日本のニュースでは、ブラジル関係の悲しい事件が2つ報道されているようで、ブラジルに住んでいる者としては、胸が痛みます。
今日はワールドカップの決勝戦。ブラジルは、この決勝までたどりつくことができなかったのは、とても残念です。
沖縄でサンバ居酒屋「オ・ペイシ」をやっていたとき、ワールドカップのブラジル戦といえば、オ・ペイシに欠かせないお客さんがいました。
ドナ・オウガ。サンパウロ出身で日本に暮らして、もう20年以上になるでしょうか。試合の度に、1970年のメキシコ大会の時から試合の記録を書きとめているノートを持って、いつもオ・ペイシに試合観戦に来てくれていました。
2002年、2006年とオ・ペイシでドナ・オウガと一緒にブラジルを応援しました。ブラジルのTシャツを着て、記録ノートには、出場選手やゴールを決めた選手を書いていました。そんなドナ・オウガの熱心な応援ぶりは、地元紙の琉球新報が取材に来たほどでした。
今年はドナ・オウガと共にブラジルを応援することができませんでしたが、ここ3年、沖縄サンバカーニバルでは毎年、沿道に来てくれ、挨拶を交わしています。きっと今年もカーニバルで会えることでしょう。
悲しい事件が続く最中、ドナ・オウガのようなブラジル人もいることを知ってもらいたいと、ふと書いてみました。
今日はワールドカップの決勝戦。ブラジルは、この決勝までたどりつくことができなかったのは、とても残念です。
沖縄でサンバ居酒屋「オ・ペイシ」をやっていたとき、ワールドカップのブラジル戦といえば、オ・ペイシに欠かせないお客さんがいました。
ドナ・オウガ。サンパウロ出身で日本に暮らして、もう20年以上になるでしょうか。試合の度に、1970年のメキシコ大会の時から試合の記録を書きとめているノートを持って、いつもオ・ペイシに試合観戦に来てくれていました。
2002年、2006年とオ・ペイシでドナ・オウガと一緒にブラジルを応援しました。ブラジルのTシャツを着て、記録ノートには、出場選手やゴールを決めた選手を書いていました。そんなドナ・オウガの熱心な応援ぶりは、地元紙の琉球新報が取材に来たほどでした。
今年はドナ・オウガと共にブラジルを応援することができませんでしたが、ここ3年、沖縄サンバカーニバルでは毎年、沿道に来てくれ、挨拶を交わしています。きっと今年もカーニバルで会えることでしょう。
悲しい事件が続く最中、ドナ・オウガのようなブラジル人もいることを知ってもらいたいと、ふと書いてみました。