風の山のすそ野に母の実家がある。子供のころは、盆と正月は母が里帰りするのについてきて二泊三日ぐらいしていた。
その頃は、伯母夫婦も元気だし、祖母や曾祖母もいて賑やかだったのに、今従兄一人になってしまった。
家の前を流れる川は変わらないけど、護岸工事などで風景はすっかり変わってしまった。
お墓参りをして、従兄と少し話をして次の叔母の家に寄る、叔母も今一人になってしまった。
風の山は、十分な草刈りもしなくなって田畑に通う道も草に埋もれてしまっている。
お昼御飯もそこそこに、気になる場所に出かける。
ヒガンバナは、草にも負けないで咲いてはいるが、子供のころ遊んだシバのきれいに生えた小道の両脇に、行儀よく並んで咲いていたあの風景ではなかった。
草刈りをしなくなって増えたのは、ツル性の植物。ノアズキやノササゲ、ヤブマメそんな中にツルニンジンが咲いていた。
子供のころにはこんなところには生えてなかったと言うか、草自体が生えてなかった。
終わりかけのしかなかったが、草むらに咲いていたので撮影はしやすかった。
ヒガンバナは種が出来ないのだから、自分で遠くに仲間を増やせないと思うのだけど、畑の土止めに植えてあったナンカイギボウシを押しのけてヒガンバナの群生になっていたり、ユズ畑の真ん中に花咲かせたりしている。
イタドリは、来年は良い芽がが出るだろうなと思わせるような育ちぶり。
↑ゲンノショウコと言えばこの赤紫色しか風の山にはなかった。↓この場所にだけこの色のゲンノショウコがあるのに気付いたのは大人になってから(大人になって随分になるけんど20年ぐらい前に気付いたろうか)ここは昔水田、今はゆず畑。
故郷が荒れて行くのを見る心中は複雑。まだこれでも、山を下りた人たちがユズ畑の世話に来たり、畑で野菜を作ったりしてくれているので荒れ果ててしまわないのが救い。この日も幼馴染の三ちゃんが上がってきて、ユズ畑に車を乗り入れるように道を作っていた。
私より一つ下、もう山仕事もしんどくなってきたと言いながらも良く働く。
神社へ続く道は、月末行事があるとかで、いつもより丁寧に刈りはらわせていた。これではチャボホトトギスもないだろうなと思いつつ、上がって行ったら、案の定根こそぎ刈られていたが、一か所土のくぼみに隠れるように花咲かせていたのがあった。
時間があればもっと探しに行きたかったが、色々用事もあり心残して途中から引き返す。
母の話もあまり聞いてやれなかった。メダカも見る暇もなく帰ろうとしたら、『メダカも太ったぜ見ていってや』というので慌てて見に行く。コナギが枯れたと言うことで、ツユクサを植えこんでいたが、それはそれで良い風景になっていた。
チビちゃんと遊んでやる暇はなかったねえ。
その頃は、伯母夫婦も元気だし、祖母や曾祖母もいて賑やかだったのに、今従兄一人になってしまった。
家の前を流れる川は変わらないけど、護岸工事などで風景はすっかり変わってしまった。
お墓参りをして、従兄と少し話をして次の叔母の家に寄る、叔母も今一人になってしまった。
風の山は、十分な草刈りもしなくなって田畑に通う道も草に埋もれてしまっている。
お昼御飯もそこそこに、気になる場所に出かける。
ヒガンバナは、草にも負けないで咲いてはいるが、子供のころ遊んだシバのきれいに生えた小道の両脇に、行儀よく並んで咲いていたあの風景ではなかった。
草刈りをしなくなって増えたのは、ツル性の植物。ノアズキやノササゲ、ヤブマメそんな中にツルニンジンが咲いていた。
子供のころにはこんなところには生えてなかったと言うか、草自体が生えてなかった。
終わりかけのしかなかったが、草むらに咲いていたので撮影はしやすかった。
ヒガンバナは種が出来ないのだから、自分で遠くに仲間を増やせないと思うのだけど、畑の土止めに植えてあったナンカイギボウシを押しのけてヒガンバナの群生になっていたり、ユズ畑の真ん中に花咲かせたりしている。
イタドリは、来年は良い芽がが出るだろうなと思わせるような育ちぶり。
↑ゲンノショウコと言えばこの赤紫色しか風の山にはなかった。↓この場所にだけこの色のゲンノショウコがあるのに気付いたのは大人になってから(大人になって随分になるけんど20年ぐらい前に気付いたろうか)ここは昔水田、今はゆず畑。
故郷が荒れて行くのを見る心中は複雑。まだこれでも、山を下りた人たちがユズ畑の世話に来たり、畑で野菜を作ったりしてくれているので荒れ果ててしまわないのが救い。この日も幼馴染の三ちゃんが上がってきて、ユズ畑に車を乗り入れるように道を作っていた。
