現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

夏目漱石「こころ」

2024-10-27 14:35:41 | 参考文献

 この文豪の名作にコメントするつもりはありません。
 ただこの作品を久しぶりに読んだのは、キンドル(電子書籍リーダー、その記事を参照してください)で無料で簡単に読めたからです。
 キンドルストアの無料本のベストセラーの上位には常にランクされていますから、かなりの人数の人びとがあらためてこの作品に触れる機会を得たのでしょう。
 この作品に書かれている世界は、明治天皇が崩御されて明治が終わるころですから百年以上前のことです。
 そのころに書かれた作品が、風俗の違いこそあれ、今でも大きな違和感なく読めるのは、漱石の平明な文章によるところが大きいものの、書かれている内容に普遍性があるからでしょう。
 こういった近代文学の古典を読むと、文学の力というものを改めて感じることができます。
 これらの古典的な作品を身近に味わえるところに、電子書籍による読書という新しい風俗のひとつの意義があるのではないでしょうか。
 その点では、一部の例外を除くと、日本の児童文学の代表作の電子化は遅々として進んでいません。
 一方、英語圏の児童文学の代表作は、ほとんどが電子書籍になっていて、無料もしくは安価で手に入ります。
 日本の児童書の出版社が、児童文学作品を耐久財ではなく消費財と考えていることが、この点からも分かります。
 また、この作品の主人公や先生のような生き方(高等遊民)には、初めて読んだ中学生の時に強く憧れて、高校生や大学生の時にささやかながら実体験(当時の「高等遊民」の遊びは、最先端の演劇、映画、音楽、美術、文学などを追及することでした)しました。
 会社に勤めてからは、48歳までにHappy Retirementして高等遊民に戻りたいと考えていましたが、子どもが生まれたのが遅かったせいもあって実際にはだいぶ遅れてしまいました。
 今はようやくそういったものを追求できるのですが、現在ではかつての高等遊民の遊びの各分野とも、商業主義がひどく進んでしまっているので、それらの最新のものは追わずに古典や名作に親しむ方が無難なようです。

こころ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
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大江健三郎「どんな人になりたかったか?」「自分の木」の下で所収

2024-10-19 09:05:54 | 参考文献

 筆者は、子供たちから標記のような質問をよく受けるそうです。
 それに答える形で書いています。
 まず筆者があげたのは、国民学校の低学年のころにいた用務員のおじさんです。
 普段は怖そうでとっつきにくいおじさんが、校庭に紛れ込んだ野犬に逃げ遅れた女生徒たちが襲われそうになったとき、一人で竹箒で立ち向かい、見事に撃退したそうです。
 子供たちを意識したのか、やや格好つけている感はしますが、そうした無名の人をあげています。
 もう一人は、どんな人になりたいかの模範作文のような形で、小学校四年生だった丸山眞男が書いた、関東大震災の時に学校へ避難した人たちを先に逃がして、自分は逃げ遅れて惨死された校長先生を称えた作文を紹介しています。
 これもまた、その作文の文章を添削する部分も含めて、教育的配慮が過ぎて面白味に欠けています。

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大江健三郎「なぜ子供は学校に行かなければならないのか」「自分の木」の下で所収

2024-10-18 13:41:59 | 参考文献

 ほとんどの子どもたちが持つ、この古典的な疑問について、作者は自分自身の子どもの時の体験と自分が親になった時の体験をもとに答えています。
 前者は、戦争直後の10歳の時に、今でいう不登校になったことです。
 不登校の理由は、教師たちへの不信感です。
 ご存じのように、戦中は、「天皇は神」「鬼畜米英」と、子どもたちに教えていた教師たちが、戦後は手のひらを返したように、「天皇は人間」「アメリカ人は友だち」と教えるようになったからです。
 10歳の時の作者は、その変化自体を問題にしていたのではなく(戦争が終わったことは人を殺さなくてすむことであり、みんなが同じ権利を持つ民主主義はいいことだと認識していました)、「これまでの考え方、教え方は間違いだった、そのことを反省する」と、子どもたちに言わないで平気で反対のことを言う教師たちが信じられなかったのです。
 学校へ行くよりは、森へ行って家業に必要な樹木の知識を得た方がいいと考えていました。
 その後、森で嵐にあって雨に打たれて高熱を出して死線をさまよった時に、母と交わした不思議な(夢か現実か、はっきりしません)会話(たとえ彼が死んでも、母がもう一度新しい子を産み直して、今までのことをすべて話して同じ子にしてくれる)をきっかけに、容体も持ち直して再び学校へ通えるようになります。
 そして、次第に、自分自身も、学校の他の子どもたちも、みんな誰かの生まれ変わりであり、その新しい子どもたちになるために、「僕らは、このように学校に来て、みんなで一緒に勉強したり遊んだりしているのだ。」と考えるようになります。
 ここには、すでに国で決められたことを画一的に教える教師たちの姿はなく、「言葉」を媒介にして主体的に勉強したり遊んだりする子供たちが学校の主人公であることが明確に語られています。
 これらのことは、教育界に限ったことではなく、児童文学の世界でもまったく同様です。
 戦中は子どもたちを戦場へおくるのに積極的に手を貸すような作品を書きながら、戦後は何の反省の弁もないまま、手のひら返しで平和主義の作品を出版した児童文学者たちも存在します。

 後者は、作者が障碍者の親になって、子どもが「特殊学級」や「養護学校」に通うようになった時に、環境になじめない自分の子どもを見ながら、「三人で村に帰って、森のなかの高いところの草原に建てた家で暮らすことにしたらどうだろうか?」と夢想する時です。
 もちろん、高名な文学者(当時は今とは全く比べにならないほど純文学の本は売れていましたし、作者はその中でもナンバーワンの人気作家でしたから、経済的にかなりゆとりがあったことでしょう)である作者でなければそんなことは実現はできないわけですが、学校に苦しむ子どもたちの親ならば同様の思いを抱いたことがあると思います。
 しかし、その後、作者の子どもは、学校に自分自身の居場所(ここでも、それは教師との関係ではなく、自分と似たような仲のいい友だちの存在であったことは、象徴的です)を見つけます。
 そして、作者は「自分をしっかり理解し、他の人たちとつながっていく言葉(国語だけでなく、理科も算数も、体操も音楽も、外国語も)を習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ」と主張しています。
 私は、作者ほど学校という制度(教師だけでなく)に信頼をおいていないので、学校は楽しければ通えばいいし、楽しくなければ通わなければいいと思っています。
 自分自身を振り返ってみても、小学校から大学までズル休みばかり(ひどいときには一学期の間に数週間分も)していたのですが、小学五年生、中学三年生、高校二年生、高校三年生、大学二年生の時だけは、全出席(もともと病気は全くしなかったので)だったと思います。
 そんな時は、いつも仲の良い友だちや好きな女の子が学校にいました。
 そういった意味では、作者の主張も、ある程度はあてはまるのかなとも思っています。


