DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

どうする(88)

2015-03-13 09:24:46 | ButsuButsu


押し入れをゴソゴソと探していたら、35年前のアルバムが出てきた。

懐かしくなってページをめくると、ブライアンとマーガレットに囲まれた若き日の自分の姿が見つかった。

29才の頃だと思う。

この頃の私は、体重が53kgくらいしかなくSkinny guyと言われていた。

ブライアンもマーガレットも若々しい。

きっと、行きつけのパブで撮った写真だ。

「One pint of bitter」

が、ブライアンの定番だった。

マーガレットが飲むのは「Lager」だった。

「女性はlager、男性はbitterだ」

とは、ブライアンの弁だ。

ちなみに、「1パイント」は568cc程の量になる。

そういえば、今日、3月13日はブライアンの葬式の日だ。

先日イギリスへ行ったとき、マーガレットが「13日の金曜日だわ」って笑っていた。

すでに遺体とお別れの対面をしてきたので特に悔いはないが、いよいよブライアンも灰になり埋葬される。

今日は、帰りの新幹線の中でPale aleを飲んで、彼との懐かしき日々を偲ぶこととしよう。

どうする(87)

2015-03-10 23:12:28 | ButsuButsu


火傷の写真を小児病院のドクターに見てもらった。

モンゴル少年オソホー君7才だ。

ドクターの意見によると

***

あくまでも専門外の医師としての意見ですが、拝見した写真からは、治療はそれほど困難でない印象を受けました。

皮膚がケロイド化したため、正常な成長と弾力性を失い、その結果関節の動きを妨げているのが最大の問題ですね。

治療には、形成外科(あるいは皮膚科)と、整形外科および場合によってリハビリ科の共同作業が必要です。

まずは、ケロイドでひきつった皮膚の修復作業から開始でしょう。

皮膚を延長させる切開術を加えれば、関節の動きを妨げることがなくなります。

これ以外に、外見上の問題も形成外科である程度回復可能でしょうが、1度の手術では困難だと思います。

皮膚の進展性が確保されたら、今度は長期にわたって動きが妨げられたため拘縮していると思われる関節の可動域の改善の治療です。

これは整形外科の分野です。

これも場合によって手術が必要かもしれません。

さらに可動域改善のためのリハビリも必要でしょう。

これはモンゴルでも可能かもしれませんね。

全国にいくつもある「こども病院」なら、それらの診療科があると思います。

私の所属する病院は、残念ながら形成外科の常勤医がいませんので、当院での皮膚治療は難しいと思います。

整形とリハビリは揃っているのですが。。。

***

とのことだった。

かかる経費は200万円くらいだろうか。

時間はかかるかもしれないが、応援の声を頼りに募金をすることにした。

少しずつの元気玉を集めれば、大きな元気玉を作ることができるだろう。


***

モンゴル少年の火傷治療に関する寄付金は、以下の口座にお願いします。

滋賀銀行

南草津駅前支店

口座の種類: 普通口座

口座の番号: 886655

口座の名義: WWCF-Japan 事務局長 熊谷道夫

もしよろしければ、連絡先もお知らせください。

後日、お礼状を差し上げます。

ちなみに、WWCFは、World Water and Climate Foundationの略で、モンゴルや中国の湖沼の調査や保全活動を行っている国際NGO(非政府組織)です。

http://wwcfoundation.weebly.com/

どうする(86)

2015-03-10 16:57:28 | ButsuButsu


私たちの人生には、真剣にがんばらなければならない時がある。

この瞬間にがんばれるかどうかで、その人の生涯が決まったりする。

普段は寝太郎でもいい。

がんばるべき時が来たら、ひたすら励むことだ。

60の齢を越した今でも、そんな瞬間が訪れる。

そうだ、ひたむきにがんばるのだ。

そう自分に叱咤激励して励む。

ただ、残念なことに、体も、心も、頭も、思ったように動いてはくれない。

がんばれ、がんばれ、がんばれ。

忍耐と努力

なかなか進歩はないのだが、それでも老化を防いではくれる。

それにしても、今日行った銀行はひどかった。

新しい通帳を作るのに、2時間も待たされてしまった。

ひたすら我慢して待ち続けた。

忍耐、忍耐

それにしてもこの銀行、もう廃業が近いのではないか。

そんな予感さえさせるS銀行の午後だった。

だんだん忍耐力がなくなるのも、年を取った証拠なのか。

怠惰な体にムチ打って、もうひとがんばりだ。

どうする(85)