私より一つ下、もう山仕事もしんどくなってきたと言いながらも良く働く。
神社へ続く道は、月末行事があるとかで、いつもより丁寧に刈りはらわせていた。これではチャボホトトギスもないだろうなと思いつつ、上がって行ったら、案の定根こそぎ刈られていたが、一か所土のくぼみに隠れるように花咲かせていたのがあった。
時間があればもっと探しに行きたかったが、色々用事もあり心残して途中から引き返す。
母の話もあまり聞いてやれなかった。メダカも見る暇もなく帰ろうとしたら、『メダカも太ったぜ見ていってや』というので慌てて見に行く。コナギが枯れたと言うことで、ツユクサを植えこんでいたが、それはそれで良い風景になっていた。
チビちゃんと遊んでやる暇はなかったねえ。
私の実家辺りもずいぶん変わりました。
以前はこうだったのに、と、しばし眺めることが多々あります。
今年初めてのヒガンバナを時々行く「みかも山公園」で見てきました♪~
チビちゃん、おとなしそう。
ヒガンバナが咲いている故郷があって、うらやましいです。
故郷家が出来たりして変わるのはまだいいですが、段々と山に還って行く、そして誰々ちゃんのお父ちゃん、誰々君のお母ちゃんが亡くなったと聞くと、普段お付き合いもないのですが、さみしく感じます。
ホテイアオイ見事ですねえ。これって冬には枯れてしまわないがですねえ。
やはりたまり水じゃないといいかもしれませんね。hanaさんの楽しみの場所も有名になったみたいですね。
みかもやま公園って凄く広くて、汽車も走りゆうがですねえ。
蔵之助君は乗せて貰えないのでは、hanaさんも乗れませんよねえ。
ヒガンバナこの時期見ないと何となく落ち着かない私です(笑)
それだけでもいいかもしれません。
風の山にはチャボホトトギスだけしかありません。
チビ猫はこの山で生まれ、自由気ままに生きています。人が来ると隠れるので、猫がいることを知らない人もいますよ。
hanaさんつながりで見てくださっていたのですね。嬉しいです。ありがとうございます。
お母様が梼原町出身なんですか。天狗高原などもあり、良いところですよね。
確かに高知県は東西に長く、同じ県内かと思えるぐらい文化の違うこともありますね。
お母様の故郷の話もできればと思っています。これからもよろしくお願いしますね。
雨の魚さん所にもお邪魔させてもらいたいと思っていますが、今日は県東部の山奥まで出かけてきますので、またあとでお邪魔させてくださいね。
来てくださってありがとうございました。
私にもいくつか忘れられない風景があります。
様変わりをした風景の向こうに、子供のころの記憶の風景が残っているってことありますよね。
多摩NTの住人さんの記憶に残る風景はどんな風景でしょうか。
街は開発されて新しく変わっていく風景ですが、田舎はさみしいものです。
昨日行った場所も人の住んでいる気配はなく、名残りの石垣に、昔は田んぼや畑を作っていただろうと想像し、植林された木の大きさから、人が住まなくなってからの年月を思いました。
「何が?」と聞いたら
「風さんとこのチャボホトトギス」
あっちとこっちでPC見ながらの会話でした。
チャボホトトギスは鹿屋のタカクマホトトギスと似た感じ。
けど、そのどちらも見たことがないわたし等です。
遠い過去の故郷の風景、瞼の裏に焼きついた記憶は消えませんねぇ。(色々回想しつつ書いてます)
>彦さんが「可愛らしいなぁ・・」
私の写真載せてなかったはずやけんど・・・
何や、チャボホトトギスのことやったがやねえ(汗)
これは実家のすぐそばに有るがですよ、けんど今年は神社で特別な集まりがあるらしく、それこそ普段より念入りに道ぶちの草刈られちょった。刈られたおかげでこの花が見られたのかもしれん。ほかのはもう種をつけちゅうがばっかりやった。
あら・・チャボホトトギス見てないがですか?花咲き山にありそうやけんどねえ。
県東部は、滅茶苦茶チャボホトトギスが多いがです。その代りよく見かける、ヤマジノホトトギス、ヤマホトトギスはないです。
私は、箱庭さんたちが見てくる花はほとんど見てないねえ。
故郷、私は再々帰れるけんど、箱庭さんにはもう遠い故郷になりつつあるかもしれんねえ。
けんど、記憶の中の故郷はいつまでも箱庭さんと一緒やね。