現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

新城カズマ「ライトノベル「超」入門」

2024-08-26 09:00:04 | 参考文献

 ライトノベルの現役作家が初心者向けに書いた入門書です。
 著者は文中でライトノベルの作家と読者の同時代性を盛んに強調していますが、自身を年齢不詳にしているところをみると、どうやらかなり年を食っている(2006年出版時で四十代以上でしょう)ようです。
 私は、ライトノベルらしいライトノベルは「涼宮ハルヒ」シリーズしか読んだことがない初心者なので、この本はまさにうってつけです。
 もっとも、作者のライトノベルの定義はかなりぶれていて、時には私でも読んでいるような小野不由美やハリーポッターなどもその範疇に含めていますが。
 著者の述べているライトノベルの定義のうちで狭義のものをいわゆる「ライトノベル」と考えると、「アニメ調のイラストのついた中高校生をターゲットにしたキャラ小説」ということになるでしょう。
 著者がやや自虐的に言っている「字マンガ」という表現も、特徴を良くとらえているようです。
 著者によると、ライトノベルは戦前の少女小説や戦後の少女マンガの影響を強く受けていて(早稲田大学で児童文学を教えているの教員の一人は、戦前の少女小説とライトノベルが専門だとのことなので、彼女の研究をチェックすればもっと詳しいことがわかるかもしれません)、女性向けの物語世界は男性向けよりも10年から20年は進んでいるそうです(私の推測では、男性たちは官能小説(今だとAVや美少女育成ゲームやエロゲー)で物語消費のかなりの部分を満足させているのでしょう)。
 そういえば、この本では触れていませんが、女性向けのライトノベルである氷室冴子などのコバルト文庫のブームは80年代の初めから始まっていて、男性向けより十年ぐらい先行しています。
 著者によると、男性向けライトノベルには次のような主要キャラ類型があるそうです。
 メガネっ娘、妹、委員長、巨乳、貧乳、戦闘美少女、人造少女、ポニーテール、ツインテール、メイド、猫耳、ツンデレ、年上のおねーさん、エルフ、ロリ、ゴスロリ、どじっ子、ショートカット、お嬢さま、ボク女、オレ女、片目っ娘、車椅子娘、ショタコン、電波系。
 子どものころからゲーム、アニメ、マンガに親しんだ世代(このうちアニメとマンガは私の子ども時代からあったので、直接の影響はゲーム(特にRPG)が一番あると思われます)は、自分の内部にキャラや物語のデーターベースを備えていて、キャラ優先で物語を読み解いていけるのだそうです(これを大塚英志はデーターベース消費とよんでいます)。
 RPGはもともとテーブルトークRPGとしてスタートしたもので、ある世界観(トールキンの「剣と魔法」など)のもとにゲームマスター(物語作家に相当するでしょう)の指示に従って、参加者があらかじめ決められたキャラクター(魔法使い、勇者、エルフなど)をアドリブで演じるもので、個々のキャラ(参加者が演じる)の約束事の重要性が初めからあったのです(もっとも、私自身はテーブルトークRPGの経験は数回しかないのですが)。
 ライトノベルでは、多くの場合、一人の登場人物が複数のキャラを備えているようで、その組み合わせの妙が作品の優劣を決めているようです。
 私の乏しいライトノベル読書経験である「涼宮ハルヒ」シリーズ(学園もの、SF、美少女もの、ハーレムもの、ミステリー、ギャグなどを複合した作品です)でも、以下の主要な三人の女性キャラクターに、絶妙のキャラ配合がなされています。
 涼宮ハルヒ(委員長(団長)、超能力者、天真爛漫など)。
 朝比奈みくる(巨乳、ロり、妹(時として年上のおねーさんに変身)、美少女、天然、未来人、どじっ子、メイド、ウサミミのバニーガールなど)。
 長門有希(メガネっ娘、戦闘美少女、人造少女、宇宙人など)
 以上からお分かりのように、朝比奈みくるが一番多くキャラ典型を含んでおり、一番「萌え」る登場人物に設定されます。
 キャラ「萌え」のデーターベースがあまり装着されていない私でも、「涼宮ハルヒ」シリーズが、中高校生の男子を「萌え」させる(非性欲的感情です)のは容易に想像できました。
 さて、著者の本が出てからすでにかなり時間がたちましたが、現在のライトノベルの隆盛はすごいものがあります。
 ほとんどの書店でライトノベルのコーナー(文庫本とコミックスの間におかれることが多いです)を広く取っており、隅に追いやられほとんどが絵本と図鑑と自伝だけになっている児童書コーナーとは対照的です。
 この成功には、以下のような背景があるでしょう。
 まず、ライトノベルで育った世代のある部分が、ライトノベルを卒業せずに買い続けていることです(これはかつてのマンガ世代の高年齢化と同じです。すでに、アニメ風イラストのついたハードカバーの大人向けライトノベルも大ヒットしています)。
 次に、小学生向けのライトノベルのレーベルができ、低年齢向けという新しいマーケットが開拓されたことです(オリジナル作品もありますが、有名なライトノベルの小学生向けリライトもあります。かつて古今の名作が児童書としてリライトされたのと、同じ歴史をたどっています)。
 また、出版側からの事情でいうと、ライトノベルは非常に低コストで作れることがあげられます。
 おそらくアニメやゲームとは二ケタ以上、漫画と比較しても一ケタ以上は安く作れるのです。
 その理由は、作品自体のベースになる世界観(例えばトールキンの「剣と魔法」の世界など)やキャラのイメージ(人気イラストレーターによるものが多いようです)はすでにあり、そこに新しい物語を載せるだけ(しかも会話や余白が多い)なので、一冊の本(250-350ページ)を1-2か月で書き飛ばすことができます。
 また、書き手(大塚英志に言わせると世界観を作れないブルーワーカー物語作家)は専門学校などで次々に養成されていて、本が売れなければ使い捨てされています。
 彼らの多くは読み手と近い(あるいは同じ)世代なので、新城が強調していた同時代性を出すのにうってつけです(かつてあるいは今もかもしれませんが、マンガ家と読者の関係に似ています)。
 また、人気イラストレーターは多忙(ライトノベルだけでなく、アニメ、マンガ、ゲームなどの締切も抱えているのです)なため、著者によると初期のイラストはアニメ絵だったのが、分業が可能なアニメ塗り(輪郭線だけをイラストレーターが描いて、アシスタントが色を塗り分ける)に、さらにはCGに変わってコストダウンが図られているそうです
 こうして、毎月、各レーベルから夥しい数のライトノベルが出版されるのです。
 それは、著者がたとえているように、ひとつのライトノベルのレーベルが、一冊のマンガ雑誌のような機能を果たしていて、そこにはSF、ミステリ、ファンタジー、学園もの、戦闘もの、ギャグ、ラブコメなどのいろいろなジャンルのライトノベルが含まれています。
 マンガ雑誌では読者投票によってマンガやマンガ家が淘汰されていますが、個別に買うことができるライトノベルでは、単純明快に実売数によって作品や作家を淘汰できます。
 勝ち残った少数のライトノベルだけが、続編を出していけます(ただし、一冊目はイラストに惹かれて買ういわゆる「ジャケ買い」のことが多いそうなので、二作目の売り上げが本当の淘汰の判断基準なのかもしれません)。
 そして、ごくごく少数の勝ち組が、マンガやアニメやゲームになって、トータルで大きな売り上げ(ライトノベルの続編も飛躍的に売れます)を達成できます。
 ライトノベルはこれらのメディアと親和性が高いので、ローリスク(コストの安いライトノベルで始められる)ハイリターン(メディアミックスで大きな売り上げが得られる)のビジネスモデルが構築できます。
 一方、消費者である中高校生中心の読者側にとっても、ライトノベルは安い物語消費ツールなのです。
  ライトノベルは通常一冊500円ー600円で購入でき、まがりなりにも一つの物語を消費できます。
 たしかに、コミックスは一冊400円程度ともっと安いですが、一冊では物語は完結しません(下手をすると一つの戦闘シーンやスポーツの試合すら、一冊で終わらない場合もあります)。
 コミックスで物語消費の満足を得るためには、最低5冊(2000円)以上はかかるでしょう。
 そして、アニメやゲームやマンガのキャラや物語のデータベースを備えている読者たちは、キャラのイラストをもとに会話主体の文章を、まるでマンガやアニメのように映像的に受容する能力を持っているのではないでしょうか。
 それに、万一物語がつまらなくても、手元にはお気に入りのイラストが残ります。これはかつてのビックリマンチョコや仮面ライダースナックチョコやスナックのように味は二の次で、食玩が目当てで大量に購入して、時には食べずに捨てられたのと同じです。
 いや、ライトノベルのイラストは、書店で買う前に確認できるのでもっと安心です。
 最後に、媒介者(親や教師など)の立場からすると、「マンガよりはまし(とりあえず本だし、字や言葉も少しは覚えるだろう。それに、これをきっかけに「普通の」本を読むようになるかもしれない)」といった消極的な動機で、ライトノベルを購入したり、子どもが購入するのを容認しているものと思われます(2012年の日本児童文学学会の研究大会の時に、児童文学研究者の目黒強とこの点を話したことがあります)。
 以上のように、物語消費の形態(ゲームのRPGなども含めて)が、供給側も消費側も1990年ごろから明らかに変わってしまっているので、ライトノベルが児童文学、まんが、一般文学のマーケットを侵食していく傾向は当分続くと思われます。
 例えば、かつては児童文学の代表的なファンタジーの書き手だった荻原規子は、「レッドデータガール」シリーズでライトノベルの手法を用いて読者数を飛躍的に増加させています。
 ただし、スマホの普及と高機能化(電子ペーパーなどによる画面の拡大機能も含むでしょう)により、物語消費の方法が、五年後、十年後には大きく変わる(電子書籍が一般的になる)ことが予想されます。
 いずれにしても、電子化にいちばん適応した形態がもっとも有利なことは間違いないでしょう。
 文字情報は、音声情報や画像情報より格段に容量が少なく、高速に作成や送信が可能なので、どのような実現形態にしろ、その時代にも生き残ると思われます。