「自分の木」の下で (朝日文庫)
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朝日新聞社



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大江健三郎「「「自分の木」の下で」

2024-10-06 09:19:56 | 参考文献

 16のメッセージと32のカラーイラスト(妻の大江ゆかりによるもの)からなる、子どもたちの疑問に答えるために書かれたエッセイ集です。
 特に、興味深い疑問については、個別に記事を書きましたので、それを参照してください。
 子どもといっても、中には高校生ぐらいの若い世代でないと分からないような内容になったと著者は反省し、宮沢賢治はすごいと言っていますが、賢治も「注文の多い料理店」の新刊案内(その記事を参照してください)の中で、「少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉(思春期、青年期)に対する一つの文学としての形式」と述べていますから、対象はほぼ同じで、正しく児童文学のひとつと考えていいと思われます。
 他の記事にも書きましたが、著者は典型的な教養主義時代の地方出身の優等生なので、その子ども時代の過ごし方や勉強方法は、この文章が書かれた2000年頃でも、大半の子どもたちにとっては、理解したり実践したりすることは難しかったかもしれません。
 しかし、ノーベル文学賞も受賞した著者が、子どもたちに真摯に向き合い、より理解しやすくなるように平明な文体まで作り上げた姿勢には感銘を受けました。

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大江健三郎「私の勉強のやり方」「自分の木」の下で所収

2024-10-05 08:49:26 | 参考文献

 ここで著者が述べている勉強方法は、典型的な教養主義時代の勉強方法です。
 まず、古典(例としては、岩波文庫に入っているような古今東西の文献)を若いうちから読んで、わからないところには書き込みや印をつけておきます。
 そうした本を、時をおいて繰り返し読んでいくと、人生経験を積むにつれてだんだんわかるようになるとしています。
 他の文章で書いていたそうした古典の文章を書き写す勉強方法(その記事を参照してください)と合わせて、いわゆる読み書きそろばんを重視した伝統的な勉強方法です。
 こうした方法は、「文章を読みといて、書き手の考えを理解する」「自分の考えを正確に文章で書き表す」ために、非常に有効な方法だとは思います。
 著者は基本的には文系の人なので触れていませんが、数学の様々な問題を解く「論理的に結論を導き出す」訓練ももうひとつの大事な勉強方法です。
 ただし、教養主義が没落し、役所や企業が即戦力を求める時代において、若い世代が資格試験やディジタル(メディア)・リタレシーなどの実学重視になっている現状では、著者のような作家や文系の研究者を目指している人以外にはあまり受け入れられないかもしれません。

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ジョン・マクレガー「ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で」

2024-09-29 08:30:53 | 参考文献

 アウトサイダー・アートの中でも特に巨大な存在である、ヘンリー・ダーガーの「非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ‐アンジェリニアン戦争の嵐の物語」に関するジョン・マクレガーの解説や論文を、訳者の小出由紀子が再構成したものです。
 なにしろ著者によると、世界最長の物語(タイプライターで清書された1万5145ページの及ぶ原稿と、最長4メートル近くの巨大な数百枚の挿絵)で一生かかっても解読できないであろう大作なので、ごく一部を紹介するにとどまっています。
 その内容は、子供奴隷たち(すべて女の子)を悪の大人グランデリニアンから解放する戦争における、七人姉妹の少女(幼女)戦士ヴィヴィアン・ガールズの冒険が描かれています。
 挿絵に描かれているヴィヴィアン・ガールズは、当時の雑誌などに載っていた少女(幼女)絵そのものです(実際にダーガーは、雑誌に載っていたそれらの絵を、写真屋で引き伸ばしてもらい、それをトレースして彩色加筆しています。経済的に貧窮していてめったに引き伸ばしができなかったので、同じ少女絵をいろいろな挿絵の中で使いまわしています)。
 初めは、無邪気な少女趣味な絵が多かったのですが、時がたつにつれて、次第に残虐でグロテスクな絵が増えていきます。
 ダーガーは敬虔なカトリック教徒だったのですが、次第に信仰に疑念が生じてきたことからこのような変化が生じたようです。
 こうした異常ともいえる長大な絵物語の製作は、19歳ごろから81歳で亡くなる直前までの60年以上にわたって続けられました。
 この絵物語は、彼の死後に遺品を整理しようとした大家によって発見され、幸いにもその人が芸術に深い理解があったため、奇跡的に救出されて世間の注目を浴びることになります(彼の住んでいた部屋もそのまま保存されています)。
 こうした創作活動は、彼の文字通りの孤独(3歳の時に出産時の感染症のために母親と死別し、その原因となった妹はそのままどこかにもらわれていき、彼が生まれた時にすでに年老いていた父が健康を害したために8歳でカトリックの児童施設へいき、さらにそこから精神薄弱児施設に移り、17歳の時にそこを脱走して生まれ故郷のシカゴに戻り、71歳まで社会の最下層の労働をし、その後は社会保障で暮らしていましたが、その間一人の友人も親類もいませんでした)の中で、彼のいうところの「非現実の王国」を作り上げるためにささげられていました。
 彼の芸術的才能はその間に全くの独学で開花していくのですが、一人芝居(声色を使って、空想の男女の訪問者と会話をする)、物語の創作(南北戦争に影響を受けていると思われる壮大な架空の戦争を、物語あるいはルポルタージュ風に書き上げているようですが、この本ではほんの断片が紹介されているだけです)、膨大で長大な挿絵群(彼の絵画的才能は、主にトレーシング、ドローイング、カラーリング、構成、コラージュなどに発揮されているようです)として、結実していきます。
 その世界には、出産のために亡くなった母親、生き別れた妹のイメージが、繰り返し投影されているようです。
 先ほども書きましたが、ダーガーの挿絵群は、初めは無邪気なものが多かったのですが、次第に残虐なシーンが増えていきます。
 残虐なシーンは、ここで書くのがはばかれるぐらいグロテスクなのですが、もっと衝撃を受けたのはそこに出てくるおびただしい子供奴隷たち(女の子ばかりです)の裸の股間に男性の性器が非常に簡単な筆致で描かれていることでした。
 それらを見たときは、性的倒錯ないしはユニセックスを意味するのかと思ったのですが、著者の説明はもっとショッキングで、ダーガーは男女の違いを知らないので女の子も自分の子どものころと同じだと思ってそのように描いたというのです。
 確かに非常に簡単化して描かれているので、ダーガーにとっては性的な意味はほとんどなかったのでしょう。
 父親と暮らした時代及び児童施設時代は、彼は普通の教育を受けていて成績も悪くありませんでした。
 しかし、感情面で問題があって(クレイジーというあだ名でした)、精神遅滞児の施設に移ってからは、ほとんど教育を受けていなかったようです。
 そこから脱出してからは、他人とはほとんど交流せずに、五十年以上単純労働(病院の皿洗いなど)をし、働けなくなってからは社会保障により、一人アパートでひっそりと暮らしていました。
 情報源といえば、ラジオとゴミ捨て場から拾ってくる新聞や雑誌だけでした。
 そうした外部からほとんど遮断された生活が、彼の作品世界をどんどん歪ませていったのでしょう。
 誰一人読者も観客もいない、いや想定すらしない、自分とおそらく神だけのための創作活動に、六十年以上も彼を駆り立てていたのは、おそらく創作者の誰もが経験する自己陶酔感だったのではないでしょうか。
 しかし、その陶酔は、ダーガーに天国だけでなく地獄までもたらしてしまったようです。

