昨日、車に乗ったときに、カーナビも起動して音声案内で「この日が1月14日で、タロとジロの日である・・」旨を知らせてくれました。
同じことが保育園に子供を送る際の、朝の娘の車でも流されたたようで、それを耳ざとく聞きつけた子供(保育園児)は母親からタロとジロの話を聞かせてもらい、そのことに興味を持ったようで、小生のところに母親から電話がかかってきました。
「孫が南極のタロとジロの話を聞きたがっている」・・・と。
・・・そして小生の出番となり、タロとジロの物語探しが始まった次第です。
最初は、市の図書館のネット検索機能でやっていましたが、本を借りがてら図書館に出向き、職員と一緒になって蔵書探しを楽しみました。
結局適当な絵本は無くて、物語本2冊と、南極関連の絵本1冊の合計3冊を借り出してきました。
本をざっと流し読みして、
南極の基地に犬を置き去りにせざるを得なかったことの酷さと、生き残った2頭の犬の凄さが脳裏にに強く印象付けられました。
昭和32年1月に南極に着いた第一次越冬隊は極地の観測などたくさんの貴重な業績を残したことは国民の知るところですが、昭和33年の2月に引き上げる際に、天候等諸般の事情から、犬15頭を基地に置き去りにしてきてしまったのです。
これは当事、国内で大きな議論を呼んだ出来事となりました。
結局、第一次越冬隊と入れ替わりに任務に就く筈であった第二次越冬隊はその年の悪天候により任務につくことができませんでした。
こうして極寒の地で置き去り、見殺しにされてしまった犬たちは次々と息絶えていったことでしょう。
しかし、翌(昭和)34年に第三次越冬隊のヘリコプターがにこの基地に来てみると、タロとジロ二頭の犬の生存が確認されたのです。
その日にちが1月14日ということで、毎年この日を「タロとジロの日」と定められたようでした。
この二頭の犬はどのようにして、生き延びたのか?・・・・それを知って厳粛な気持ちにさせられました。
一体どんなものを食べていたのか・・・・・・?
酷いことですが、共食いをしては居なかったか?・・・・・これは無かったようで、ほっとしました。
では一体何を食べたか?・・・・あるときはペンギンを捕食していたようですし、またあるときにはアザラシの糞を食べていたようです。
実際に第3次越冬隊のときに、二頭でペンギンを捕獲する場面を隊員が見ているし、この二頭に餌を与えず、断食状態にしてから鎖を放してやったら、海氷上で日向ぼっこしているアザラシのところに駆けて行ってアザラシの糞をむさぼり食べたそうです。
生きるための厳粛な行い・・・・・・それに人間の勝手な価値観の分け入る隙間はなさそうです。
その後ジロは第四次越冬中に昭和35年7月に昭和基地で病死、タロは第4次越冬隊と共に、昭和36年5月に4年半振りに日本に帰国し、その年から昭和45年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、昭和45年8月に老衰のため14歳7か月で死亡したそうです。
なお、現在では生態系保護のため、南極に犬など外来の生物を持ち込むことはできないそうです。
カーナビの音声案内を起点としてまた一つ新しく・深く物語を知ることが出来ました。
上の話とは何の関連もありませんが、付近を歩いて、見た景色などを記して行きます。
ロウバイ ↓