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大平健「豊かさの精神病理」

2024-08-25 09:45:01 | 参考文献

 1990年6月20日第1刷発行の、精神病理について軽妙な文章の本を次々に出して当時人気の高かった精神科医が書いた、バブル期の物のあふれていた時代の新しいタイプの患者たちについて書いた本です。
 私の持っている本は、1996年3月25日発行ですでに28刷ですから、内容に興味をひかれる読者が多くかなりのベストセラーになっていたようです。
 バブル期を描いたにもかかわらず、文中にはバブルという言葉は一度も使われていません。
 バブルというのは後になって言われたことで、当時はずっと右肩上がりで成長していくものと信じられていました。
 そんな時期ですから、モノに執着する患者が次々に現れます。


 バッグのイメルダ(フィリピンの独裁者マルコス大統領夫人で、体制が崩壊した時にとてつもない数の靴を持っていたことが発覚して当時有名でした)と呼ばれている22歳の女子会社員。
 彼女の父親に張り合ってオメガを買った25歳の会社員。
 ブランド品はロゴをはがして使う16歳の女子高校生。
 インドアで仕事をしているのにゼロハリバートンのアタッシュケースを使っている23歳のシステムエンジニア。
 部下よりいい物を持っていないといけないと頑張る27歳の女性係長。
 懐石料理やヌーベル・キュイジーヌに凝っている25歳の女子社員。
 グルメ料理を作るために会社に遅刻する23歳の会社員。
 腸内にビフィズス菌を培養している37歳の服飾デザイナー。
 どんな高級料理にも似会う男の子を探している22歳の女子事務員。
 マネキンのような男友達と不倫している31歳の高校教師。
 デュ・エルちゃんという人形を溺愛している33歳の独身会社員。
 男友達を彼らからプレゼントされたスカーフの名前で呼ぶ29歳の女性秘書。
 不倫相手の友だちのお母さんに高級品をバシッとプレゼントしたい21歳の大学生。
 子どもの愛犬をブランド犬じゃないからと捨てた43歳の母親。
 猫の嫁探しに悩む32歳の会社員。
 自分が可愛いくてしかたがなくついには整形までしようかと思っている22歳の会社員。
 子どもが可愛いので本物志向のおもちゃや服を買い続けている28歳の主婦。
 自分の買いたい物と結婚相手の給料のバランスに悩む26歳の結婚に備えて会社を退職した女性。
 家長としての地位を守るために妻や子どもや孫のために物を買い続ける52歳のオーナー社長。
 実家のお金で娘たちを贅沢に慣れさせてしまい、これ以上の実家の世話を断り節約に努めようとする夫との離婚を考えている42歳の主婦。
 カメラやビデオ機材を買いまくり、子どもや孫を写し続けている43歳の自動車整備工。
 愛人のいる夫への腹いせに高級品を買いまくる44歳の貿易商の妻。