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
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鈴木晋一「新美南吉」子どもと文学所収

2024-09-25 08:57:47 | 参考文献

 著者は、現在(現代児童文学がスタートする前の1950年代)までの日本の児童文学者において、南吉を宮沢賢治につぐ存在だと高く評価しています。
 この評価のおかげもあってか、南吉は再評価されることになり広く読まれることになります。
 それから約六十年たった今でも、賢治ほどではありませんが、南吉の作品も多くの読者に読まれています。
 また、南吉の作品は、多くの追随作、模倣作を、今に至るまで生み出し続けています。
 賢治の作品をまねるのはとても無理でも、南吉のような作品だったら書けるかもしれないと、多くの初心者が思うのかもしれません。
 それは、南吉の作品が、身近な題材を比較的平易な言葉で描き出しているからでしょう。
 著者は、南吉のそれほど多くない作品を、心理型(少年の心理をほりさげるのに重点を置いた作品)とストーリー型(ストーリーの起伏や展開に重点を置いた作品)に分類しています。
 著者は、それまで南吉を世に出した巽聖歌たちに高く評価されていた心理型ではなく、ストーリー型の作品を高く評価しています。
 それは、「おもしろく、はっきりわかりやすく」を標榜する「子どもと文学」の立場では当然のことですが、最後まで彼のストーリーのどんな点が優れているかがはっきりしません。
 いくつかの作品のあらすじを紹介していますが、評価しているのは登場人物(動物)のキャラクターだったり、「描き方がしっかりしている」、「文章のたくみさ」、「意表を突く」、「奇抜」といった抽象的なものばかりだったりして、肝心の物語構造に言及していません。
 しいて言えば、「人生の中にふくまれているモラルとか、ユーモアとかいうものを事件として組み立て、外がわから描き出せる人でした。」という最後に書かれた南吉への評価ですが、これは南吉が(事件を外側から描き出せる)ストーリーテラーであるだけでなく、心理型で少年の心理をほりさげたように、人間や社会というものの内側をほりさげる能力を持っていたからではないでしょうか。
 そして、それこそが、南吉の作品が「文学性の高さ」を持っていた理由だと思われます。
 この論文が、いたずらに表面的なストーリーテリングの能力を強調し、南吉のもう一つの優れた一面である心理型の作品を生み出す能力を無視したために、登場人物や社会の内側を掘り下げない、南吉作品の安易な追随作、模倣作が量産されるようになったのでしょう。

子どもと文学
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渡辺茂男「子どもの文学とは?(前半)」子どもと文学所収

2024-09-20 08:33:58 | 参考文献

 石井桃子と分担する形で、この大きな命題を担当しています。
 著者は、以下の小見出しの部分を執筆しています。
「ちびくろ・さんぼ」
「いちばん幼いときに」
「お話の年齢」
「昔話の形式」
「子どもの文学で重要な点は何か?」
 「子どもと文学」の中で、最も突っ込みどころが満載で、出版当時もいろいろな批判を浴びましたし、後年になってその視野の狭さやここで述べた内容が技術論に偏っていたことによる現代児童文学(特に幼年文学)に与えた悪い影響も指摘されました。
 著者を個人攻撃するつもりはありませんので、フェアになるように著者について簡単に紹介いたします。
 著者は、後年、私の大好きな「ミス・ビアンカ」シリーズや「エルマーの冒険」シリーズを初めとした魅力的な英米文学をたくさん翻訳し、「寺町三丁目十一番地」という優れた作品も創作し、慶応大学教授として図書館学を中心に後進の教育にもあたった児童文学者です。
 しかし、この文章を書いたときは、アメリカでの留学と図書館での実習から帰国したばかりで、「子どもと文学」を作った「ISUMI会」にも途中から参加しています。
 メンバーの中では一番若く、途中参加で日本の児童文学にも疎かった(逆に当時のアメリカの図書館の強い影響下にあった)と思われる青年に、この一番肝ともいえる部分(あるいはそう考えていなくて、「子どもの文学で重要な点は何か?」という命題自体を軽視していたのかもしれません)執筆させたのですから、文責はメンバー全体にあると考えていいでしょう。
 そして、そのことが、「英米児童文学」(かれらは欧米と書いていますがほとんどイギリスとアメリカだけです)の強い影響と、それを日本の児童文学にダイレクトに適用する限界を示しているのかもしれません。
 また、以下に、内容に含まれている差別やコンプレックスや偏見を指摘していますが、それは著者や他のメンバーたちが特に差別主義者であったかとか、視野が狭かったかということではなく、当時の日本人の一般的な(というよりはやや進歩的な人たちだったからかもしれません)考えがそうだったということだと思われます。

「ちびくろ・さんぼ」
 この作品自体が、黒人差別だということで、現在はほとんど絶版になっています。
 この問題については、それだけで本になっています(詳しい内容やこの問題に対する私の意見については、それに関する記事を参照してください)。
 まず、この本がイギリスやアメリカで「三びきのクマ」や「シンデレラ」などと並ぶほどの名士になっていると書いていますが、著者は黒人の子ども読者がこの作品をどのように読んでいるかは無視しているのではないかとの疑念がわいてきます。
 次に「ちびくろ・さんぼ」の内容を説明していますが、それらについては関連の記事を参照してください。
 最後に、病院での実験(五冊の本の反応を比較する)を紹介し、この本が一番「子どもが気にいった」として、その理由として「登場人物の心理、倫理性、教訓性など、抽象的な要素は弱く、具体性、行動性、リズム、スリル、素材の親近性、明るさ、ユーモアなどの要素が強い」としています。
 まず、このような「子どもが気にいった」という評価基準を、あたかも優れた児童文学の基準であるかのようにする書き方は問題が多いと思われます。
 例えば、子どもに、「コーラと、フルーツジュースと、野菜ジュースと、牛乳と、水」を与えて、「どれが気にいった」かで優れた飲料を決めるようなものです。
 この例が極端だとすれば、「ゲームと、アニメのDVDと、コミックスと、図鑑と、児童書」でも構いません。
 子どもたちにとっての、その時の状況や目的によって、「どれが気にいった」かなどは変わるものであり、絶対的なものではありませんし、多数決で決めるものでもありません。
 また、「登場人物の心理、倫理性、教訓性など、抽象的な要素」は、子どもの本にはまったくいらないのではないかとのミスリードを起こして、子どもの本の範囲を不必要に限定してしまう恐れがあります(現に多くの後進の作家(特に幼年文学)に悪い影響を与えました)。