2015-03-05 09:16:27 | ButsuButsu


モンゴルの友人であるハドバータル氏からメールがあった。

フブスグル県のツァガーンヌール村にすむBaasankhuu君(7才)の火傷を直してほしいという依頼だ。

以下、ハドバータル氏からの報告だ。

***

Baasankhuu君は、2008年8月17日にお湯を入れた魔法瓶を倒して火傷しました。

その日に村の病院に運ばれて手当てを受けました。

それでも 体調がますます悪化し、意識不明になったので、県の中心であるムレン町に運ばれました。

ムレン町で2か月間続いた集中治療を受けた後、ツガーンヌール村に帰りました。

4才になると、成長により右手の動きが不自由になりはじめ、手が曲がってきました。

その変化が激しくなったのでウラーンバートル市で手術を受けました。

それからおよそ2年間手の曲がりが多少治ったが、今現在成長により手の曲がっている上に、手を動かす時に痛みが起こるようになっています。

***



火傷の傷跡を見ると、何とかならないものかと思う。

私の周りでは、今年は、はっけん号の運営にお金がかかる。

なかなか簡単にBaasankhuu君を支援してあげることはできないけれど、出来るだけ努力をしてみようと思う。

世界には多くの子供たちが傷ついているから、すべてを救うことはできないけれども、目の前で苦しんでいる人がいればできることをすべきなのだろう。

子供を思う親の心は世界共通だ。

ハドバータル氏は、次のようにメールを締めくくっている。

***

手術代に使うお金がないため手術をしてもらう事ができません。

子供の将来を考えるとなんとかしてやりたいです。

子供の日本へ行ってくる飛行機代は自分たちで払います。

***

ツァガーンヌール村は、ロシアとの国境にある奥深い田舎だ。

そこで懸命に働いている幼いBaasankhuu君を見ると、心が痛む。



さて、どうするか?

私の周りには難問が多い。

どこかにタイガーマスクはいないものだろうか。

どうする(84)

2015-03-04 07:39:10 | ButsuButsu


「時は流れるものだ」

実感として感じながら、私はアヴェニューの長い坂道を登った。

35年前、自転車に乗って行き返りしていた坂道が、何と長く感じられることか。

距離としては4キロメートルほどだが、単調な上りに疲労がたまる。

年は取りたくないものだ。

レトロがかった郵便ポストに自分の姿を重ねる。



明治時代に日本の郵便制度は英国から導入されたので、ポストの色も形も同形だ。

「こいつは変わっていないのだな」

ふと微笑ましくなる。

35年前と明らかに変わっているのは、バス停の表記だ。

以前は時刻表すらなかった。

驚いたことに、立派になった停留場には,デジタルの表示板までついている。



誰一人待ち人がいないバス停に、到着時刻を知らせる数値が妙にアンバランスだ。

坂道を登りきったところに大学がある。

以前、私がいた海洋学部は、今はウォーターフロントへ引っ越している。

さらに10分ほど進むと右に折れる。

少し道に迷いながら懐かしい門にたどり着く。

35年前、大きな荷物をかついでやってきた、大学の寮だ。

グレンエアーコンプレックス

2012年に車で来た時には、見落としてしまった看板だ。

中に入るとレンガ造りの建物と、コンクリートの建物とが一定の距離をとって配置されている。

入寮するときに

(1)とても騒がしい部屋

(2)騒がしい部屋

(3)普通の部屋

(4)静かな部屋

(5)とても静かな部屋

の5段階から選ぶことができた。

私は最初(3)の部屋を選んだのだが、早々に(5)へ変更する羽目となった。

日本人にとって「普通の部屋」は、イギリス人にとって「とても静かな部屋」に相当することを知った。

最終的に落ち着いたレンガ造りのフラットは、私の生活にあっていた。



こうして暮らした2年間は、多くの思い出にあふれている。

35年ぶりにたどり着いた記憶のつながりは、出会いの場所でもあった。

ここで初めてブライアンとも会った。

ワインレッドのジャガーで迎えに来てくれた中年のおじさんは、寮でも話題だった。

その彼は、今はいない。

次々と思い出が広がる。

35年ぶりのゲレンエアーは、ちっとも変わらずにあった。

時は流れるが、変わらないものもある。

この事実に、少しほっとした時間を過ごすことができた。