ぶちょうほうの画(え)日記(一語一画(え))

亭主「ぶちょうほう」の身の周りのいろいろな風物を「画(え)日記」ふうに綴っています。

01/04日 今年の初山歩きは三河の猿投山(629m) その1:殊更に車道歩きを続けます。

2015-01-07 07:05:08 | 草花
山の頂に到達する動作を「山登り」といいますね。
しかし、小生の場合はいつからかこの「登り」というのがニュアンス的にちょっと違うような気がしていて、これまで意識して「山歩き」という言葉を用いてきました。
「登り」という言葉の中に手足をフル活用して”よじ登る”ような意味合いを強く感じているからです。
その点、直立歩行して山の頂にいたるのは、やはり、”歩き”と表現したほうが小生の場合はしっくり来るような気がしているからです。
そんな「山歩き」の行為を今年も積み重ねていくことになります。

今年の皮切りは一番近くにある「猿投山」に決めました。
猿投山は愛知高原国定公園に入っている標高629mの低山です。 
しかし、三角点のある場所の標高よりも高い場所が別にあり、そこは632mの高さを持ちます。
この高さは634メートルある例の東京スカイツリーよりも2メートル低いことになります。

この山では小規模ながらもちょっとした石に名前がつけられていて気を引きます。
いわく「お倉石」、「御船石」、「菊石」(国の天然記念物)、「カエル石」などがあります。
そのほかに谷川に、これも小規模ですがいくつかの滝が落ちており、これを「猿投七滝」と言っています。

また、景行天皇のお子の大確命(おおうすのみこと)の陵墓も山中に有り、このお墓は今でも宮内庁管轄となっています。なお、大確命は双子である日本武尊のお兄さんに当たります。

今回の山歩きでは上に記述したすべての箇所に立ち寄ってきました。
シリーズ化して5度に分けてレポートしていきます。

行程図 ↓

右下の猿投神社の横手に車を置いて、反時計回りで歩いてきました。

断面図 ↓

割合きれいな左右対称系になりました。

豊田市郊外から見た猿投山 ↓

こう見た時には普通の冬山の山肌でしたが、近づくにつれて薄く雪化粧された山肌が見えてきて、アイゼンを持ってこなかったことをちょっと悔やみました。

歩き始め ↓

歩き始めは猿投神社の横手からなのですが、初詣の時期とあって駐車場はすべて満車で、路上駐車さえもままならないような状態でした。

車道歩き ↓

今回も意識して車道歩きを出来るだけ多めに取り入れてあります。車を安全な場所においてゆっくりと歩き始めます。

未だ続く路上駐車 ↓

相当歩いていっても幅員の広い所や駐車余地のあるところでは路上駐車は未だ続いています。

水神様 ↓

水神様が祀られている場所がありました。

すぐに水車 ↓

この水車はトロミル水車といって、鉄製の円筒形の臼で、陶器の原料となる石粉を作ります。昭和30年ごろまで猿投山周辺で使われていましたが、その後衰退していきました。豊田市は産業遺産として、昭和55年に猿投山トロミル水車を復元(事業費7,115千円)しました。以上豊田市のHPより記述引用。

お倉石 ↓

倉の屋根を連想させるような形ですね。

登山口 ↓

一般的にはここから始まる山道を登っていきますが、小生は車道歩きを続けます。

道の脇に雪 ↓

道の端に雪が出てきて、これから先に心配が生じます。

アオキ ↓

冬枯れの時節柄、赤い実が目にうれしいです。

別コースと合流 ↓

やがて別のところから来た山道に合流します。そしてすぐにその道は山の中に入っていきますが、小生はあくまでも車道歩きを続けます。

竹の杖 ↓

これはラッキー! 杖二本をゲット。 長さが違うのは我慢しましょう。

テイカカズラ ↓

アスファルトの上にテイカカズラの落下傘部隊が約一名降り立っていました。こんな場所では無駄死にですね。もうひと風、吹くのを待っていることになりましょう。

コメント
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