「いちばん幼いときに」
 ここに書かれていることはおおむね正論なのですが、当時の日本の児童文学の問題点が具体的に書かれていないので、たんなるイギリスのマザーグースや日本のわらべ歌や昔話と比較しての批判だけになってしまっています。

「お話の年齢」
 題名とは関係なく、ふたたび、昔話のわかりやすさについて述べられているだけで、「お話の年齢」という題名に込められた著者の意図が不明です。

「昔話の形式」
 昔話の構造がモノレール構造で、「はじまりの部分」、「展開部」、「しめくくりの部分」で構成されていることが、ノルウェイの民話「三匹のやぎ(現在は「三びきのやきのがらがらどん」というタイトルで親しまれています)」を用いて詳しく説明しています。
 その分析は正論なのですが、それを「子どもの文学」全体にあてはめようとするのが無理なので、「幼年文学」と限定すればおおむねあてはまります。
 おそらく、この前の「お話の年齢」で、そのことをきちんと書けばよかったのでしょう。

「子どもの文学で重要な点は何か?」
 こんな書くのも恐ろしいような大テーマを、「素材とテーマ」、「プロット」「登場人物の描写」、「会話」、「文体(表現形式)」などに分けて、主に書き方について検討しています。
 このために、「子どもと文学」は、「技術主義偏重」「内容のないステレオタイプな作品(特に幼年文学)を量産した」と批判を受けました。
 「子どもと文学」全体では「子ども」の年齢を特に明示していないのですが、石井桃子の担当部分では「二歳から十二、三歳まで」と書かれているので、ケストナー(8歳から80歳)や宮沢賢治(アドレッセンス中庸、詳しくはその記事を参照してください)や現在の児童文学の定義(赤ちゃんからヤングアダルトまでの未成年者全体)と比べるとそれでもかなり狭い(特に上限が低い)ようです。
 著者の文章の対象年齢はさらに低く、現在で言えば「幼年文学」ならばあてはまることが多いようです。
 内容について、特に問題があると思われるのは、「素材とテーマ」の部分に集中しています。
「死であるとか、孤独であるとか、もののあわれを語ることがどんなに不適当なものであるかは、欧米の児童文学の歴史がはっきりと証明してくれます。」
 このことが、「現代児童文学」が人生や人間(子どもたちも含む)の負の面を取り扱うことをしなくなることにつながり、こうしたタブーが「現代児童文学」で破られるのは1970年代になってからでした(皮肉にも、海外ではこうしたタブーはこの文章が書かれた時にはすでになく、ハンガリーのモルナールが「主人公の死や彼が死を賭して守った空き地の喪失」を描いた「パール街の少年たち」を書いたのは1907年ですし、ドイツのケストナーが「両親の離婚」を描いた「ふたりのロッテ」(その記事を参照してください)を書いたのは1949年です(ただし、この作品はユーモラスなハッピーエンドなので、シリアスに描いた作品の嚆矢は、1966年(この文章よりは後ですが)に書かれたロシア(当時はソ連)のフロロフの「愛について」(その記事を参照してください)でしょう。こうしてみると、「子どもと文学」の視野が、欧米と称しつつ、いかに英米児童文学に限定されていたかがよくわかります)。
「悲惨な貧乏状態を克明に描写したものや、社会の不平等をなじったものも、(中略)ストーリ性のない観念的な読み物となっていることが多く、どうしても子どもたちをひきつけることはできません。」
 皮肉にも、「子どもと文学」が出版されたちょうど同じ年(1960年)に出版された山中恒「赤毛のポチ」は、「悲惨な貧乏状態を克明に描写したもの」で、なおかつ「社会の不平等をなじったもの」でしたが、「ストーリ性のない観念的な読み物」ではなかったので、大人読者だけでなく子ども読者にも広く読まれました(その後の社会主義的リアリズムの児童文学作品で「赤毛のポチ」を超える物は生まれませんでしたが、その可能性は否定されるべきものではありません)。
「時代によってかわるイデオロギーは ―たとえば日本では、プロレタリア児童文学などというジャンルも、ある時代には生まれましたが― それを
テーマにとりあげること自体、作品の古典的価値(時代の変遷にかかわらずかわらぬ価値)をそこなうと同時に、人生経験の浅い、幼い子どもたちにとって意味のないことです」
 この文章に対しては、児童文学研究者の石井直人が「現代児童文学の条件」(その記事を参照してください)という論文の中で、「プロレタリア児童文学は、子どもたちの「人生経験」の場に他ならない生活の過程をこそ思想化しようとしたのではなかったのか、また、イデオロギーではないはずの「古典的価値」が批判された(「ちびくろ・さんぼ」が人種差別と批判されたことを指します)ことは時代の変遷に関わらない思想などありえないことの証ではないのか」と、批判しました。
 この批判は至極もっともですし、さらに言えば、それまでの日本の児童文学の読者対象が中産階級以上の子どもたちに限られていたのを、労働者階級の子どもたちにも開放した「プロレタリア児童文学」の歴史的な意義を無視して批判していることで、「子どもと文学」のイメージしている「子ども」が、実は英米の中流家庭の子どものようなものであったことが、図らずも暴露されているように思われます。


子どもと文学
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石井桃子「子どもの文学とは?(後半)」子どもと文学所収