 対象はそれぞれ違いますが、彼らはみな、より高級な物を買うことで人生をステップアップできると信じています。
 そして、物を買い続けることによって、人間同士の葛藤を避けて暮らしています。
 葛藤のない生活に慣れたために、ちょっとした葛藤に弱くすぐに精神科にやってきます。
 彼らに共通しているのは、悩みは未来への不安ではなく現状への不満なのです。
 これは、現代の人たち、特に若い世代とは対照的です。
 現代の若者たちの現状への満足度は、バブル期の若者たちよりも高いといいます。
 今の若者たちは、お金はなくても、スマホでネットやゲームをしたり、ファストファッションやファストフードでリーズナブルに暮らせる現状に満足しています。
 しかし、それがいつまで続けられるかと、将来への不安を抱えています。
 児童文学の世界でも、これらの世相の違いは敏感に反映されています。
 八十年代の出版バブルの時には、非常に多様な作品が本になっていました。
 出版社には、売れそうもない純文学的な児童文学も出版する余裕がありました。
 しかし、今は違います。
 出版されるのは、売りやすい本(エンターテインメント、L文学(女性作家による女性を主人公にした女性読者のための文学)、お手軽ファンタジー、お手軽スポーツ物、怪談、幼年物、絵本、ハウツー物など)に偏っています。
 そう、まるでファストフードやファストファッションのように手軽に読めるものばかりになってしまっているのです。
 これは、出版社や書き手側だけの問題ではなく、児童文学の読者たちが読書に求めるものが、未知なことを知ろうとする知的好奇心よりも、その場での娯楽的なものに変わってきていることを反映しているのでしょう。
 もっとも、大人の読者も、エンターテインメントばかり読んでいて、純文学や社会科学などのかたい本は敬遠していますから似たようなものですが。
 社会全体が、将来への不安をまぎらわせて、手軽に読めるもので今を楽しもうとしているのでしょう。


豊かさの精神病理 (岩波新書)
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石井直人「児童文学における<成長物語>と<遍歴物語>の二つのタイプについて」

2024-08-24 08:07:44 | 参考文献

 1985年に日本児童文学学会会報19号に発表されたこの論文は、四百字詰め原稿用紙にして四、五枚の短いものですが、その鋭い指摘と予見性により、その後の多くの論文で引用されています。
 会報のバックナンバーの入手は困難ですが、「現代児童文学論集5」に収録されているので読むことができます。
 この論文における著者のまとめによると、
「<成長物語>では、主人公は一つの人格という立体的な奥行きを持った個人である。主人公が経験したことは、その内面に累積していって、自己形成(ビルドウング)が行われる。いわば、アイデンティティー論の成立する場である。こうした主人公の成長をモデルとした作品が、一般に近代小説といわれてきた。
 <遍歴物語>は、対比的に、主人公はむしろある抽象的な観念(イデエ)であって、それが肉化したものとしての人物であるにすぎない。いわば、主人公そのものはどうだっていいというところがあり、重要なのは作品を通じて繰り返し試される観念の方である。」
 小説のジャンルを、<成長物語>と<遍歴物語>に類型化することは、特に目新しいことではありません。
 著者の論文の新しいところは、この二項対立を以下のように日本児童文学史に適用した点です。
「早大童話会による「『少年文学』の旗の下に!」(少年文学宣言)は、その文章自体、<成長>をめぐるレトリックから構成されている。このことは、戦後児童文学の理念および童心主義批判が、成長物語のタイプをめざして、前近代である遍歴物語(注:ここでは小川未明などの近代童話を指しています)の語りを抑圧していく過程であったことを示している。」
 また、以下のように現在の児童文学における<遍歴物語>の復権(那須正幹のズッコケシリーズをはじめとしたいわゆるシリーズものやライトノベルなどの隆盛)を予見しています。
「しかし、芸術・学問の諸ジャンルにおいて、近代小説・近代的自我といったものへの信頼が揺らいできた今日、遍歴物の語りに属する≪小川未明≫のいくつかの作品も、本質的に再評価されていく必然にあるのではないか。いいかえれば、子どもを(つまりは人間を)成長のイメージでみないようにすることによって、遍歴物語の語りとそれに導かれた遍歴の思考形式を救抜しようという運動が理論化されつつあるのが、80年代前半という時代だといっていい。その意味で<遍歴>のタイプは、前近代であると同時にポスト近代でもある。」
 以上のように、近現代日本児童文学史は、<成長物語>と<遍歴物語>のせめぎあいで、現時点では<遍歴物語>が優位にあるようです。
 <成長物語>の巻き返しによってポスト現代児童文学の新しい形になるのは、短期間には可能性が低いと思われます。

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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長谷川潮「ぞうも かわいそう 猛獣虐殺神話批判」季刊児童文学批評創刊号所収

2024-08-19 09:16:22 | 参考文献

 戦争児童文学研究の第一人者である著者が、代表的な幼年向け戦争児童文学といわれている土家由岐雄の「かわいそうな ぞう」及びその類型本について、綿密な調査と分析により、それらがいかに誤謬と欺瞞のもとに書かれているかを検証した論文です。
 「現代児童文学論集5 転換する子どもと文学」にもおさめられていますので、そちらでも読むことができます。
 まず第一に、ぞうも含めた上野動物園の猛獣たちが、軍部の命令で虐殺されたのは1943年で、東京ではまだ空襲は始まっていませんでした。
 「かわいそうな ぞう」では、空襲が毎日行われているという説明や爆撃機が飛んでいるシーンがあり、明らかな嘘(あえて好意的に言えば作者の間違い)が書かれています。
 次に、虐殺の命令が軍部から行われたことがぜんぜん書かれていません。
 これでは、虐殺の責任がどこにあるかがわかりません(類型本では園長や役所の偉い人など、他に責任を転嫁している例もあります)。
 また、「かわいそうな ぞう」では、猛獣が逃げ出した時に住民が危険だから殺したということが強調されています(ある種のヒューマニズム的理由に読めます)。
 ところが、実際には前述したようにそれほど逼迫した状態ではないのに、国民の防空意識を喚起するために虐殺は行われたのです。
 そのため、猛獣たちが虐殺されたことは秘密どころか、近くの学校の生徒や児童もよばれて(その中には私の母校の忍ケ丘小学校(当時は国民学校)も含まれています)、大々的に法要が営まれ、それを積極的に報道させました。
 つまり、少国民であった子どもたちの戦意高揚のプロパガンダ(猛獣たちを殺させた憎き鬼畜米英に報復しよう)に利用したのです。
 以上のように、いかに「かわいそうな ぞう」及びその類型本が、事実を調べずにうわべだけの薄っぺらいヒューマニズムにのって書かれたかを、著者は丹念な調査で暴いています。
 特に、「かわいそうな ぞう」の作者は、戦時中は戦意を高揚する作品を子どもたちに向けて書いていたのですから、彼のヒューマニズムがどんなに欺瞞に満ちているかは明らかです。
 現代でも、時流にのって声高に正義(今だったら反原発や復興など)を主張する人たちも玉石混交で、それらの人たちの思想の背景がどんなものであるかを、個々に慎重に見極めなければいけないと思います。

転換する子どもと文学 (現代児童文学論集)
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早大童話会「少年文学の旗の下に」

2024-08-18 11:12:53 | 参考文献

 「少年文学宣言」として知られる1953年に発表された文章(論文というよりは檄文です)で、これをきっかけに児童文学の世界で大きな論争がうまれて、結果として「現代児童文学」が誕生した一つの要因になりました。
「科学は常識によってさえぎられ、変革は権力によってはばまれる。」で始まり、「この道はけわしく困難であろう。しかし、我々は確信に満ちつつ最後の勝利を宣言する。」で終わる、美文調でヒロイックな宣言文です。
 もちろん学生たちが書いた未熟さも内包していますが、当時の児童文学の主流であった「メルヘン」、「生活童話」、「無国籍童話」、「少年少女読物」のそれぞれの利点を認めつつもその限界を述べて、「少年文学」の誕生の必然性を高らかに宣言しています。
 ここでいう「少年」とは、「幼年」、「青年」、「壮年」、「老年」と同様に、たんなる年齢区分を示していて、対象を男の子に限っているわけではありません。
 その「現代児童文学」もすでに終焉して(私はその時期を1990年代だと思っています)、エンターテインメントやライトノベルなどに名を変えた「少年少女読物」全盛の現時点で読むと、あらためて隔世の感がします。
 この宣言文を書いた主要メンバーであった、鳥越信、古田足日の両先生も、2013年、2014年に相次いで亡くなられていますが、真の意味でポスト「現代児童文学」となる児童文学は、はたして今後生み出されるのでしょうか?

