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沖縄サンバカーニバル、名古屋サンバカーニバルへのオ・ペイシの情熱を語っています。世界一、心のこもったカーニバルを!

モシダージ優勝フェスタへ

2012-03-26 | サンバ
 2012年のカーニバルで優勝した、我がモシダージ・アレグレ。一息ついた頃に優勝フェスタを行うのですが、今年はなかなか優勝フェスタの日程が決まりませんでした。

 それも結果発表の席で、残りの審査結を奪う人がいたため、モシダージはそれまでの得点は1位だったものの、優勝が決定したのか、しないのか、すぐに喜ぶことができませんでした。

 それから1カ月後、モシダージのメンバーには、全審査員の点数とコメントが送られ、モシダージの優勝が正当であることを裏付ける資料が来ました。正真正銘、モシダージが優勝なのです。

 4月21日、モシダージの優勝フェスタが行われます。
 リオからは、チジューカとサウゲイロも参加します。アセッソ(2部)からエスペシャウ(1部)に舞い戻った、ネネも来ます。

 沖縄サンバカーニバルでいえば、この優勝フェスタは、カーニバルのあとの打ち上げです。
 楽しいフェスタになりそうです!
 
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フリーダンサー パシスタ 久々に!

2012-03-21 | サンバ
 今年のサントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンでは、17年ぶりに、フリーダンサーのグループ、「アーラ・ダス・パシスタス」が結成されました。

 このパシスタのグループ、チームによって、色々な考え方があり、私がもう一つ出ているチーム、モシダージ・アレグレでは、もう廃止にして10年ほどになります。

 ジョーベンには、このパシスタが出来て、とても華があってよかったと思います。

 このアーラの世話をしたのが、ジョーベンはサンバ・クィーンである、ハイーニャ。彼女はとっても忙しい日程だったのに、よくアーラの面倒をみていました。

 アーラの責任者というのは、衣装を手配したり、みんなが、パレードでうまく隊列を組んで踊るように指揮したり、結構大変な役目です。

 沖縄サンバカーニバルでも、このアーラのまとめがうまくできれば、パレード全体がとてもまとまってよくなるのです。

 写真は、ジョーベンの予行練習、エンサイオ・テクニコでパシスタの女の子たちと撮ったものです。生粋のジョーベンの女の子たちが、このアーラにいたことが、とても嬉しかったです。おそろいのワンピースも、かわいいですよね。

 

 
 
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サンバはチームを超えて

2012-03-11 | サンバ
 カーニバル前のハイ・シーズンになると、サンバチームとして出場するイベントがたくさんあります。
 
 招待を受けるとチームは、旗持ちのカップル、バテリア(打楽器隊)、歌手、ギター、コルチ(王室)を引き連れて、参加します。

 サントスFC応援団のサンバチーム、トルシーダ・ジョーベンのコルチのダンサーとして踊っている私も、打楽器隊のメンバーである夫も、イベントには必ず参加します。

 今年、とても行きにくいイベントがありました。

 それは、ここ数年、不義理をしているサンバチーム、プローバ・ジ・フォーゴ。2007年、2008年はほぼすべての練習へ通ったのですが、このところジョーベンと同じカテゴリーになり、ライバルチームとなってしまった以上、すっかり遠のいてしまったのです。


 かつては、地下鉄、電車、バスと乗り継ぎ、日本でいえば、東名高速のような大幹線道路の脇をテクテクと歩き、無人の歩道橋を渡り、よく通ったものなのですが・・・。


 ジョーベンが呼ばれたフェスタの主催者は、UESPというサンバのリーグだったのですが、フェスタの会場が、このプローバだったのです。

 不義理をしていて悪いな~という気持ちと何か気まずい気持ちで、複雑な感情だったのですが、会場に入り、プローバのハイーニャと挨拶をした瞬間から、それはだんだん、消えていきました。

 4年ぶりの再会でしたが、かつては一緒に踊った仲間。プローバのコルチの女の子も、半分は以前と同じメンバー。同窓会で友達に再会するような、懐かしい感覚がありました。

 ジョーベンのショーに、彼女たちを呼び、ジョーベンのバテリアの前で彼女たちと一緒に踊ったときは、どこのチームにいても関係はない。サンバが好きだという気持ちがあれば、チームを超えて、一人ひとりがつながっている、と強く感じました。