2024-09-19 09:00:27 | 参考文献

 著者の分担は、「ファンタジー」と「子どもたちは何を読んでいる?」です。
「ファンタジー」
 日本の児童文学にとって新しい概念であり、誤解をまねくことの多かったファンタジーについて紙数を使って説明しています。
 当時としては、もっともまとまったファンタジー論であり、今読んでも多くの示唆を含んでいます。
 まず、ファンタジーのおいたちとして、近代になって「子ども」という概念が発見されたことを、その起因の一つに挙げています。
 アリエスの「子どもの誕生」が翻訳され、柄谷行人の「児童の発見」が発表されたのは1980年で、その影響を受けて日本の児童文学の子ども像が変化したと主張する児童文学研究者は多いのですが(実際は、ほとんどすべての児童文学の書き手はそれらの著作を読んだことがないことは確信を持って言えるので、それとは無関係だと私は思っています。詳しくは関連する記事を参照してください)、その二十年も前に著者は同じ「子どもの発見」について述べています(アリエスの本は同じ1960年に出版されていますので、著者はそれをフランス語で読んだか、英訳がすぐに出ていてそれで読んだか、あるいはまったく別のところからの情報なのかは、残念ながらわかりません)。
 そして、子どもが尊重されるようになってから、一流の資質を持った作家や社会人が子どもの本を書くようになり、彼らの哲学をもるのに非現実の世界が向いているので、ファンタジーが生み出される原動力になったとしています。
 また、ファンタジーの定義として、リリアン・スミスの「児童文学論」に書かれている「「目に見えるようにすること」という意味のギリシャ語」を紹介し、日本では、辞書までが「とりとめのない想像」「幻想」「幻覚」「空想」「幻想」などとなっていて、誤解されているとしています(今でも、こういった基本的な定義も知らずに、「メルフェン」などとごっちゃにしている児童文学関係者はたくさんいます)。
 ファンタジーがなぜ「子どもの文学」に適しているかの理由として、まず、子どもは小さいときは「想像の世界と現実の境めを、毎日、なんのむりもなく、出たりはいったりしながら、大きくなっていきます」と、小さな子どもほど意識と無意識の世界が不分明であることをあげています(詳しくは本田和子の論文についての記事を参照してください)。
 そして、「その世界に身をおくことが、だんだんに少なくなり、すでに得た知識や、経験からくる判断力を武器にして現実にとりくむようになると、人間はおとなになります。」としています。
 そのため、「ファンタジーが、ファンタジーとしての最高の美しさ、高さに達することができるのは、子どもが子どもとして一番大きくなった一時期(彼女の定義では小学校高学年あたりを指していると思われますが、繰り返し書いていますが子ども読者の本に対する受容力が著しく低下している現在では、その年齢は中学生あたりだと思われます)を対象としたもの」とし、「それより一歩成長して、おとなになってしまえば、たいていの場合、その読者にとって、ファンタジーの魅力は失われます。」としています。
 ご存知のように、現在ではファンタジーの主な読者は、かつてのメインであった子どもや若い女性たちだけでなく、女性全体に広がっています。
 良く言えば「いつまでも子どもの心を失わない」女性が増えているということですし、悪く言えば「いつまでも精神的に成熟しない」女性が増えているせいかもしれません。
 これは、かつて女性の通過儀礼であった結婚、出産のタイミングが高年齢化し、さらに結婚も出産も生涯経験しない女性が増えていることも一因でしょう。
 著者は、ファンタジーの分類やいわゆる「通路」の問題にも触れていますが、今から見ると中途半端なものなので、論評は避けます。
 著者は「たとえ話」や「アレゴリー」に陥る危険性に触れながらも、表面的な面白さだけでなく、「表現も思想も、ファンタジーのなかで、子どもの文学で達しうるかぎりの高さに到達することができます」と、その可能性に期待しています。
 最後に、「今後の日本児童文学が、この方面(ファンタジーのこと)にもよい作品をどしどし生んでゆくことが熱望されます。」と締めくくっています。
 2008年にお亡くなりになった著者は、ファンタジー花盛りの現在の日本の児童文学の状況を喜んでおられることと思いますが、はたして著者の眼鏡にかなう「表現も思想も子どもの文学で達しうるかぎりの高さに到達した」作品がいくつあるかというと、いささか心もとない気もします。
 著者に限らず、「子どもと文学」のメンバーの日本の児童文学に対する最大の貢献は、優れたファンタジーの普及にあると思われます。
 石井桃子(ケネス・グレアム「たのしい川辺」、ミルン「クマのプーさん」などの翻訳)、瀬田貞二(トールキン「指輪物語」、「ホビットの冒険」などの翻訳)、渡辺茂男(マージェリー・シャープ「ミス・ビアンカ」シリーズ、ガネット「エルマーの冒険」シリーズなどの翻訳)、いぬいとみこ(「ながいながいペンギンの話」、「木かげの家の小人たち」などの創作)たちの本は、今でも子ども読者(大人読者も)に広く読まれていますし、松井直や鈴木晋一も出版や普及の面で大きな貢献をしました。

「子どもたちは何を読んでいる?」
 著者は、子どもたちがよく読んでいる本を、伝承文学と創作児童文学の両方について、年齢別、外来か日本か、に分けてリストアップしていますが、データの出所が不明(おそらく著者が1958年から主宰している私設の児童文庫の「かつら文庫」と思われます)ですし、定量的でないので、論評は避けます。
 ただし、少し古いデータですが、2011年の学校読者調査によると、小学校四年から六年までの男女のリストには、「伝記(これは昔も今も圧倒的に強いです)、ゾロリ・シリーズ(何冊も入っています)、ハリー・ポッター・シリーズ(これも何冊も入っています)、怪談物、児童文庫の書き下ろしのエンターテインメントシリーズ、大人の女性向けエンターテインメント(小学校六年の女子)が上位を占めていて、著者がリストアップしたような伝承文学やエンターテインメント以外の創作児童文学はほとんど姿を消しています(かろうじて「クマのプーさん」(ディズニーの影響でしょう)、モンゴメリー「赤毛のアン」シリーズ(母子で愛読しているのでしょうか)、森絵都「カラフル」(小学六年の男女)、あさのあつこ「バッテリー」(小学六年の男子)などが下位の方に入っています)。


子どもと文学
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福音館書店







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椎名誠「銀座のカラス」

2024-09-14 08:58:09 | 参考文献

 「哀愁の町に霧が降るのだ」、「新橋烏森口青春篇」に続く自伝的青春小説で、前二作が主人公も含めて実名で書かれているのに対して、架空の登場人物(本人も含めて明らかにモデルがわかる人物もいますが)を使って書かれていて、文庫版の解説で目黒孝二が指摘しているようにフィクション度は一番高いです。
 百貨店関連の業界紙を発行している従業員15人ぐらいの小さな会社を舞台に、ひょんなことで月刊の薄い雑誌の編集長(初めは彼一人だけで途中から同い年の部下ができる)を務めることになった主人公の若者(23歳ぐらい)の奮闘を、友情や恋や酒や喧嘩などをからめて描いています。
 著者は1944年生まれなので、この作品の舞台は1960年代の終わりごろだと思われ、まだ自分や国の未来に希望が持てた幸福な高度成長時代のお話です。
 「何者」でもない自分が「何者」かになろう(この本の場合は、新しいもっと本格的な専門雑誌の立ち上げ)ともがくする姿が、もうそうした夢が過去のものになりかかっていたバブル崩壊後の若い読者(この本の発行は1991年)には、うらやましく感じられたことでしょう。
 この本では、作者の強みである若い頃の詳細な記憶をベースに、小説家としての成熟度が上がった段階の筆さばきで見事なフィクションに仕上がっています。