ケストナー少年文学全集(全8巻・別巻1)
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エーリヒ・ケストナー「ケストナーがケストナーについて」子どもと子どもの本のために所収

2024-08-17 09:34:06 | 参考文献

 スイスのチューリヒのペンクラブで行った、自己紹介のテーブルスピーチです。
 皮肉や諧謔がふんだんにちりばめられていますし、私は第二次世界大戦前後のドイツの状況に疎いので、なかなか正しく理解するのは難しいですが、以下のようなキーワードをピックアップすることができます。
「長く除外されていた(注:12年間のナチスによる執筆禁止をさします)ので、コンディションについては正確に判断が下せません」
「風刺詩集」
「子どもの本」
「ファビアン(注:反モラル小説の傑作と言われる彼の一般文学の代表作)」
「ユーモア娯楽小説(注:「雪の中の三人男」など)」
「新聞のための文化政策論説」
「キャバレーのためのシャンソンや寸劇」
「演劇」
「教師」
「道徳家」
「合理主義者」
「ドイツ啓蒙主義」
「詩人や思想家の「深刻さ」を嫌い」
「感情の率直」
「思索の明澄」
「語と文の簡潔」
「良識」
「いつも変わらぬ、日当りのよいユーモア」
「第三帝国で執筆を禁止されていたにもかかわらず、自発的にドイツにとどまっていたこと」
 こうしたケストナーの多面性について、これからも継続的(断続的といった方が正しいですが)に考察していきたいと思っています。
 これは、五十年近く前に大学を卒業する時に隠居したらしようと思っていたことの一つなので、嬉しくてたまりません。

子どもと子どもの本のために (同時代ライブラリー (305))
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江面弘也「名馬を読む」

2024-07-28 10:02:43 | 参考文献

 中央競馬の顕彰馬32頭(野球で言えば殿堂入りの人たちのようなものです)のプロフィールを描いています。
 でも、名馬たちの名勝負物語を期待して読むと、少し肩透かしを食うかもしれません。
 筆者は、中央競馬会の機関誌である「優駿」(今は私が愛読していた70年代のころと違って、馬券の予想なども載せてかなり一般読者向けになっていますが)という雑誌の編集者出身ですし、この本の母胎になっているのも、その「優駿」への連載なので、名馬たちのレースそのものだけでなく、血統や、生産者や馬主や調教師や騎手といった関係者や、引退後の繁殖成績などにもかなりの紙数を割いています。
 もっとも、顕彰馬自体が、競走成績だけでなく繁殖成績や中央競馬への貢献(人気を盛り上げたアイドルホース(ハイセイコーやオグリキャップなど)や記録達成馬(その当時の賞金王(タケシバオーなど)や初の牝馬三冠(メジロラモーヌ)など)も考慮されているので、こうした紙面構成は当然かもしれません。
 そういった意味では、私のような競馬マニア(本当に熱中していたのは1969年から1978年までの9年間だけですが)向けの本なのかもしれません。
 ただし、筆者は1960年生まれなので、実際にレースでその馬たちを目にしたのは1970年代後半からのようで、それ以前の馬については筆者もあとがきで書いているように先行の類書から得た知識によるものなので、どれもどこかで読んでいたようで物足りませんでした。
 しかし、私が一番熱中していたわずか九年の間に活躍した、スピードシンボリ、タケシバオー、グランドマーチス、ハイセイコー、トウショウボーイ、テンポイント、マルゼンスキーと、7頭もの名馬たちが含まれていたので、その当時の高揚した気分が蘇って懐かしく読むことができました。

名馬を読む
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ブローディガン「愛のゆくえ」

2024-07-16 15:11:57 | 参考文献

 1971年に書かれたビート・ジェネレーションの影響を受けつつも、フラワー・ジェネレーション(日本で言えば全共闘時代)の雰囲気を伝え、その敗北(実社会に対して)の苦さも感じさせる作品です。
 小説としての完成度はそれほど高くないのですが、自分のために書いた本を著者(その多くは社会から疎外されている人々です)から預かるという風変わりな図書館(場所はフラワー・ムーブメントにとってのメッカであったサンフランシスコのようです)と、そこに住み込んで館外には一歩も出ないという世捨て人のような暮らしをしている主人公という設定が、そのころ現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さ、物質文明への違和感など)に直面していたアメリカや日本(おそらく世界中の他の先進国でも同様だったでしょう)の若者たちにフィットしました。
 また、図書館を訪れて主人公と同棲することになる、絶世の美女でしかもセックスシンボルのような肉体(スリーサイズはインチで37-19-36と書かれているので、センチに直すと93-48-90という驚異的な数字です)も兼ね備えているいうアニメのキャラクター(なにしろ、彼女が11歳のころから、聖職者も含めてすべての男性が彼女に心を奪われて、いろいろな事故や死者までが続出しています)のようなルックスを持ち、そのことに強い違和感を覚えている女性ヴァイダ(人生と言う意味を持ち、主人公を実世界に召還する象徴なのでしょう)の設定も秀逸です(読んでいて、まずオードリー・ヘップバーンの顔とマリリン・モンローの肉体を思い浮かべましたが、どうにも違和感があるので顔はイングリッド・バーグマンに変えたらしっくりしました)。
 実社会に対する嫌悪と逃避はそのころ(今でもそうかもしれませんが)の若い人たちに共通するものですが、それが通過儀礼(この作品ではヴァイダの妊娠と人工中絶(この作品では堕胎と呼ばれ、アメリカでは非合法でした)のためのメキシコのティファナへの旅)を経て、実社会に適合させられます(この作品では、サンフランシスコに帰還後に、突然図書館での職を失って主人公たちは実社会に投げ出されます)。
 当時の日本の若い世代にとっては、男性は就職、女性は結婚がその通過儀礼になっていたと思われます。
 そのころの彼らの気分を歌ったニューミュージックの代表的な曲は、前者がバンバン(作者はユーミン)の「いちご白書をもう一度」で、後者は風(作者は伊勢正三)の「二十二才の別れ」でしょう。
 他の記事にも書きましたが、私自身はフラワー・ムーブメントにも、学生運動にも、遅れてきた世代(大学に入学したのは1973年です)なのですが、その後の虚無的な雰囲気のキャンパスで、主人公と同様に自分のアイデンティティと実社会の折り合いをつけるために苦闘していましたので、この作品はそのころの気分にピッタリでした。
 そして、この本はそのころ好きだった女の子にもらって読んだもので、一読してその子をますます好きになってしまいました。
 もし、主人公とヴァイダのように、その子とうまくいっていれば、もっとあっさりと実社会と折り合いをつけて(児童文学は捨てて)いたかもしれません。