公園のロウバイの花が綻び始めました。
ロウバイ ↓

綻びた花も良いのですが、このふっくらとした蕾も気持ちを和ませてくれますね。
蜂の巣 ↓

ロウバイの木に”ご使用後”のアシナガバチの巣が残っていました。
四季桜 ↓

昨年の冬入りした頃から咲いている四季桜は、今でも花をつけています。孫に木登りさせてみました。
サイクリングロード ↓

サイクリングロードを南方に歩き、北の方角を眺めます。ごく小さく恵那山や西三河の山並みも画角に入れました。
影が伸びてきた ↓

足長おじさんでも、胴長おじさんでも、どちらもOK牧場です。
デンパーク入り口 ↓

ここに着いたのは午後4時半で、園内に”蛍の光”のメロディーが流されていました。
入園料金 ↓

以前は年間パスポートを買って時折来ていましたが、最近はここを殆ど素通りするようになりました。
デンマーク風車 ↓

デンマーク風車が目に寒々しく映ります。
入り日 ↓

日没タイムになり、
夕空 ↓

日が沈み、空は残照で彩られます。 これから気温がぐっと下がります。
頭に明かりを点けて、家路を急ぎます。
同じことが保育園に子供を送る際の、朝の娘の車でも流されたたようで、それを耳ざとく聞きつけた子供(保育園児)は母親からタロとジロの話を聞かせてもらい、そのことに興味を持ったようで、小生のところに母親から電話がかかってきました。
「孫が南極のタロとジロの話を聞きたがっている」・・・と。
・・・そして小生の出番となり、タロとジロの物語探しが始まった次第です。
最初は、市の図書館のネット検索機能でやっていましたが、本を借りがてら図書館に出向き、職員と一緒になって蔵書探しを楽しみました。
結局適当な絵本は無くて、物語本2冊と、南極関連の絵本1冊の合計3冊を借り出してきました。
本をざっと流し読みして、
南極の基地に犬を置き去りにせざるを得なかったことの酷さと、生き残った2頭の犬の凄さが脳裏にに強く印象付けられました。
昭和32年1月に南極に着いた第一次越冬隊は極地の観測などたくさんの貴重な業績を残したことは国民の知るところですが、昭和33年の2月に引き上げる際に、天候等諸般の事情から、犬15頭を基地に置き去りにしてきてしまったのです。
これは当事、国内で大きな議論を呼んだ出来事となりました。
結局、第一次越冬隊と入れ替わりに任務に就く筈であった第二次越冬隊はその年の悪天候により任務につくことができませんでした。
こうして極寒の地で置き去り、見殺しにされてしまった犬たちは次々と息絶えていったことでしょう。
しかし、翌(昭和)34年に第三次越冬隊のヘリコプターがにこの基地に来てみると、タロとジロ二頭の犬の生存が確認されたのです。
その日にちが1月14日ということで、毎年この日を「タロとジロの日」と定められたようでした。
この二頭の犬はどのようにして、生き延びたのか?・・・・それを知って厳粛な気持ちにさせられました。
一体どんなものを食べていたのか・・・・・・?
酷いことですが、共食いをしては居なかったか?・・・・・これは無かったようで、ほっとしました。
では一体何を食べたか?・・・・あるときはペンギンを捕食していたようですし、またあるときにはアザラシの糞を食べていたようです。
実際に第3次越冬隊のときに、二頭でペンギンを捕獲する場面を隊員が見ているし、この二頭に餌を与えず、断食状態にしてから鎖を放してやったら、海氷上で日向ぼっこしているアザラシのところに駆けて行ってアザラシの糞をむさぼり食べたそうです。
生きるための厳粛な行い・・・・・・それに人間の勝手な価値観の分け入る隙間はなさそうです。
その後ジロは第四次越冬中に昭和35年7月に昭和基地で病死、タロは第4次越冬隊と共に、昭和36年5月に4年半振りに日本に帰国し、その年から昭和45年まで札幌市の北海道大学植物園で飼育され、昭和45年8月に老衰のため14歳7か月で死亡したそうです。
なお、現在では生態系保護のため、南極に犬など外来の生物を持ち込むことはできないそうです。
カーナビの音声案内を起点としてまた一つ新しく・深く物語を知ることが出来ました。
上の話とは何の関連もありませんが、付近を歩いて、見た景色などを記して行きます。
ロウバイ ↓

公園のロウバイの花が綻び始めました。
ロウバイ ↓

綻びた花も良いのですが、このふっくらとした蕾も気持ちを和ませてくれますね。
蜂の巣 ↓

ロウバイの木に”ご使用後”のアシナガバチの巣が残っていました。
四季桜 ↓

昨年の冬入りした頃から咲いている四季桜は、今でも花をつけています。孫に木登りさせてみました。
サイクリングロード ↓

サイクリングロードを南方に歩き、北の方角を眺めます。ごく小さく恵那山や西三河の山並みも画角に入れました。
影が伸びてきた ↓

足長おじさんでも、胴長おじさんでも、どちらもOK牧場です。
デンパーク入り口 ↓

ここに着いたのは午後4時半で、園内に”蛍の光”のメロディーが流されていました。
入園料金 ↓

以前は年間パスポートを買って時折来ていましたが、最近はここを殆ど素通りするようになりました。
デンマーク風車 ↓

デンマーク風車が目に寒々しく映ります。
入り日 ↓

日没タイムになり、
夕空 ↓

日が沈み、空は残照で彩られます。 これから気温がぐっと下がります。
頭に明かりを点けて、家路を急ぎます。