銀座のカラス
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朝日新聞社
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柳田理科雄「空想科学読本」

2024-09-13 09:37:26 | 参考文献

 1996年の大ベストセラーです。
 空想科学研究所主任研究員という肩書を持つ作者(実は学習塾教師)が、テレビの空想科学番組や映画に出てくるヒーローや怪獣、ロボットなどを大真面目に(時にはユーモアを交えて)科学的に解説した本なのです。
・ゴジラ2万トン、ガメラ80トン、科学的に適切な体重はどちらか?
・仮面ライダーが一瞬で変身するのはあまりにも健康に悪い!
・ウルトラセブンが巨大化するには最低でも15時間が必要だ!
 最初の3章の副題を並べただけでも、かつては男の子だった人たちならば、みんなわくわくすることでしょう。
 それが、ズラリと16章も続くのですから、ベストセラーになったのも当然です。
 これらの誰もが知っているヒーローや怪獣の設定や必殺技が、科学的にはどんなにとんでもないものかを解説しながら、実はそれらに対する作者の並々ならぬ愛情が感じられるところが成功の秘訣でしょう。
 さらに、作者は1961年生まれなのですが、学習塾で普段から子どもたちに接しているおかげか、ゴジラやガメラのような1950年代や1960年代から活躍している怪獣やヒーローから、1990年代当時の新しいロボットやヒーローまで登場するので、幅広い年代の男の子たちを熱狂させました。
 我が家でも、1954年生まれの私だけでなく、1988年生まれと1990年生まれの息子たちも愛読しました。
 こんな魅力的な本が児童文学界にあれば、男の子たちの本離れは防げたことでしょう。
 この本の大成功のおかげで、続編も次々に出版されたので、作者の研究資金は潤沢になったと思われますので、本が売れない児童文学作家にはうらやましい限りです。

空想科学読本1[新装版] (空想科学文庫)
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KADOKAWA/メディアファクトリー
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古田足日「宿題ひきうけ株式会社」

2024-09-11 09:29:15 | 参考文献

 作品論ではなく、作者と作品の関係について考えてみました。
 この作品は1966年2月に出版され、翌年の日本児童文学者協会賞を受賞した作者の代表作のひとつです。
 しかし、話を複雑にしているのは、1996年に新版が出ていることです。
 これは、作中に引用していた宇野浩二の「春を告げる鳥」の引用およびそれに対する作中人物の感想が「アイヌ民族差別だ」という抗議を1995年に受けて、作者のオリジナル作品とその感想に差し替えたのです(宇野の作品は当時広く読まれていて、私自身も子どものころに読んでいました。また、作中の子どもたちに訴えかけたであろうこの作品の抒情性に、作者のオリジナル作品は引用としてはやたら長いだけで遠く及びません。さらに、作者の引用は宇野の作品の骨子を作者自身の言葉でまとめたもので、元の宇野作品は作者の引用ほどアイヌ民族に対して差別的ではありません)。
 また、それに関連して、「やばん」ということについて、新しい(1996年現在の)作者の考えに書き改めています。
 これらの行為は、作家として非常に危険なことだったように思います。
 この作品は、あくまで1966年当時(実際には出版の前に雑誌に連載されているので、時代設定は60年代前半と思われます)の状況の中で成立するものであり、作者の「アイヌ民族差別」に対する「無知(作者自身のあとがきの言葉)」も含めてそのままの形で残し、もし過ちを認めるのであれば、なぜそのようなことになったかを自分自身であとがきなどでもっと詳しく検証するべきだった(1926年発表の宇野作品の歴史的評価も含めて)と思われます。
 それが、単なる創作者でなく児童文学の評論家でもある作者の責務だったように思えます。
 それを、1996年現在の認識で書き直したので、この作品の歴史的価値が大幅に損なわれてしまいました。
 この作品は、良くも悪くも70年安保の挫折前の革新側の思想に基づいて書かれているわけで、それがソ連崩壊やバブル崩壊後の1996年に書き直して提出されても、すでに立脚点が違うのですから作品として成立しないのではないでしょうか。
 例えば、作品の背景にある学歴社会、組合運動、貧困問題、学校、子ども社会、教養主義、資本主義と共産主義の対立、職場の電子化などは、そして作者が新版で隠蔽してしまったマイノリティへの差別意識も、三十年の月日が大きく変えてしまっています。
 それに、39歳だった1966年の作者と、1996年当時69歳だった作者では、経験も考え方も違うはずで、その両者が書いたものをつぎはぎされても(旧版と新版を読み比べてみましたが、「春を告げる鳥」や「やばん」に関連する部分以外にもいろいろな個所(例えば旧版にはない日本軍による「南京事件」への批判など)で細部を書き直しています)、読者は困惑するだけです。
 私は70年安保挫折後の70年代に旧版を読みましたが、その時点でもあまりにも楽観的な組合運動や、学級会や学校新聞などによる疑似民主主義、そしてなにより「子どもの論理」(宿題ひきうけ株式会社)が「(当時の革新勢力の)大人の論理」(試験・宿題なくそう組合)に屈服させられるラストに、強い違和感は覚えましたが、「アイヌ民族差別」は気づきませんでした(というよりも、その部分の印象が残らなかったという方が正しいでしょう。私自身も作者以上に「アイヌ民族差別」に「無知」でした)。
 「ちびくろサンボ」問題(その記事を参照してください)や「ちびくろサンボ」を絶賛した「子どもと文学」の問題(関連する記事(例えば石井直人の「現代児童文学の条件」についての記事など)を参照してください)でも述べましたが、作品や論文はその時代背景を抜きには評価することは不可能だと思っています。
 この作品をこれから読まれる方は、ぜひ新旧両方の版を読まれることをお勧めします(作者と理論社は、旧版の流通在庫を回収し、図書館にも新版に買い替えるよう依頼していますが、もちろん旧版は図書館や古本として今でも残っていて読むことができます)。

新版 宿題ひきうけ株式会社 (新・名作の愛蔵版)
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理論社



宿題ひきうけ株式会社 (1979年)
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理論社
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本田和子「消滅か?復権か?その伴走の歴史」日本児童文学2000年7-8月号所収