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)
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早川書房
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沢木耕太郎「テロルの決算」

2024-07-10 13:47:18 | 参考文献

 1960年10月12日に起きた、まだ17歳だった右翼少年山口二矢(おとや)による、社会党委員長浅沼稲次郎の刺殺というショッキングなテロ事件を描いたノンフィクションです。
 1978年の出版当時の作者は30歳(その前年に、この作品のひな形を文芸春秋で三回の連載しているので、実質的には20代での仕事ということになります)で、この作品で大宅ノンフィクション賞を受賞して、その後新しいノンフィクションの書き手としてブレイクします。
 ノンフィクションの手法的には、1960年代のアメリカで確立されたニュー・ジャーナリズム(あえて客観性を捨て、取材対象に積極的に関わり合うことにより、対象をより濃密により深く描こうとする手法)を取り入れて、山口二矢と浅沼稲次郎だけでなく、様々な事件の関係者の視点で描いて、読者はそれを追体験しているかのように読めます。
 また、時々作者自身の視点も現れて、その後作者が中心になって確立される私ノンフィクション(作者自身が主要な登場人物になっている事柄を描いたノンフィクションで、「一瞬の夏」(1981年)では作者は主人公のボクサーのカシアス内藤の友人でプロモーターにもなりますし、「深夜特急」(1986年)では作者自身が主人公です)の萌芽が感じられます。
 事件当時、私自身はまだ6歳でしたが、それでもこの事件が記憶に残っているのは、このような日本では他に例を見ないショッキングなテロ事件が、三党(自民党、社会党、民社党)党首演説会という公開の席で実行され、しかもラジオで生放送(テレビは録画放送)中で、毎日新聞がまさに刺殺するその瞬間をアップで撮影したスクープ写真(そのカメラマンは日本人として初めてピュリッツァー賞を受賞しました)を翌日の朝刊の一面に掲載したことによって、多くの日本人に目撃されたために、国民全体で共有される大きな事件になったことと、事件から三週間後に山口二矢がその日に移送された少年鑑別所で自殺し、弱冠17歳の少年が(右翼団体などに使嗾されたものではない)初めから自分自身の死も決意していた自立したテロリストだったというさらにショッキングな事実(作者もこの点に魅かれて山口二矢を描こうとしたと述べています)のために、非常に有名な事件になったからでしょう。
 この作品が最も優れている点は、主人公の山口二矢だけでなく、浅沼稲次郎についてもできるだけ丹念に描いて、年齢も境涯も思想も大きく異なる二人の人物の生涯が、いろいろな偶然が重なったために、1960年10月12日午後3時4分30秒の一瞬だけ交錯した瞬間を鮮やかに浮かび上がらせた点でしょう。
 また、作者が、山口二矢だけでなく、浅沼稲次郎にも少なからぬ愛着を持って描き出し、二人の魅力(長所だけでなく欠点も含めて)を読者に伝えることに成功しているからだと思います。
 今回読み直してみても、殺されなければならなかった浅沼稲次郎(本来は社会党の中では右寄りの人物でしかも庶民そのものの好人物として大衆に人気があったのに、いろいろな事情で当時国交のなかった中国寄りの発言をしたために、かえって右翼の標的にされるようになっていました)だけでなく、殺さなければならなかった山口二矢(60年安保闘争直後で、彼の眼には実質的には権力を持っていて国民を扇動して革命を起こそうとしているように見える左翼(実際にはそんな力はぜんぜんなかったのですが)を激しく憎み、それと同じ程度に口先ではテロなどの過激なことを言うが絶対にそれを実行しようとしない右翼に激しく絶望していました)にも、同情の涙を抑えることができませんでした。
 この作品が書かれる前までに、山口二矢にはすでに数々の神格化された伝説が、右翼を中心に流布されていて、それを検証(作者はできれば否定したいと思っていたかもしれません)するような形で書き始められたのですが、結果として神格化された伝説を追認するようなエピソードが多く書かれていて、いろいろな偶然も含めて山口二矢がこの事件を起こすのは必然(彼はこの事件のためだけに生まれてきた)だったというような読後感を読者に与えているのは不満でした。
 取材者への配慮があるのか、山口二矢の家族(特に父親)や右翼関係者(特に日本愛国党の赤尾敏)や当時の社会党幹部への、作者としての批判が不十分です。
 山口二矢が自立したテロリストであったことには全く異論はないのですが、彼の生育環境や社会背景をもっと掘り下げて描かないと、作者が描いたような運命論的な結末になってしまうのではないでしょうか。
 また、作者自身も認めていますが、山口二矢に比べて、浅沼稲次郎の方の描き方が不十分で、特に社会党内部の動きとの関連を、作者が少し触れている構造改革論も含めて、もっときちんと描かなければ、なぜ浅沼稲次郎が殺されなければならなかったかや、その時の浅沼の思いがよくわかりません。
 さらに、事件から作品化の間に起きた、米中国交正常化の動き(1971年のキッシンジャー訪問に始まります)や日中国交正常化(1972年)との関係(影響が少しはあったのか、それともまったくなかったのか)ももっと描かないと、この事件が二人の個人的な事件(右翼内部や社会党内部の問題は描かれていますが)なのか、社会的な事件だったのかが分かりません。
 個人的には、90年代まで続く55年体制(自民党と社会党を中心にした保守と革新陣営の体制)がここまで長期化し、高度成長時代の経済的な成功(バブル崩壊まで)とそれに伴う格差社会の出現(自民党の長期政権と革新勢力の弱体化が主な原因でしょう)したことに、この事件は少なからぬ影響を与えたと思っています。
 そうでないと、浅沼稲次郎だけでなく、山口二矢も、まったくの犬死だったことになってしまうと思うのは、感傷的過ぎるでしょうか。

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J・D・サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