(写真はプローバのハイーニャ、リリアン)
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モシダージ 新ハイーニャ

2012-03-04 | サンバ
 カーニバルの優勝パレードから1週間。
 すでに遠い昔のことのようにも思えますし、めまぐるしく起きたさまざまなことの最中に今もいるようにも思えます。

 今年、サンパウロで優勝した我がモシダージ・アレグレは、この1年、バテリア(打楽器隊)の前で踊る大人のハイーニャ(サンバ・クィーン)は、不在でした。

 リオの大きなチームのほとんどは、このポジションは有名な女優やモデルが務めていますが、サンパウロでは、チームのダンサーがついていることが多いです。

 モシダージ・アレグレの前ハイーニャは、オ・ペイシのサンバ講師でもあるナニでした。
 新ハイーニャは、写真のアリーニです。ダンスはもちろん、スルド(大太鼓)もタンボリンも叩き、過去には、コミサン・ジ・フレンチ(先頭隊)のソロ・ダンサーもやっていました。

 表情豊かで、人あたりもとってもいいハイーニャです。

 印象としては、彼女が急にハイーニャに抜擢されているように感じている人も多いかもしれませんが、実は全然そうではありません。

 この3年ほどの間、ハイーニャがいないときに、アリーニは、日曜日の練習で試験的にバテリアの前で踊ってみたり、エンサイオ・テクニコ(予行練習)で経験として、バテリアの前で踊ってみたりしていました。正式にハイーニャになる前から、随分、精神的にも経験としても準備がありました。

 ハイーニャは、カーニバル当日は、スポットライトを浴びますが、なかなか大変です。
 ナニ同様、新ハイーニャも応援しています!

 (写真の中央が、新ハイーニャのアリーニ。カーニバル本番の直後。このときは、モシダージが優勝とは、まだわかっていませんでした。)
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カーニバル優勝パレード

2012-02-26 | サンバ
 サンパウロのカーニバルの優勝パレードが昨日ありました。
 我がモシダージ・アレグレは、優勝チームなので、一番最後の出番です。
 
 結果発表の最中に、採点表の略奪事件があり、優勝の感激をなかなか味わうことができなかった今年のカーニバル。この優勝パレードにも、2位のチームが、我々モシダージに投げつける生卵を用意している、というような噂もあり、ちょっと不安もありました。

 でも、サンバが好きだという気持ちは、誰しも同じです。気持ちよく、優勝パレードをすることができました。
 
 写真と共に、少しずつカーニバルにまつわる話を書いていきたいと思います。

 私にとっての次のカーニバルは、沖縄サンバカーニバル。じっくり準備をしていきます。
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モシダージ・アレグレ優勝!

2012-02-22 | サンバ
 オ・ペイシが17年間、出場し続けている、サンパウロのサンバチーム、「モシダージ・アレグレ」が優勝しました!
 
 大混乱の結果発表。未発表の審査結果を破く人、山車を放火する人、トロフィーを盗む人・・・と逮捕者が3人も出る、というひどい状況でしたが、モシダージは優勝です!
 
 クアドラ(練習場)で正式な優勝の発表を待ち続けること6時間。

 なぜモシダージは、ここ数年、こんなに優勝できるのか。17年間、このチームの一員でいて、その理由が、私は体感できているように思います。

 モシダージ・アレグレは、本当に素晴らしいチームです。この糧を沖縄サンバカーニバル、日本のサンバに活かしていければ、本望です。

 そして、明日は、ジョーベンの発表です。さらにドキドキ。
 

 
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カーニバル無事終わる

2012-02-21 | サンバ
 今日はリオでは、マンゲイラやチジューカのカーニバルの日ですが、私にとっては、我が愛するサンバチーム、サントスFC応援団、トルシーダ・ジョーヴェンのパレードでした。

