昭和55年、1980年7月だったと思う。最初の入院で通された部屋は6人部屋。殆どが手術をした人か手術待ちの人だった。混合病棟で主に整形外科だったが、何床か外科と脳神経外科が割り当てられていた。
皆それぞれに病気は違うが、同じ部屋での寝起きなので仲良くなって退院後も外来などで待ち合わせたり、電話などして交流が続いていたが、20年も過ぎれば、段々と疎遠になり、年賀状だけのお付き合いになってしまった方が殆ど。
昨日病院から帰って間もなく外から呼ぶ人がいるのででてみたら、妹の店に行ったら此処を教えてくれたからとこの辺かなと呼んでみたとSさんが笑いながら自転車を押したまま立っていた。
丁度ルリマツリが満開で綺麗ねと褒めてくれるので折って上げたらとても喜んでくれた。
挿し木しておいて上げるからねと約束。忘れないようにしなければ。
Sさんは妹さんOさんの術後の看病に来ていた。私とOさんは同じ頃の手術で、術後二人部屋で暫く一緒だった人。そんなわけでお姉さんのSさんとも仲良くして貰っていた。と言ってもOさん母と同い年。そのお姉さんは父より2歳ばかり上だった。Sさんがこの町内と言うことは聞いていたが、大分離れているし挨拶にも行かないでそのままになっていた。
上がってと言ったけど、私の目がこんなのを見て遠慮して、家が分かったのでまたゆっくり来ると言って帰っていった。
妹さんOさんは高知市から大分離れたS市にすんでいる。
今夜久し振りに電話してみたら(引っ越したことも電話が代わったこともまだ言ってなかった)『まあ懐かしい夕べ姉から電話があったぞね。指を繰って数えてみたらあれから27年経ったぞね。こないだの事みたいやにねえ』と話は尽きない。Oさんは脊椎狭窄症で短い入院だったが、私が入退院を繰り返すたびに心配して見舞ってくれたのに、この不義理ぶり。。。
北山で咲いていたママコノシリヌグイだと思う。ミゾソバじゃないよね。タデの花もたくさん咲いていた。昨日の歩数『6.276歩』病院往復が殆ど?
皆それぞれに病気は違うが、同じ部屋での寝起きなので仲良くなって退院後も外来などで待ち合わせたり、電話などして交流が続いていたが、20年も過ぎれば、段々と疎遠になり、年賀状だけのお付き合いになってしまった方が殆ど。
昨日病院から帰って間もなく外から呼ぶ人がいるのででてみたら、妹の店に行ったら此処を教えてくれたからとこの辺かなと呼んでみたとSさんが笑いながら自転車を押したまま立っていた。
丁度ルリマツリが満開で綺麗ねと褒めてくれるので折って上げたらとても喜んでくれた。
挿し木しておいて上げるからねと約束。忘れないようにしなければ。
Sさんは妹さんOさんの術後の看病に来ていた。私とOさんは同じ頃の手術で、術後二人部屋で暫く一緒だった人。そんなわけでお姉さんのSさんとも仲良くして貰っていた。と言ってもOさん母と同い年。そのお姉さんは父より2歳ばかり上だった。Sさんがこの町内と言うことは聞いていたが、大分離れているし挨拶にも行かないでそのままになっていた。
上がってと言ったけど、私の目がこんなのを見て遠慮して、家が分かったのでまたゆっくり来ると言って帰っていった。
妹さんOさんは高知市から大分離れたS市にすんでいる。
今夜久し振りに電話してみたら(引っ越したことも電話が代わったこともまだ言ってなかった)『まあ懐かしい夕べ姉から電話があったぞね。指を繰って数えてみたらあれから27年経ったぞね。こないだの事みたいやにねえ』と話は尽きない。Oさんは脊椎狭窄症で短い入院だったが、私が入退院を繰り返すたびに心配して見舞ってくれたのに、この不義理ぶり。。。
北山で咲いていたママコノシリヌグイだと思う。ミゾソバじゃないよね。タデの花もたくさん咲いていた。昨日の歩数『6.276歩』病院往復が殆ど?