2024-06-14 11:03:35 | 参考文献

 言わずと知れた青春文学の世界的ベストセラーです。
 特に、日本ではサリンジャーの母国のアメリカより有名なようです。
 四十年近く前に、アメリカにある会社の研究所に半導体の勉強をしに行っていた時、研究所で知り合ったアメリカ人の友だちにこの本のことを話したらまったく知りませんでした。
 もっとも、彼は博士号も持つガチガチの理系人間でしたが、この本は一部の州では悪書に指定されるなど迫害も受けていたようです(このあたりは、キンセラの「シューレス・ジョー」に詳しく書かれています。この本は日本でもヒットした映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作ですが、たぶんサリンジャーのOKが取れなかったのか、映画の中では六十年代の黒人作家テレンス・マンに代えてあります)。
 ネット上でも、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」についてはいろいろ書かれているでしょうから、改めてあらすじは述べません。
 ここでは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が現代日本児童文学に与えた影響だけを考察したいと思います。
 その前に、なぜ「ライ麦畑でつかまえて」でなく、原題の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」としているかを説明したいと思います。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は、1951年にアメリカで出版されたすぐ翌年に「危険な年齢」なんてすごい題名で日本語訳が出ましたが、一般的には1964年に出た野崎孝訳「ライ麦畑でつかまえて」で日本でもベストセラーになりました。
 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は学生時代に原書でも読みましたが、野崎訳に大きな不満はありませんでした。
 ただ、題名だけはずっと違和感を持っていました。
 これでは、なんだか女の子が「ライ麦畑でつかまえて!」と男の子を誘っているような感じがしてしまいます。
 原題に忠実に訳せば「ライ麦畑の捕まえ手」とでもなるのでしょうが、日本語としての収まりはいまいちです。
 2003年に、村上春樹がこの作品の新訳を出して話題になりました。
 それを読んでも特に新しい感銘は受けなかったのですが、題名を「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にしたのには、なるほどこれだけ有名になった後ならばこの手があったかと思いました。
 なぜ私がこれだけ題名に固執しているかといいますと、この「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という題名にはこの作品の本質があらわされているからです。
 これについては、後で詳しく述べます。
 さて、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が現代日本児童文学に与えた影響として、大きなものはふたつあると思います。
 ひとつは、饒舌な若者言葉で書かれた文体です。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の直接的な影響を受けている日本の文学作品として有名なのは、1969年に発表されて芥川賞を取り、これもベストセラーになった庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」があげられます。
 「赤ずきんちゃん気をつけて」は、文体だけでなく、作品に出てくる少女の扱いなど、たくさんの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に似ている点が指摘されています。
 この本は、現在ならばヤングアダルトの範疇の本として出版されたかもしれないので、児童文学作品と言ってもいいかもしれませんません。
 まあこれは別として、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の文体を、初めて現代日本児童文学に適用したと思えるのは、1966年の講談社児童文学新人賞を取って、翌年に出版されて課題図書にもなった後藤竜二のデビュー作である「天使で大地はいっぱいだ」です。
 この作品で使われた子どもの話し言葉で書かれた文体は、発表時には児童文学界ではかなり高く評価されたようですが、先に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでいた私にはそれほど新鮮には感じられませんでした。
 その後も、饒舌な子どもの話し言葉で書かれた作品は、現代日本児童文学でよく見られるようになりました。
 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が現代日本児童文学に与えたもうひとつの大きな影響は、アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化、社会への不適合などの若者の「現代的不幸」を鮮明に作品化したことです。
 この作品が出版されたころのアメリカは、「黄金の50年代」と呼ばれた繁栄の時代を迎えていました。
 貧困、飢餓、戦争(朝鮮戦争はありましたが遠い極東の事件でした)などの「近代的不幸」を克服したアメリカの中産階級の家庭の高校生、ホールデン・コールフィールドには、親の敷いた路線に従ってアイビーリーグの大学を卒業すれば、豊かな生活が保証されていました。
 しかし、ホールデンはそういった見かけだけの豊かさや大人の欺瞞に対して反発し、自分のアイデンティティを見失ってしまいます。
 この「現代的不幸」は、1960年代後半に入ってようやく豊かになった日本で、多くの若者が直面した問題でした。
 そのため、この作品が、そのころの日本でベストセラー(私の持っている本は1974年の第28刷です)になったのでしょう。
 それに対して、現代日本児童文学はこれら現代的不幸の問題に、すぐには対応できませんでした。
 その頃の日本の児童文学界は、階級闘争的な問題に力を入れていて、組合運動や学園闘争や市民運動などを無理やりに中学生や小学生を主人公にした作品に取り入れて、支配階級に対して労働者階級の団結や連帯で問題解決を図ろうとする作品が、後藤竜二や古田足日などを中心にして書かれていました。
「現代的不幸」を現代日本児童文学で描くようになったのは、70年安保の挫折とその後の混乱を経た1970年代後半になってからでした。
 その初期の代表的な作家は森忠明でしょう。
 森の初期作品、「きみはサヨナラ族か」や「花をくわえてどこへゆく」などには、「現代的不幸」に直面した日本の子どもたちの姿が描かれています。
 私自身も、この「現代的不幸」に直面した子どもたちを描くのをテーマにして作品を書き始めたのですが、それはさらに遅れて1980年代後半のことでした。
 今振り返ってみると、1970年代半ばの学生時代に自分自身がこの問題に直面し、実際に児童文学の創作を始める1980年代半ばまでの空白期間は、自分自身のアイデンティティの回復に必要な時間だったのかもしれません。
 さて、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が日本で広く受け入れられた理由の一つに、彼の東洋的な思想への傾倒があります。
 この作品を初めて読んだ時に、私はすぐに宮沢賢治のデクノボーを主人公にした作品群、特に「虔十公園林」を思い浮かべました。
 サリンジャーは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の最後の方で、ホールデンに自分がなりたいものについて、妹のフィービーに向かってこう語らせています。
 以下は野崎孝の訳によります。
「とにかくね。僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているところが目に見えてくるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない - 誰もって大人はだよ - 僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖の縁に立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。 - つまり子供たちは走ってるときにどこを通ってるなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」
 もちろん、作品の題名は、このセリフからきています。
 そして、サリンジャーがこの作品で最も重要だと思ったメッセージはこの部分だと、私は考えています。
 それは、宮沢賢治が「虔十公園林」で描いた「顔を真っ赤にして、もずのように叫んで杉の列の間を歩いている」子どもらを、「杉のこっちにかくれながら、口を大きくあいて、はあはあ笑いながら」見ている虔十の姿にピタリと重なってきます。
 そして、学生時代の、また児童文学の創作を始めたころの私自身にとっても、「ライ麦畑のつかまえ役」や「杉林でかくれて子どもらを見ている虔十」は、「僕がほんとうになりたいもの」なのでした。
 今はもう成人した二人の息子たちがまだ幼かったころ、時々彼らを連れていく大きな公園がありました。
 そこには杉林(虔十公園林とは違って、十メートル以上にも大きく育っていました)の中に、たくさんのフィールドアスレチックの障害物があり、いつも多くの子どもたちが遊びまわっていました。
 そのはずれに立って、自分の息子たちだけでなく、たくさんの子どもたちが歓声をあげて走りまわっている姿をぼんやりながめていると、いつのまにか頭の奥の方がジーンとしびれていくような幸福感を感じていました。
 あるいは、その時には、「現代的不幸」をテーマに創作を続けていくことの自分自身のモチベーションは、すでに失われていたのかもしれません。

 

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本田和子「境界にたって その3 「自己」の文学 ―― 無意識と意識のはざまに生まれるもの」

