高校三年生のアザミがベースをひいていたバンドが、喧嘩別れで解散するところから話が始まります。
といっても、アザミはそれほど熱心にバンドをやっていたわけではありません。
アザミは、勉強も好きじゃないし、帰宅部だし、音楽を聴くこと以外に熱中していることはありません。
アザミが聴いているのは、アメリカのインディーズ系のパンクバンドです。
音楽を聴くことに関しては、いつもCDプレイヤーを持ち歩いていて(この作品が書かれたころは携帯ミュージックプレイヤーは一般的ではなかったのでしょう)、授業中などを除くとヘッドフォンを離さず、インターネットでアメリカの関係サイトにも目を通すくらい熱心です。
170センチ以上の長身で赤い髪をしたアザミを中心に、いつもつるんでいる正義感の塊のようなチユキなど、周辺の女の子や男の子が生き生きと描かれています。
一般書として出ていますが、いわゆるヤングアダルト物でしょう。
アザミは全くやる気がなさそうないまどきの女子高生なのに、チユキに対してひどいふりかたをした柔道部の主将のオギウエの追試での不正を暴いたり、文化祭の時に茶道部の女の子に対してセクハラまがいのことをした他校の男子をチユキと一緒に成敗したり、かなり痛快な青春物語になっています。
そういう意味では、純文学というよりは、エンターテインメントとして書かれているのでしょう。
高校生の風俗を除いては今日的な感じはしなくて、昔からある学園物の趣もあります。
インディーズ系の音楽、歯の矯正、食べ物、恋愛などについては、津村の特長である異常なまでの細かい描写があって、なかなか読ませます。
ただそういう部分を取り除くと、自分の将来に対してなかなか方向性が見いだせない若者という古典的な物語が浮かび上がってきます。
進路に関してまったく干渉せず簡単に浪人を許してくれる両親や、主人公を一校しか受験させない進路指導の先生など、かなりご都合主義的な設定も目立ちます。
主人公が音楽を聴くことだけが生きがいという設定も、それほど目新しくないと思います。
五十年以上も前のことになりますが、私自身も中学から大学の初めごろまでは、アメリカのカントリーロックに対してそんな感じでした。
その音楽熱は、最近かなりぶり返しています。
高校生や大学生のころに、今は無きアカイの一番高級だったカセットデッキで録りためたアナログ音源を、ウォークマンのダイレクトエンコーディング機能を使って、すべてディジタルに変換できたからです。
パソコン上のディジタル音源のユーザーインターフェース(ソニーのMusic Centerを使っています)は快適ですし、それをUSBケーブルでディジタルのまま、本棚に組み込んだスピーカーのそばまで転送して、そこでアナログに変換(ラトックシステムのヘッドフォンアンプを使っています)いるので、五十年まえのサウンドを、ほとんど劣化することなく再現できています。
これで、レーナード・スキナードやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルを聴いていると、古希のおじいさんでも、アザミの気持ちを共有できます。
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