どこも悪い所がないのに私なんか少ししか書きませんよ
少し書いたら休んで、の作業と言っておられましたが
抜糸までは不便でしょうね。
読ませていただく方は楽しいですけどね。
ママコノシリヌグイ 見たことあるような、ないような・・・
辛い入院生活の思い出なのでしょうけど
月日が経ち再開したお話は、ほのぼのとしているものなのですね。
風さんの言葉だからかしら。
ような生活になりますが、ひとりで生活していると
年とともに関わってくれる人、気にかけてくれる人が
ありがたく思いますね。
みんな忙しい時代ですからね。
しかし、昔の人は車は無し、携帯無しなのに他県の
人ともよく交流したものです。
ママコノシリヌグイ棘まで見えています、間違い無いですよ。
明日雨になって欲しいの
お元気になられて こうして27年!も経って
旧交を温めることができるのはステキですね。
オマケにルリマツリの交流までできるなんて。
きれいに咲いています、匂いもきっとステキでしょうね。
それにしても自転車で、とは お元気なお姉さま。
あやかりたいものです。
話は変わりますが、風さんのブログを開くのが遅いと言うことをいっていましたが、タイトル部分に表示している山の写真の影響ではないでしょうか。画像のプロパティを見てみるとサイズが1024×768で、容量も272KBあります。ブログで見えているのは上の部分だけですので、画像を加工して軽くしてはどうでしょうか?
>ぱぷりこさん、片方の目だと余り出歩けませんし、することもないので結局パソコンの前に座るようになります。入院のことは昔々の思い出と言うことですが、当時のことを知る人に出会うとついこの間だったようにも思います。ママコノシリヌグイ、これは草むらに良くあるので目にしているかも知れませんね。
>金星さん、あの頃は病院も老朽化で医療面はともかく患者への環境は惨憺たるものでした。その病院は今は統合されて、最新の設備を備えた巨大な医療センターになりました。プライバシーも守られ快適な病院生活を送れるように配慮されているようです。でもあの頃大勢の部屋で年齢も関係なく暮らして県内のあちこちから来ている方と随分仲良くさせて頂きました。今は殆どが年賀状ぐらいになりましたが過ぎればよい想い出です。
>まーにゃさん、辛かったはずなのに何だか楽しかったことばかりが思い出されます。もう一度同じような経験をと言われたらお断りですけどね。
今日は朝から雨です。明日はそちらに雨が届くとまーにゃさんは嬉しいのですね。雨でキャンセルになると栗ご飯が食べられるという図式かなあと勝手にニンマリしています。
>ジョルジュさん、病院という狭い空間の中で同じ食事をして共に暮らすと、変な連帯感が出来るのかも知れません。このお姉さんはOさんと性格が対照的なんですよ。
長く経って病院仲間とも最近は会うこともないので。街ですれ違っても分からないと思います。ルリマツリ咲き誇っていますが、これは残念ながらあまり香りはないです。
挿し木して来年は鉢植えで綺麗に咲かせてプレゼントしようと思っています。
>aigenさんも長期間入院されていたのですね。手術をされないと言うことは、手術で自由の利かなくなった人達の手助けを沢山されたのではないでしょうか。私は最初は元気だったので、皆さんの食事を運んで上げたり出来たのですが、そのうちお世話して貰うばっかりになりました。
テンプレートのことありがとうございます。記事の画像は小さくして掲載しているのですが、テンプレートまで気が付かなかったです。早速なおしますと言いたいところですが。これ娘にやって貰ったままなんですよね。ブログもあまり熱心でない私は新しい方法も勉強しない怠け者です。
ママコノシリヌグイは初夏の咲き始めの頃は少なかったですが今の時期は結構咲いていますね。
18年ほど前、長女が2歳の頃に入院していた頃、あちらも同じ位のお子さんが入院していて、仲良くなった人がいました。毎日その人のご主人が子供の見舞いにきていて仲のよい夫婦・家族だなと思っていたものでしたが3年ほど前にそのご主人は40代なのに肺がんで亡くなってしまい当時は毎日のように彼女と手紙のやりとりをしていました。手紙に涙の跡があって、、、メールなどなかった頃でした。人の運命って分からないものですね。当時ウチは夫婦仲がゴタゴタしていて、その人のことをすごく羨ましいと思っていたんですよ。あちらは天国でこっちは地獄だと。風さんのお話を読んであの頃のことがパッと浮かんできました。
ママコノシリヌグイに似たミゾソバが庭に咲いています。これもなかなか風情がありますね。
>keikoさん、『私は今日はみょうにのうが悪い、風邪でも引いたろうか』と言えば問題はないですが『あんた、みょうに顔色が悪いが、のうが悪いないかね』と言ったら知らない人はなんて失礼な奴と怒りますよね(笑)
keikoさんはお子さんが小さいときの入院生活、誰が入院しても大変ですが、親とすれば子どもが病気というのは辛いですよね。そんな時夫婦で協力していけることは精神的にも随分楽だと思います。keiko さんは、ぎくしゃくしている時期のお子さんの入院は余計辛かっただろうと思います。病院という環境では夫婦なら一応それなりにらしくでしょうが、仮面は疲れます。