昨日のモシダージ・アレグレの選曲会決勝は、サンパウロの各サンバチームも注目する大決戦でした。会場は、入口が混乱するほど人があふれ出ていました。
準決勝、セミ・フィナウに勝ち残るだけでも、作曲者にとっては嬉しいことで、それが決勝となれば、こんな栄誉はありせん。
実は、今年の決勝は、ウチナーンチュ(沖縄人)の激戦でした。当事者でさえ、こんな見方はしていないのですが、決勝に残った作曲者グループは、出場順に下記の4チームでした。
A シナ おじいさんが鹿児島出身の日系3世、奥さんの苗字は上原さんで、沖縄系3世。2007年、2008年のモシダージの曲は、彼の曲です。
B デニー 彼は作曲者ではなく、歌手として参加していたのですが、昨年の沖縄をテーマとしたサンバの編曲をしています。
C アレックス 彼の苗字は、玉城さん。見かけは典型的なモレーノ(褐色肌)なのですが、確かによ~く見ると、ウチナーンチュの顔をしています。おじいさんが沖縄出身。Aのシナ同様、日本語は一言も話しません。2005年のモシダージは彼の曲です。
D ビロ モシダージの実力作曲者。ほぼ毎年、決勝には残り、2000年、2001年、2008年(シナと共同優勝)が彼の曲です。
決勝ともなると、作曲者やその家族には、曲への思い入れがあり、歌が始まると、歓喜余って涙している人もいます。応援している人も、思い切り歌っています。サンバの歌の命は、はかないもので、精一杯歌いながらも、曲が優勝しなければ、この曲を公の場で歌うことは二度とないわけですから、この曲を歌うのは、最後かもしれない、という思いもあります。
私はウチナーンチュや日系つながりからいくと、A、B、Cのいずれも応援していたのですが、直前の日本人ブラジル移住100周年のイベントで、デニーに世話になったので、Bの応援団として、旗を持ったり、お揃いの帽子をかぶって応援していました。
優勝は、一番ファンが多く、メロディーラインが明るく、はっきりしていたCの曲になりました。沖縄系3世のアレックスの曲です。
この曲が発表された直後、ステージは、写真のように、みんなが上り、決まったばかりの歌を何度も繰り返し歌い、踊りました。ステージの装飾の大道具が、ガタガタと音を立ててゆれていて、もしかしたら、崩れ落ちてくるのでは・・・と冷やっとしたほど、盛り上がっていました。
オ・ペイシのダンス講師を務めてくれている、モシダージのハイーニャ(クィーン)ナニも妊娠8カ月の美しいお腹を出して、ステージで踊っていました。
準決勝、セミ・フィナウに勝ち残るだけでも、作曲者にとっては嬉しいことで、それが決勝となれば、こんな栄誉はありせん。
実は、今年の決勝は、ウチナーンチュ(沖縄人)の激戦でした。当事者でさえ、こんな見方はしていないのですが、決勝に残った作曲者グループは、出場順に下記の4チームでした。
A シナ おじいさんが鹿児島出身の日系3世、奥さんの苗字は上原さんで、沖縄系3世。2007年、2008年のモシダージの曲は、彼の曲です。
B デニー 彼は作曲者ではなく、歌手として参加していたのですが、昨年の沖縄をテーマとしたサンバの編曲をしています。
C アレックス 彼の苗字は、玉城さん。見かけは典型的なモレーノ(褐色肌)なのですが、確かによ~く見ると、ウチナーンチュの顔をしています。おじいさんが沖縄出身。Aのシナ同様、日本語は一言も話しません。2005年のモシダージは彼の曲です。
D ビロ モシダージの実力作曲者。ほぼ毎年、決勝には残り、2000年、2001年、2008年(シナと共同優勝)が彼の曲です。
決勝ともなると、作曲者やその家族には、曲への思い入れがあり、歌が始まると、歓喜余って涙している人もいます。応援している人も、思い切り歌っています。サンバの歌の命は、はかないもので、精一杯歌いながらも、曲が優勝しなければ、この曲を公の場で歌うことは二度とないわけですから、この曲を歌うのは、最後かもしれない、という思いもあります。
私はウチナーンチュや日系つながりからいくと、A、B、Cのいずれも応援していたのですが、直前の日本人ブラジル移住100周年のイベントで、デニーに世話になったので、Bの応援団として、旗を持ったり、お揃いの帽子をかぶって応援していました。
優勝は、一番ファンが多く、メロディーラインが明るく、はっきりしていたCの曲になりました。沖縄系3世のアレックスの曲です。
この曲が発表された直後、ステージは、写真のように、みんなが上り、決まったばかりの歌を何度も繰り返し歌い、踊りました。ステージの装飾の大道具が、ガタガタと音を立ててゆれていて、もしかしたら、崩れ落ちてくるのでは・・・と冷やっとしたほど、盛り上がっていました。
オ・ペイシのダンス講師を務めてくれている、モシダージのハイーニャ(クィーン)ナニも妊娠8カ月の美しいお腹を出して、ステージで踊っていました。