2024-09-09 12:56:09 | 参考文献

 「21世紀に、はたして児童文学が生き残るであろうあろうか?」という刺激的なテーマの論文です。
「「児童文学」は、「子ども」の消滅と連動するか、否か。あるいは、「児童文学」と「子ども」との不可分に見える関係は、今後とも維持され得るのか、否か。」と、本田は問いかけます。
 「子どもの発見」と「近代文学の誕生」により成立した「児童文学が、こうして、「子ども」と「文学」の申し子であってみれば、現在の児童文学の衰退現象は、子どもの消滅と連動し、同時に、文学の衰弱と結び付く。」と指摘しています。
 「児童文学」は、文学が「モノ化」され、ひいては「商品化」される動きに連動する」ことにより、かつて「語り手」と「聞き手」が一体化していた「物語の世界」を、「本」という媒体による「作者」と「読者」という間接的な関係にしました。
 さらに、「過剰なまでに教育的であったこの世紀は、子ども読者と本の間に、「良書推薦人」とでもいうべき善意の大人たちを介在させている。彼らの大方は、本好きの、あるいは、子どもに本を読ませることを重要と考える親や教師なのだが、結果として、そうした人々の選択眼を経、彼らの基準に適った物語群だけが子どもの世界に送り込まれることになった。」と、「子ども」と「本」との間の媒介者の存在に言及し、「子ども」と「物語」の間をさらに隔てていることを指摘しています。
 以下に「子ども」の変貌とそれに伴う「児童文学」の運命についての本田の考察が述べられていますが、グーグルも、フェイスブックも、ツイッターも、ラインもなく、スマホどころか携帯電話すらそれほど子どもたちには普及していなかった時代に書かれたことを考えると、驚くほど予見性に富んでいますので、長いけれども全文引用します。
「20世紀も幕を降ろそうとするいま、変貌著しい子どもの姿が、連日話題を呼んで大人世代を脅かし続ける。彼らは、言葉や文字による大人世代とのコミュニケーションを無視してパソコン画面と向き合い、画面の彼方の没肉体的存在との間に親密なコミュニケーションを展開してネット共同体を形成してしまう。振り返る視界に、私たちが継承してきた従来の文化を受け継ぐ者の姿はない。子どもたちは、私たちを無造作にまたぎ越えて、まだ見ぬ世界に歩み去って行くかのようだ。
 科学技術進展の速度が、個人の世代での適応や学習能力を越えて進むとき、人は、技術の進歩についていくことが困難になるとされる。現代は、まさにそうした時代ではないか。技術進歩の速度が、世代交替の速度を上回り始めているのだから。とりわけ、メディアにかかわるそれは、私どもの予測だもしなかった速さで進展.展開し続け、しかも、私たちの暮らしを否応無しにその変化の中に巻き込んでいきつつある。メディア変化の波をまともにかぶって、それと伴走しつつ成長していく子どもたちと、私どもの間には、正直なところ、かなり越え難い溝が横たわっているのではないか。
 かつては、メディア世界の王座にあった活字文化が、その地位を電子メディアに譲ろうとしている。活字ならぬディスプレー上の文字は、どこかにいる送信者によって打ち出されるキーに従って、画面に立ち現れて何事かを伝え、つかの間に姿を消して、その痕跡を止めない。活字メディアの継時性・定着性に対する電子メディアの瞬時性・非固定性……。こうした方向へと脱皮転換を続けるメディア社会の子どもたちが、かつての活字文化時代の子どもたちと同種であり得ようはずもなく、子どもー大人関係もまた同質ではあり得ない。
 子どもたちが生を受けたとき、彼らの前に出現した世界は、既にして先行する世代の成長した世界とは異質であった。電話やパソコンによるコミュニケーションや、テレビやインターネットによる情報収集を常態とする彼らにとって、時間は継時的に流れることを止め、点から点へと飛躍し逆行する。さながらとびとびに点滅するネオンのよう……。また、彼らの生きる空間は、地図に描かれた距離とは無縁に、近いところと遠いところが入り交じり反転し合って、従来的な意味での遠近感覚や距離感覚はすべて無意味と化している。」
 ここにおいて、本田は冒頭の問いかけに立ち返り、「児童文学」の悲観的な将来像を描いています。
「「子ども」が、実態として、従来のままではあり得ないとすれば、そして、そのことを捉えて「子どもの消滅」と呼ぶとするなら、「児童文学」も消滅の運命を免れ得ない筈である。近代型の「子ども」とその運命を共有し、彼らとおおよそ100年の歴史を伴走した近代型「児童文学」は、そして、子どもとそれらとの関係は、このあたりで終わりの時を迎えねばならないだろうから。」
 この予測は、従来型の「現代児童文学」に当てはめるならば、ほぼ当たっているでしょう。
 「読書」に「子ども」が求めるものは大きく変質していて、従来の「児童文学」ではそれにこたえられなくなっています。
 その一方で、本田は別の可能性にも言及しています。
「ただし、変貌著しい子どもたちのなかにも、かつての「子ども性」とは質を異にはするが、大人世代と隔てるある種の異質性が見いだされるとすれば、その異質性をキー・コンセブトとしつつ、新しい「児童文学」が誕生する可能性までも否定するつもりはない。それに、誕生した新しい文学、たとえばインターネット上に表現される電子文学との間に、子どもたちが、改めて直接的な関係を回復させる可能性を、期待することが出来るかも知れないのである。」
 つまり電子書籍とその新しい流通形態により、かつてのように「作者」と「読者」の間を、出版社、取次ぎ、書店、媒介者(親や教師)などを介さずに、直接結び付ける可能性に言及しています。
 これらの関係は、すでにアメリカなどの英語圏ではかなり実現しています。
 日本では、出版社などの抵抗勢力により普及が遅れて(特に児童書は)いますが、電子化の時代の流れには逆らえないので、やがてはスマホあるいはその進化形のツールで読書をするのが、子どもたちの間でも一般的になる時代が来るでしょう。
 その時には、従来の媒介者抜きで、読者の子どもたちは、自由に電子書籍あるいはそれに代わる媒体上のコンテンツを手にするでしょう。
 しかし、一方で、今のように日本の児童文学界が電子化の波を拒み続けると、そこだけ将来の児童文化から抜け落ち、すでに電子化が著しいコミックスやアニメやゲームだけが子どもたちの手元に残るかもしれません。

 以上の予測は2015年前後にしたのですが、そのうちの「児童文学」にとっては悲観的な方向に世の中は進んでいるようです。
 ここまでの約100年間に先人たちが蓄積してきた優れた「児童文学」のコンテンツの電子化は、目先の売れ行きだけに汲々としている出版社や児童文学者(児童読み物作家?)たちの利益のために遅々として進まず、その一方でコミックスの方は過去の優れた財産も含めて電子化が進み、すでにスマホやタブレットで読むスタイルは定着しています。
 文字情報というスマホなどの小型の電子機器で読むのに有利な媒体なのにも関わらず、「児童文学」は子どもの日常生活(学校や学童保育や図書館などの特殊な場所は除いて)から姿を消し、子どもたちの「物語消費」はもっぱら「携帯ゲーム」、読み放題サービスによる「コミックス」、配信サービスによるアニメや映画によってなされつつあります。


 

日本児童文学 2013年 08月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
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ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