2024-06-10 08:27:35 | 参考文献

 「子どもの館」18号(1974年11月)に発表された論文です。
 ユング理論に基づいて、意識と無意識を含む心の全体として、「自己(self)」という概念を以下のように使っています。
「意識野の中心として意識の世界を統括するのが「自我(ego)」であるのに対し、「自己」は心の全体性であり、また同時にその中心である。これは自我と一致するものではなく、大きい円が小さい円を含むように自我を縫合するのである。」
 著者は、1963年に刊行されたモーリス・センダックの「Where the Wild Things Are」(文中の邦題は「いるいるおばけがすんでいる」になっていますが、現在は「かいじゅうたちのいるところ」として日本でも有名になっています)を詳細に分析することによって、意識と無意識の両方にまたがる「自己」の文学について説明しています。
「この物語は、一人の少年の無意識への退行と、新たな統合を成就した上での意識への回帰を、あまりにも典型的に描き出していて説明の要もなく思えるほどである。」
と、著者は「かいじゅうたちのいるところ」を評しています。
 ご存知のように、その後「かいじゅうたちのいるところ」は、世界中で2000万部以上も売れたベストセラーになりました。
 著者が指摘しているように、意識と無意識が大人より不分明である子どもたちにとっては、両方の世界を象徴的に描いた「かいじゅうたちのいるところ」はすんなり受け入れられる作品なのでしょう。

 

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J.D.サリンジャー「ブルー・メロディ」倒錯の森所収

2024-05-21 08:50:17 | 参考文献

 二十歳の時に初めてこの作品を読んだ時、こんなにかっこいい短編は今まで読んだことがないと思いました。
 その感想は、五十年近くたって、読み直しても少しも変わりません。
 まず、これほど完璧な「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的な作品は、他にはないでしょう。
 二人(ラドフォドとペギィ。11歳?)が出会うシーン(ペギィが噛みかけのガムを首の後ろのくぼみにさし込むところが格好良かったので、ラドフォドが声をかけました)。
 二人を強く結びつけた完璧な音楽的センス(ラドフォドが前から友だちだった酒場の黒人ジャズピアニストの演奏と、途中から彼の店へやってきた姪のジャズシンガーの歌声に対する二人の反応に対する描写は、音楽ファンなら誰でもしびれることでしょう)。
 二人の婚約(?)(ペギィが、ちょっと怪我しただけ(あるいはしていない)の額に、ラドフォドをだましてキスさせて、それで婚約が成立したと宣言します)。
 二人の別れと再会。
 こうした「ア・ボーイ・ミツ・ア・ガール」的ストーリーの中に、1927年当時の南部(テネシー州)の黒人差別(病院をたらいまわしにされて、黒人ジャズシンガーは急性虫垂炎で死にます)、二人が再会した1942年の雰囲気(第二次世界大戦中で、インターン(医者になろうとしたきっかけは黒人ジャズシンガーの死が影響しているかもしれません)のラドフォドは陸軍に召集されるところで、ペギィは海軍の航空兵と結婚しています)、1944年の戦地での様子(語り手(サリンジャーの分身でしょう)がラドフォドからこの話を聞きます)などが、簡潔にしかし印象的に描き出されています。
 だいたい「ブルー・メロディ」というタイトル自体が、すごくかっこいいですよね。
 ほとんどの創作を始める人が同様だと思いますが、私も好きな作家の模倣からスタートしました。
 私の場合の模倣する対象は、アラン・シリトー(「長距離ランナーの孤独」など)、ペイトン(「卒業の夏」など)と並んで、サリンジャーでした。
 サリンジャーの作品で、「笑い男」(その記事を参照してください)と並んで真っ先に模倣したのが、この「ブルー・メロディ」でした。
 その「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的短編は、当時の雑誌「日本児童文学」の創作コンクールの選者の人たちはすごく褒めてくれたのですが、もちろんその出来が本家に遠く及ばなかったことは言うまでもありません。

 

 

 

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堀江敏幸「いつか王子駅で」

2024-05-07 16:11:06 | 参考文献

 2001年に「熊の敷石」で第124回芥川賞を受賞した作者の、初の長編作品です(それまでは短編集しか出していませんでした)。
 といっても、この作品も、一章から七章までは「書斎の競馬」という雑誌に掲載された連作短編で、八章から十一章までを追加したものなので、連作短編集的な味わいもあります。
 専門のフランス文学だけでなく日本文学にも造詣が深い作者は、昔ながらの「文士」的な雰囲気があり、若い(この作品を書いた時は三十代半ば)のに老成した印象を受けます。
 文章も擬古的で滋味があって、伝統的な文学ファンには魅力があることでしょう。
 出てくる人物は魅力がありますがすべて善人ばかりで、「なずな」の記事にも書きましたがユートピア小説の趣があります。
 作者の古風な(あるいはそれを装った)作品群は、時には鼻につくこともあるのですが、この作品には初めて読んだ時から児童文学に通ずるものを感じて、作者の中では一番好きな作品です。
 それは、主人公が家庭教師をしている中学生の女の子(その親が彼の住んでいる部屋の大家でもあるのですが)が非常によく書けていて、日本のどの児童文学作品に登場する女の子たちよりも生き生きと魅力的に描かれている点にあります。
 彼女は、主に後半の書き足された部分に出てくるので、この作品を長編として成立させているのは彼女を創造できたおかげだったかもしれません。
 この作品には、彼女の外に、主に前半活躍する主人公いきつけの小料理屋の女将も魅力的に描かれていて、主人公にとって対照的な二人のミューズになっています。
 この作品を好ましく思っているのには、個人的な理由もあります。
 まず、舞台になっている北区の「王子」は、私の育った足立区の「千住」と非常に近く、自転車でよく遊びにいっていました。
 また、曾祖母が住んでいたり、祖父が晩年に入院した病院があったりと、個人的になじみ深い場所でもあります。
 作品に頻出する都電荒川線も、学生時代に時々大学に通うのに使ったりしていて懐かしい路線です。
 もう一つの理由は競馬です。
 この作品が競馬関連の雑誌に連載されていたこともあり、タカエノカオリ(1974年の桜花賞馬で、前述した小料理屋「かおり」の名前の由来)を初めとして、ニットウチドリ(1973年の桜花賞馬)、テスコガビー(1975年の桜花賞(大差勝ち)とオークス(八馬身差勝ち)の二冠馬。当時は秋華賞はおろかエリザベス女王杯もない時代なので牝馬としてはパーフェクトな成績で、戦前のクリフジや最近のウォッカやアーモンドアイなどと並び称されるような最強の牝馬)、キタノカチドキ(1974年の皐月賞と菊花賞の二冠馬)、そして今では懐かしいフレーズになった「三強」(この三頭が一着から三着を占めた1977年の有馬記念は、史上最高のレースと言われています)のテンポイント(1977年春の天皇賞と有馬記念の勝ち馬)、トウショウボーイ(1976年の皐月賞と有馬記念、1977年の宝塚記念の勝ち馬)、グリーングラス(1976年の菊花賞と1978年春の天皇賞と1979年の有馬記念の勝ち馬)などの懐かしい馬名が頻出します。
 作者は私より十歳も若いのに、1970年代の競馬に精通しているので、私に限らず古い競馬ファンにはたまらない作品になっています。
 私が競馬に熱中していたのは、タニノムーティエ(1970年の皐月賞とダービーの二冠馬)のダービーからテンポイントの死(1978年1月22日の日経新春杯で小雪舞う中66.5キロという今では信じられないような過酷な負担重量(その後JRAではどんなハンデ戦でもこのような馬鹿げた負担重量にはしないようになりました)のために骨折し、JRAの総力を挙げての治療と子どもたちも含めた全国のファンの願いもむなしく3月5日に亡くなりました)までなので、この作品で取り上げられている名馬たちはまさにジャストフィットしています。
 それにしても、優駿(JRAの機関誌で今のように通俗化していませんでした)1978年2月号の表紙(毎年2月号の表紙は前年の年度代表馬の全身をとらえた写真でした)のテンポイントは、信じられないほど美しく、まさに神が舞い降りたようでした。