 テーマは、サントス100周年。パレードの出発前には、サントス応援歌を歌い、ジーンときました。

 まずは、カーニバルが無事終わり、ほっとしました。
 このチームのパレードに出るようになって16年、コルチ(王室)を務めて11年。本当に色々なことがありました。

 今年のコルチは、写真のようにまた一新しました。

 明日は、モシダージ・アレグレの結果発表です。さあ、どうなるでしょう。ドキドキ。
 
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カーニバル直前 日に3回練習

2012-02-12 | サンバ
 カーニバルまでいよいよ1週間となりました。
 この時期は、本当に忙しく、なかなかブログを書くタイミングがないまま、日々、色々なサンバイベントが目まぐるしくあります。
 
 今日は、ジョーベンとモシダージのカーニバル会場での予行練習が重なっており、夕方に1回、そしてまた衣装を替えに家へ帰り、夜もう1回。その後に、再度、ジョーベンの夜通し練習があり、早朝、帰って来たところです。

 このトリプル練習の日を以前から、恐れていたのですが、意外に、そつなくこなすことができ、まずは、満足です。

 来週の今日には、もうモシダージのカーニバルが終わっています。

 しかし、まだまだカーニバル直前まで、練習とイベントが続きます。

 もうひと頑張りです。あっ衣装制作もまだ終わっていないのです・・・
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私のアーラが40周年

2012-01-23 | サンバ
 私は、サンパウロのサンバチーム、モシダージ・アレグレのカーニバルに出場するようになって今年で17年になりますが、そのうちの4年以外、つまり13年は「エン・シーマ・ダ・オーラ」という小集団(アーラ)で出場しています。
 そのアーラが今年、40周年を迎え、先日、祝賀会のフェスタがありました。
 
 アーラとは、沖縄サンバカーニバルでいえば、OOSのように一つの小集団として、ユニットを組んで、カーニバルに出場します。
 OOSをご存知の人は、アーラの結束がどれだけ強く、カーニバルをひっぱっていく原動力となっていることが実感としてわかると思います。

 エンシーマ・ダ・オーラの40周年とは、すごい歴史です。沖縄サンバカーニバルは、まだ11年ですが、40回のカーニバルをし、40種類の衣装を作り、毎年毎年ある色々な問題を乗り越えて、アーラを運営しているのですから。
 特に、去年は、アーラの後継者である27歳の愛息子が、事故で全身やけどを負い亡くなるという、悲しい出来事がありました。
 
 それでもアーラは、途絶えることなく、続いてきたのです。
 カーニバルの歴史を支えているのは、こうしたアーラ一つずつだと、強く感じます。

 私は、このアーラでは相当の古株なので、ずいぶんみんなによくしてもらっています。家族や親戚を母体に始まったアーラで、おばあさんの代から孫の代まで3世代がいる中で、私も親戚の次に古いメンバーとして、入れてもらっています。
 我が家でいえば、親戚の集まりに、友達が入っているような感じです。

 もともとは、このアーラのパシスタ(フリーダンサー)だったので、この日の祝賀会でも、10数年前のカーニバルのDVDを見て、みんなで懐かしみました。

 モシダージ・アレグレの歴史が44年あるなかで、40年アーラを続けていること。その一部に、私も入れてもらえているとは、外国人ながら、大変ありがたいことです。
 何か恩返しをしたいところです。

 今年のカーニバルまで、日曜日の練習は、早くもあと2回のみです。

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カーニバル練習、練習、練習・・・

2012-01-16 | サンバ
 沖縄サンバカーニバル→息子の受験→サントスFC 世界クラブ選手権応援→ポルトガル訪問 と11月末から、立て続けに色々なイベントがあり、ようやくモシダージ・アレグレの練習へ行くことができました。

 あまりに長い間、モシダージを離れていたので、「バテリア(打楽器隊)はもうクビかな~」と恐る恐るモシダージへ行った夫。私が、クアドラ(練習場)で、今年のカーニバルの衣装を見ている間に、夫は新しいバテリアのシャツを着て、楽器を持って、ステージに上がっていたので、笑ってしまいました。

 レッドカードは、どうやらまぬがれたようです。

 しかし、カーニバル1カ月前の現在、私も夫も、練習、練習、練習の日々。一晩に2箇所の練習へ行く日もあり、息子にあきれられている次第です。(笑)
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