chuo1976

心のたねを言の葉として

『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2014/3/5

2014-03-06 02:32:56 | 映画
『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2014/3/5


ⅩⅢ  「熱波」「ミステリーズ 運命のリスボン」を見る聴く、

 この二作品で、ポルトガルの近代、現代史が見事に描かれました、「運命のリスボン」の全ては主人公の始まりのベッドでの幻想とも言えるが、語られる世界の、語りの主体の主が次々に移り変わり、安心して理解できる主体が壊されているのだ、誰を信じればよい、神父か、怪しい、そもそもにおいて、彼は神父自体なのだろうか、立派に成ったやくざものとて、真か、誰かから聞き知って今の立場を生きているばかりではないのか、映画の中に繰り返される紙芝居、この映画自体もまた紙芝居、偶々に語られた世界、聴かされた世界、絶対の視点など有りはしない、「熱波」は現代史、始まりでジャングルに消えた男と後から語られる物語の関係は何も判らない、現在のリスボン、一人暮らしの主人公、ポーランドからの旅人はやってこない、隣の偏屈なおばあさん、黒人のメイドさん、おばあさんの瀕死の最中に求める男性、主人公が探す填めに、かくて語られるおばあさんの過去、ロマン、アフリカ、だが、おばあさんの求める男性の語るお話として聴かされる物語、此処でも、語る主体が、動くので、一体誰の物語なのか、誰が聴かされているのか、この転調の中に私たちは、何を見る、歴史の多様な視点、位置関係、この揺らぎが堪らなく面白い、さて、北欧映画祭では、スウェーデンの監督の二作品が上映されて、「ハムスン」、「マリア・ラーション 永遠の瞬間」、北欧の近現代史、こちらはまたオーソドックスな語り方、「ハムスン」はノーベル賞作家の主役を中心にして、ナチスドイツの占領と敗北の時代を捉える、今ひとつの映画はマリア・ラーションという女性写真家の娘の視点で近代から現代に至る時代が語られる、しかし二作品とも激しい葛藤にもかかわらず決して夫婦は別れることがない、そんな表面上何も壊れることのない狂気、不気味、映画自体も奇をてらった作りは無い、ユーロの北と南で、近現代の撮り方が大きく違う、いや、作家の資質の問題か、近現代を家族に絡めて捕らえる映画の多様性、まだまだ、見ることの愉しさが、そして、これらの映画を見ながら、もちろん日本にあって、現代史と家族を絡めて捕らえた映画が何かと、問えば、もちろんに、大島の「儀式」が、迫ってくる、映画という、この広がり、同居、それぞれの作品がそこに収まるのではなく、互いに重なり合って、交わり有って、現れ出てくる思い浮かんでくる映像の世界、そんな、収まり着かない揺らめき、蠢きの中の私、いや、私ならぬ、変容するワタシ、ワタシタチ、これが映画、
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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf