今日、40年来の友人と一献を傾けた。
彼は医師で、有能な数理学者だ。
あと5年以内に関西で大きな地震が起こると思う。
そう私がいうと、彼は強い口調で詰問した。
あなたは地震学者か。
地震発生の確率はいくらか。
私は恥じらいながら答えた。
私は地震学者ではない。
確率を議論するほどの母集団ももたない。
でも、地球科学者としてのカンが私にそう言わせる、と。
彼は納得した顔をして言った。
昔、彼が小児科で勤務していたとき、母親が子供を連れてきた。
この子は、きっと何かを飲み込んだのです。
子供は、外見は正常に見えた。
大丈夫ですよ、と彼は言った。
でも母親は強硬に言い張った。
何か飲んでいるんです。
彼は仕方なく、レントゲンをとった。
そして驚いた。
なんと、その子の気管には小さなナットが詰まっていた。
あるんだな、カンというのは。
そう友人は言った。
それは科学ではないのかも知れない。
でも多くの科学的な発見は、こうしたカンによって見つけられてきたことも事実だ。
昔、山口昌也という数学者が私に語った。
統計学が数学をだめにした、と。
判る気がする。
統計学というのは、母集団が大きいときに正解に近い値を教えてくれる。
でもそれは必ずしも真理ではない。
私は、自分の日常のカンを信じる。
それが研究者としての生き様だと思う。
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