琵琶湖の歴史は、今から420万年前までさかのぼることができる。ちょうどその頃、アフリカの南部では、アウストラロピテクスという2足歩行する猿人が誕生していた。もしこの猿人がアジア大陸の果てまでたどり着いて、湖のほとりにたたずんだとしたら、いったいどのような光景を目にしたのだろうか。
時は、第三紀の終わりで鮮新世と言われる時代だ。日本は大陸と地続きで、まだ島にはなっていなかった。このように古い時代の琵琶湖のことを、古琵琶湖と呼んでいる。約420万年から約320万年前の古琵琶湖は、今の三重県西部に位置する上野盆地にあった。当時は地殻活動が活発で、断層が沈み込んだ窪地に水がたまり大山田湖ができた。いくつかの河川が、北東、西、南東などから流入していたが、流出はほとんどなく比較的安定した湖だったようだ。気候は亜熱帯から熱帯に近く、適当な深さと広さを備えた湖には、水草やプランクトン、魚貝類がたくさん存在した。特にコイ科の魚は豊富で、現在の琵琶湖より種類も個体数も多かった。体長が2mに近い大型のコイもいたという。また、ビワコオオナマズの原種や大型のワニ類、スッポン類も生息していた。大陸と陸続きだということもあって、これらの動物群はアフリカ、西アジア、東南アジア、中国などの影響を深く受けていた。湖畔にたたずむと、ゾウやシカなどが水飲みに来る姿や、ツルなどがエサをついばむ姿が見られたことだろう。
ところが約320万年から約300万年にかけて、大山田湖は湖東流紋岩という火山岩の礫によって埋めつくされてしまう。現在の琵琶湖付近は、当時火山岩からなる険しい山地で、そこから流れ出た河川が大量の礫を大山田湖に運んだとも考えられている。実は、この頃から地球は急激に寒冷化に向かっていた。地球全体の変化が古琵琶湖の生態系にも影響を与えたと思われる。
約300万年から約270万年にかけて、大山田湖があった北側に再び湖が形成される。阿山湖の誕生である。気候はまだ温暖であったが、コイ族がフナ族にとって代わられ、生物種は次第に貧弱となり、大山田湖に生息した生物のほぼ40%が絶滅したと言われている。やがて、阿山湖も北から流入する河川によって埋め尽くされた。そして、野洲川より北の地盤が相対的に沈降し、甲賀湖が形成された。今から約270万年から250万年前の話である。この湖は、低水温で水深が70mから90m近くあった。生物群集は、大山田湖の頃と比較してはるかに単純で貧弱なものとなった。このように、古琵琶湖は、生態系の大きな変化を伴いながら、地殻活動による沈降と隆起を繰り返し、南から北へと移動していったのである。
約250万年から約180万年にかけて再び地盤変化が起こり、甲賀湖が消滅し蒲生湖が誕生する。この頃に、大山田湖および阿山湖の生物種はほとんど絶滅した。世界的にみても、約250万年前には氷河の発達が報告されており、気候の寒冷化が引き金になったものと思われる。初めは深かった蒲生湖も、やがて東方からの土砂堆積によって沼地化していく。約180万年から約140万年にかけて古琵琶湖はその形を失い、草津付近に湿地帯として残るようになる。この頃、鈴鹿山脈の急激な隆起が始まった。そして、約140万年から約100万年の間、40万年の長きにわたって古琵琶湖の痕跡は消えてしまう。
次に湖が現れるのは、今から約100万年前である。これを堅田湖と呼んでいる。堅田湖は、水深が数m程度の浅い湖であった。セタシジミなどのいわゆる琵琶湖の固有種は、これらの時代に遺存したり分化したりしたと言われている。この中には、ワタカやゲンゴロウブナといった魚種も含まれている。約40万年前になると比良・比叡山の隆起が顕在化し、西岸断層帯の活動に伴って湖が深くなり、現在の琵琶湖が形成された。生物に対して多様な生息環境を提供する現在の琵琶湖は、ビワマスやイサザ、イワトコナマズ、ビワヒガイ、アブラヒガイ、ウツセミカジカ、ホンモロコ、二ゴロブナなどの分化を促したのだろう。逆に言えば、琵琶湖はそれだけ豊かな環境を生物に提供できた湖であったと言える。
このようにして、琵琶湖の歴史は、地球環境や地殻活動と密接に関係している。突然、川の流れが変わり堆積構造が変化するのである。それに伴って、生物の絶滅や固有種の分化など、複雑な過程が繰り返されてきた。その中で、古琵琶湖と今の琵琶湖をつなぎ合わせる可能性があるのは、ビワコオオナマズだけのような気がする。いったいどうやってあの巨大な生物が数百万年も生き残ったのだろうか。琵琶湖の歴史には、こんなロマンが秘められている。