んだ。
中でも1964年の大渇水では、50%の取水制限も行われた。
「東京砂漠」という歌がヒットした。
このような水事情を背景に、1972年5月に琵琶湖総合開発特別措置法が難産の末に可決された。
興味深いのは、田中角栄がこの年の6月に「日本列島改造論」を発表し、7月には第一次田中内閣が成立したことである。
じつは琵琶湖総合開発の推進も、田中角栄が深く関わっていた。
当時、この法案を国会で可決させるために、滋賀県出身の国会議員と県庁職員は夜駆け、朝駆けで田中角栄の自宅がある目白御殿詣でを行っていた。
餅好きの田中角栄につきたての餅を届けるために、朝一番の新幹線で届けたと言うエピソードも語り継がれている。
こうして1972年12月22日、内閣総理大臣田中角栄によって琵琶湖総合開発計画が正式に決定された。
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田中角栄は、著書『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)の中で次のように述べている。
「水は低きに流れ、人は高きに集まる。
(中略)
明治百年(昭和43 年、1968 年)をひとつのフシ目にして、都市集中のメリットは、いま明らかにデメリットに変わった。
国民がいまなによりも求めているのは、過密と過疎の弊害の同時解消であり、美しく、住みよい国土で将来に不安なく、豊かに暮らしていけることである。
そのためには都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開することである。
工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる。
(中略)
また、ひらかれた国際経済社会のなかで、日本が平和に生き、国際協調の道を歩きつづけられるかどうかは、国内の産業構造と地域構造の積極的な改革にかかっているといえよう。
その意味で、日本列島の改造こそは今後の内政のいちばん重要な課題である。
私は産業と文化と自然が融和した地域社会を全国土におし広め、すべての地域の人びとが自分たちの郷里に誇りをもって生活できる日本社会の実現に全力を傾けたい。
(以下略)
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