ライトノベルの現役作家が初心者向けに書いた入門書です。
著者は文中でライトノベルの作家と読者の同時代性を盛んに強調していますが、自身を年齢不詳にしているところをみると、どうやらかなり年を食っている(2006年出版時で四十代以上でしょう)ようです。
私は、ライトノベルらしいライトノベルは「涼宮ハルヒ」シリーズしか読んだことがない初心者なので、この本はまさにうってつけです。
もっとも、作者のライトノベルの定義はかなりぶれていて、時には私でも読んでいるような小野不由美やハリーポッターなどもその範疇に含めていますが。
著者の述べているライトノベルの定義のうちで狭義のものをいわゆる「ライトノベル」と考えると、「アニメ調のイラストのついた中高校生をターゲットにしたキャラ小説」ということになるでしょう。
著者がやや自虐的に言っている「字マンガ」という表現も、特徴を良くとらえているようです。
著者によると、ライトノベルは戦前の少女小説や戦後の少女マンガの影響を強く受けていて(早稲田大学で児童文学を教えているの教員の一人は、戦前の少女小説とライトノベルが専門だとのことなので、彼女の研究をチェックすればもっと詳しいことがわかるかもしれません)、女性向けの物語世界は男性向けよりも10年から20年は進んでいるそうです(私の推測では、男性たちは官能小説(今だとAVや美少女育成ゲームやエロゲー)で物語消費のかなりの部分を満足させているのでしょう)。
そういえば、この本では触れていませんが、女性向けのライトノベルである氷室冴子などのコバルト文庫のブームは80年代の初めから始まっていて、男性向けより十年ぐらい先行しています。
著者によると、男性向けライトノベルには次のような主要キャラ類型があるそうです。
メガネっ娘、妹、委員長、巨乳、貧乳、戦闘美少女、人造少女、ポニーテール、ツインテール、メイド、猫耳、ツンデレ、年上のおねーさん、エルフ、ロリ、ゴスロリ、どじっ子、ショートカット、お嬢さま、ボク女、オレ女、片目っ娘、車椅子娘、ショタコン、電波系。
子どものころからゲーム、アニメ、マンガに親しんだ世代(このうちアニメとマンガは私の子ども時代からあったので、直接の影響はゲーム(特にRPG)が一番あると思われます)は、自分の内部にキャラや物語のデーターベースを備えていて、キャラ優先で物語を読み解いていけるのだそうです(これを大塚英志はデーターベース消費とよんでいます)。
RPGはもともとテーブルトークRPGとしてスタートしたもので、ある世界観(トールキンの「剣と魔法」など)のもとにゲームマスター(物語作家に相当するでしょう)の指示に従って、参加者があらかじめ決められたキャラクター(魔法使い、勇者、エルフなど)をアドリブで演じるもので、個々のキャラ(参加者が演じる)の約束事の重要性が初めからあったのです(もっとも、私自身はテーブルトークRPGの経験は数回しかないのですが)。
ライトノベルでは、多くの場合、一人の登場人物が複数のキャラを備えているようで、その組み合わせの妙が作品の優劣を決めているようです。
私の乏しいライトノベル読書経験である「涼宮ハルヒ」シリーズ(学園もの、SF、美少女もの、ハーレムもの、ミステリー、ギャグなどを複合した作品です)でも、以下の主要な三人の女性キャラクターに、絶妙のキャラ配合がなされています。
涼宮ハルヒ(委員長(団長)、超能力者、天真爛漫など)。
朝比奈みくる(巨乳、ロり、妹(時として年上のおねーさんに変身)、美少女、天然、未来人、どじっ子、メイド、ウサミミのバニーガールなど)。
長門有希(メガネっ娘、戦闘美少女、人造少女、宇宙人など)
以上からお分かりのように、朝比奈みくるが一番多くキャラ典型を含んでおり、一番「萌え」る登場人物に設定されます。
キャラ「萌え」のデーターベースがあまり装着されていない私でも、「涼宮ハルヒ」シリーズが、中高校生の男子を「萌え」させる(非性欲的感情です)のは容易に想像できました。
さて、著者の本が出てからすでにかなり時間がたちましたが、現在のライトノベルの隆盛はすごいものがあります。
ほとんどの書店でライトノベルのコーナー(文庫本とコミックスの間におかれることが多いです)を広く取っており、隅に追いやられほとんどが絵本と図鑑と自伝だけになっている児童書コーナーとは対照的です。
この成功には、以下のような背景があるでしょう。
まず、ライトノベルで育った世代のある部分が、ライトノベルを卒業せずに買い続けていることです(これはかつてのマンガ世代の高年齢化と同じです。すでに、アニメ風イラストのついたハードカバーの大人向けライトノベルも大ヒットしています)。
次に、小学生向けのライトノベルのレーベルができ、低年齢向けという新しいマーケットが開拓されたことです(オリジナル作品もありますが、有名なライトノベルの小学生向けリライトもあります。かつて古今の名作が児童書としてリライトされたのと、同じ歴史をたどっています)。
また、出版側からの事情でいうと、ライトノベルは非常に低コストで作れることがあげられます。