2024-08-31 09:27:08 | 参考文献

 著者の中学生の息子(父親はアイルランド人)が通うイギリス南部の中学校を舞台にしたエッセイ集です。

 著者が元底辺中学校(市内で最下位のランクだったが、近年学業などに力を入れて中位ぐらいまでランクアップしている)と呼ぶ学校は、彼女たちが住む元公営住宅地(もともと住んでいた低所得者や無職の人たちだけでなく、現在は払下げ(豪華なリフォームをします)でミドルクラスの人たちも住むようになり、まだらになっている)にあり、そこで暮らす子どもたちやその保護者たち(白人だけでなく移民も多く、地域的にLGBTQの人たちも多い)や教員たち、貧困問題に取り組む人たちなどを描いています。

 主人公である著者の息子は非常にいい子で、いろいろな問題(彼は小学校は市内第一位ランクのカソリックの公立校に通っていたので、新しい環境には面食らうことが多かったのです)に直面しても、懸命に取り組んでいるのが好感が持てます。

 ただし、著者の書き方は、ややその息子を自慢していることが感じられて、鼻につくこともあります。

 著者の立場は、福祉大国を実現していたかつての労働党寄りで、緊縮財政で弱者を切り捨てている保守党政権には批判的です。

 その指摘には共感できる点も多いのですが、過剰な福祉によって、働かずに子どもだけ産んで社会に面倒を見させている層に対する批判はあいまいで説得力に欠けるようです。

 

 

 

 

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宮沢賢治「『注文の多い料理店』新刊案内」

2024-08-28 11:53:57 | 参考文献

 賢治は生前、詩集「春と修羅」と童話集「注文の多い料理店」の二冊を自費出版しただけでした(ただし、引用した文章中にあるように童話集は全十二巻のシリーズの第一巻の予定でしたし、「春と修羅」も第一集であり、その後の作品も書かれていました)。
 この新刊案内には、賢治の作品の背景や童話観が彼自身の言葉で書かれていて興味深いので、以下に全文引用します。
「イーハトーヴは一つの地名である。しいて、その地点を求むるなればそれは、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスがたどった鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠のはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。
じつはこれは著者の心象中に、このような状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。
そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雪の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。
罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。
深い椈の森や風や影、肉之草や、不思議な都会、べーリング市まで続く電柱の列、それはまことにあやしくも楽しい国土である。この童話集の一列はじつに作者の心象スケッチのー部である。それは少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとっている。
この見地からその特色を数えるならば次の諸点に帰する。
一 これは正しいものの種子を有し、その美しい発芽を待つものである。しかもけっして既成の疲れた宗教や、道徳の残滓を色あせた仮面によって純真な心意の所有者たちに欺き与えんとするものではない。
ニ これは新しい、よりよい世界の構成材料を提供しようとはする。けれどもそれは全く、作者の未知な絶えざる驚異に値する世界自身の発展であって、けっして畸形に捏ねあげられた煤色のユートピアではない。
三 これらはけっして偽でも仮空でも窃盗でもない。多少の再度の内省と分析とはあっても、たしかにこのとおりその時心象の中に現われたものである。ゆえにそれは、どんなに馬鹿げていても、難解でも必ず心の深部において万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解なだけである。
四 これは田圃の新鮮な産物である。われらは田園の風と光との中からつややかな果実や、青い蔬菜といつしょにこれらの心象スケッチを世間に提供するものである。
注文の多い料理店はその十二卷のセリ一ズの中の第一冊でまずその古風な童話としての形式と地方名とをもって類集したものであって次の九編からなる。
1 どんぐりと山猫
山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較されなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。
2 狼森と笊森、盗森
人と森との原始的な交渉で、自然の順違ニ面が農民に与えた永い間の印象です。森が子供らや農具をかくすたびに、みんなは「採しに行くぞお」と叫び、森は「来お」と答えました。
3 烏の北斗七星
戦うものの内的感情です。
4 注文の多い料理店
二人の青年紳士が猟に出て路に迷い、「注文の多い料理店」にはいり、その途方もない経営者からかえって注文されていたはなし。糧に乏しい村のこどもらが、都会文明と放恣な階級とに対するやむにやまれない反感です。
5 水仙月の四日
赤い毛布を被ぎ、「カリメラ」の銅鍋や青い焔を考えながら雪の高原を歩いていたこどもと、「雪婆ンゴ」や雪狼、雪童子とのものがたり。
6 山男の四月
四月のかれ草の中にねころんだ山男の夢です。「烏の北斗七星」といっしょに、一つの小さなこころの種子を有ちます。
7 かしわばやしの夜
桃色の大きな月はだんだん小さく青じろくなり、かしわはみんなざわざわ言い、画描きは日分の靴の中に鉛筆を削って変なメタルの歌をうたう、たのしい「夏の踊りの第三夜」です。
8 月夜のでんしんばしら
うろこぐもと鉛色の月光、九月のイーハトヴの鉄道線路の内想です。
9 鹿踊りのはじまり
まだ倒れない巨きな愛の感情です。すすきの花の向い火やきらめく赤褐色の樹立のなかに、鹿が無心に遊んでいます。ひとは自分と鹿との区別を忘れ、いっしょに踊ろうとさえします。」
 この短い文章の中に、たくさんの賢治作品理解のためのキーワード(「イーハトーヴ」、「心象スケッチ」、「循環」、「宗教」、「ユートピア」など)がちりばめられ、彼の作品に託した願いが込められています。
 中でも注目すべきは、この童話集が「少年少女期の終りごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとっている。」と明示している点でしょう。
 アドレッセンス中葉とは青年期中ごろつまり思春期を意味しますので、この童話集は現在の学校制度では小学校高学年から高校生あたりを対象として考えていたのでしょう。
 しかも、賢治の全十二巻構想の第一巻であるこの「注文多い料理店」は、「まずその古風な童話としての形式と地方名とをもって類集したもの」としているわけですから、シリーズ全体としては「子どもから大人まで」(賢治と同世代の児童文学者であるエーリヒ・ケストナーの言葉を借りるならば、「八歳か八十歳までのこどもたち」)の広範な読者を対象にしていたと思われます。
 賢治は、この本を自費出版する前年に、「婦人画報」編集部に童話原稿多数を持ち込みますが、掲載を断られています。
 「赤い鳥」などの童話伝統の固定観念にとらわれていた雑誌の編集者には、この「新しい童話」が理解できなかったのでしょう。
 しかし、賢治は出版社に迎合して「お子様向け」の童話などは書かずに、自費出版の途を選びました。
 そのおかげで、当時「婦人画報」などに掲載されていた童話群があっさりと歴史に淘汰されてしまったにもかかわらず、賢治の作品たちは今でも多くの読者を獲得しています。
 これと同様のことを現代でやるならば、商業主義に凝り固まった出版社などには頼らずに、ネットを利用して、直接読者のスマホなどに作品を届けることなのかもしれません。

『注文の多い料理店』広告文
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