いつか王子駅で (新潮文庫)
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瀬田貞二「宮沢賢治」子どもと文学所収

2024-04-28 09:22:01 | 参考文献

 「子どもと文学」の他の論文とかなり趣が異なり、冒頭にグループ(「ISUMI会」といいます)で話し合いがもたれた時の実際の様子が紹介されています。
 この時の題材は「なめとこ山の熊」なのですが、そのやりとりを読んでいて懐かしい気持ちになりました。
 私も、大学一年の秋に、児童文学研究会の尊敬できる先輩(どういう経緯だったのかわかりませんが、私よりもかなり年長で、未成年だった私から見ると、立派な大人のように感じられました)に誘われて、児童文学研究会の分科会としてできたばかりの、「宮沢賢治研究会」という読書会に参加しました。
 それから、二年の間参加した毎週の読書会は非常に楽しいものでした。
 今振り返ってみると、参加していたメンバーの文学的な素質もかなり高かった(その後文学系の大学の教授になった女性が二名含まれていました)のですが、やはり非常に多様な作品(しかも、大半が読書会向きの短編)を持つ「賢治」でなければ、ただ作品を読んで感想を言い合うだけのあのような読書会を毎週続けることはできなかったでしょう(もちろん、読書会の後の飲み会やメンバーとの旅行も楽しかったのですが)。
 他の記事にも書きましたが、先輩はどういうコネを持っていたのか、当時の賢治研究の第一人者であった続橋達雄先生にお話を聞く機会を設けてくれ、会で花巻へ賢治詣での旅行(賢治のお墓、羅須地人協会、イギリス海岸、花巻温泉郷など)に行った際には、続橋先生のご紹介で、賢治の生家をお訪ねして、弟の清六氏(賢治の作品が世の中に広まることに多大な貢献がありました。その記事を参照してください)から生前の賢治のお話をうかがったりできました。
 その後の著者の文章は、評論というよりは、賢治の評伝に近く、賢治の童話創作の時期を前期(習作期)、中期(創作意欲にあふれ、一日に原稿用紙百枚書いたという言い伝えがあり、ほとんどの童話の原型ができあがった時期)、後期(完成期)に分けて、時代ごとに主な作品とその特徴や創作の背景を解説しています。
 著者が指摘している賢治作品の主な特長は以下の通りです。
「構成がしっかりしている」
「単純で、くっきりと、眼に見えるように描いている」
「方言や擬声音、擬態音をうまくとりいれ、文章全体に張りのあるリズムをひびかせる」
「四四調のようなテンポの均一な、踊りのようなリズム」
「日本人には不向きと言われているユーモア」
「ゆたかな空想力」
 こうした「賢治作品」の特長を育んだものとして、著者は以下のものをあげています。
「素質が狂気に近いほどに並はずれた空想力にめぐまれたこと(こればかりは他の人にはまねできません)」
「郷土の自然」
「郷土の民俗」
「宗教(特に法華経)」
「教養(社会科学、文学、語学、音楽)(著者は無視していますが、自然科学の教養も他の作家にない賢治作品の大きな特徴です)
 全体を通して、著者自身の賢治の評価はベタほめに近く、むしろ「賢治」を利用して、既成の童話界(「赤い鳥」、小川未明、浜田広介など)を批判するために書いているような感もあります。
 また、当時(1950年代)の賢治作品の評価が「大人のためのもの」に傾いていると、著者たちは認識していたようで、自分たちの実体験(彼らの子どもたちの感想)も加えて、繰り返し賢治作品は本来「子ども(作品によっては低学年の子どもたちも)のために書かれたもの」で、その上で「純真な心意の所有者」の大人たちも楽しめるものだということを強調しています。
 この文章が書かれてから六十年以上がたち、子ども読者(大人読者も同様ですが)の本に対する受容力は大幅に低下しているので、現在では、当時の著者たちの認識より二、三年はプラスしないと、読むのは難しいかなという気はします。

子どもと文学
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石井直人「現代児童文学の条件」(「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」)所収

2024-04-26 11:36:22 | 参考文献

 1998年に出た日本児童文学学会編の「研究=日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」の巻頭を飾る「総論」の論文です。
 ここでいう現代児童文学とは、1950年代に始まって1990年代に終焉(または変質)したといわれる狭義の現代児童文学(他の記事を参照してください)ではなく、(同時代の)という意味の広義の現代児童文学です。
 論文は、以下の四部構成になっています。
1.「幸福な一致」
2.子ども読者――読書のユートピア
3.子ども読者論の変奏
4.楕円構造――児童と文学という二つの中心
 1では、現代児童文学の出発時にさかのぼり、作者の認識と読者の認識、さらには批評までが一致していた幸福な時代について、松谷みよ子の「龍の子太郎」を中心に述べています。
 2では、著者が戦後児童文学の批評における最大の書物とする「子どもと文学」を中心に、「子ども読者」の創造と読書のユートピア時代について語られています。
 3では、1978年の本田和子の「タブーは破られたか」、1979年の今江祥智の「もう一つの青春」、1980年の柄谷行人の「児童の発見」という三つのエッセイをもとに、「児童文学のタブーの崩壊」、「児童文学と一般文学の互いの越境」、「子ども論」などを中心に、「子どもと文学」が提示した「子ども読者論」がどのように変化し、現代児童文学が変遷していったかを考察しています。
 4では、児童文学が「児童」と「文学」という二つの中心を持つための特殊性と、それゆえの矛盾や葛藤を持つものであるかが示されています。
 全体を通して、「総論」らしく現代児童文学の概観について、文学論、読者論、児童論、心理学、哲学などの知見をちりばめてアカデミックに書かれていて、注に掲げられていた論文や文献も含めて読みこなすのにはかなりの時間がかかりましたが、非常に勉強になりました。
 

現代児童文学の可能性 (研究 日本の児童文学)
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東京書籍
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