おそらくアニメやゲームとは二ケタ以上、漫画と比較しても一ケタ以上は安く作れるのです。
その理由は、作品自体のベースになる世界観(例えばトールキンの「剣と魔法」の世界など)やキャラのイメージ(人気イラストレーターによるものが多いようです)はすでにあり、そこに新しい物語を載せるだけ(しかも会話や余白が多い)なので、一冊の本(250-350ページ)を1-2か月で書き飛ばすことができます。
また、書き手(大塚英志に言わせると世界観を作れないブルーワーカー物語作家)は専門学校などで次々に養成されていて、本が売れなければ使い捨てされています。
彼らの多くは読み手と近い(あるいは同じ)世代なので、新城が強調していた同時代性を出すのにうってつけです(かつてあるいは今もかもしれませんが、マンガ家と読者の関係に似ています)。
また、人気イラストレーターは多忙(ライトノベルだけでなく、アニメ、マンガ、ゲームなどの締切も抱えているのです)なため、著者によると初期のイラストはアニメ絵だったのが、分業が可能なアニメ塗り(輪郭線だけをイラストレーターが描いて、アシスタントが色を塗り分ける)に、さらにはCGに変わってコストダウンが図られているそうです
こうして、毎月、各レーベルから夥しい数のライトノベルが出版されるのです。
それは、著者がたとえているように、ひとつのライトノベルのレーベルが、一冊のマンガ雑誌のような機能を果たしていて、そこにはSF、ミステリ、ファンタジー、学園もの、戦闘もの、ギャグ、ラブコメなどのいろいろなジャンルのライトノベルが含まれています。
マンガ雑誌では読者投票によってマンガやマンガ家が淘汰されていますが、個別に買うことができるライトノベルでは、単純明快に実売数によって作品や作家を淘汰できます。
勝ち残った少数のライトノベルだけが、続編を出していけます(ただし、一冊目はイラストに惹かれて買ういわゆる「ジャケ買い」のことが多いそうなので、二作目の売り上げが本当の淘汰の判断基準なのかもしれません)。
そして、ごくごく少数の勝ち組が、マンガやアニメやゲームになって、トータルで大きな売り上げ(ライトノベルの続編も飛躍的に売れます)を達成できます。
ライトノベルはこれらのメディアと親和性が高いので、ローリスク(コストの安いライトノベルで始められる)ハイリターン(メディアミックスで大きな売り上げが得られる)のビジネスモデルが構築できます。
一方、消費者である中高校生中心の読者側にとっても、ライトノベルは安い物語消費ツールなのです。
ライトノベルは通常一冊500円ー600円で購入でき、まがりなりにも一つの物語を消費できます。
たしかに、コミックスは一冊400円程度ともっと安いですが、一冊では物語は完結しません(下手をすると一つの戦闘シーンやスポーツの試合すら、一冊で終わらない場合もあります)。
コミックスで物語消費の満足を得るためには、最低5冊(2000円)以上はかかるでしょう。
そして、アニメやゲームやマンガのキャラや物語のデータベースを備えている読者たちは、キャラのイラストをもとに会話主体の文章を、まるでマンガやアニメのように映像的に受容する能力を持っているのではないでしょうか。
それに、万一物語がつまらなくても、手元にはお気に入りのイラストが残ります。これはかつてのビックリマンチョコや仮面ライダースナックチョコやスナックのように味は二の次で、食玩が目当てで大量に購入して、時には食べずに捨てられたのと同じです。
いや、ライトノベルのイラストは、書店で買う前に確認できるのでもっと安心です。
最後に、媒介者(親や教師など)の立場からすると、「マンガよりはまし(とりあえず本だし、字や言葉も少しは覚えるだろう。それに、これをきっかけに「普通の」本を読むようになるかもしれない)」といった消極的な動機で、ライトノベルを購入したり、子どもが購入するのを容認しているものと思われます(2012年の日本児童文学学会の研究大会の時に、児童文学研究者の目黒強とこの点を話したことがあります)。
以上のように、物語消費の形態(ゲームのRPGなども含めて)が、供給側も消費側も1990年ごろから明らかに変わってしまっているので、ライトノベルが児童文学、まんが、一般文学のマーケットを侵食していく傾向は当分続くと思われます。
例えば、かつては児童文学の代表的なファンタジーの書き手だった荻原規子は、「レッドデータガール」シリーズでライトノベルの手法を用いて読者数を飛躍的に増加させています。
ただし、スマホの普及と高機能化(電子ペーパーなどによる画面の拡大機能も含むでしょう)により、物語消費の方法が、五年後、十年後には大きく変わる(電子書籍が一般的になる)ことが予想されます。
いずれにしても、電子化にいちばん適応した形態がもっとも有利なことは間違いないでしょう。
文字情報は、音声情報や画像情報より格段に容量が少なく、高速に作成や送信が可能なので、どのような実現形態にしろ、その時代にも生き残ると思われます。
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