chuo1976

心のたねを言の葉として

『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2014/3/7

2014-03-07 05:08:36 | 文学
『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2014/3/7


ⅩⅣ ソチ、ウクライナ、ティモシェンコ、マオ、ミドリ、
  ソチオリンピックが終わり、これからパラリンピックが、始まる、しかし、この地は元々ロシアの地だったろうか、先住民の姿は何処に、どんなセレモニーにも現れないままに、過去の歴史はロシアの強権の中に隠されて、しかも、ホモセクシャルを一切認めないというあまりに愚かなプーチン、そんなオリンピックの地にのこのこ出かける日本の首相、中国の主席、彼らに人権の感覚は無い、政治駆け引きばかり、しかし、駆け引きと云うが、日本の首相に国際感覚はない、あのプーチンの傲慢と共に写ってしまう時、世界は笑っている、日本の首相の愚かしさを、そして、こんな首相に、災害被災者の人権など見えるはずもない、先の大戦の加害、被害の人権の在処も、有るのは駆け引きとしての靖国参拝、が、ロシアの強権もウクライナを治めきることは出来ずに、さあ大変、あの子は肝心なときにいつも転ぶ、この言葉は、ティモシェンコの事ではないのか、だが、転んだと云うよりも、転ばされた、ユーロとロシアの狭間で、転ばざるを得なかった、今また飛び出して、転ぶことを覚悟で、何度でも挑戦するしかない、彼女自体が、単純に希望とは想わないが、可能性のひとつとして、頑張って貰わないと、ロシアでもないユーロでもないアメリカでもない民主主義の始まりとして、日本がアメリカの覇権でもない中国の覇権でもない、もちろん、日本という覇権でも無い可能性として有ってくれれば、こんな時に役に立つのだよ、真っ先にウクライナに駆けつけて仲介役を勝手出れば良いのだから、武器を持たないことが武器になる駆け引きの可能性、だが、それには政治の天才が必要、天才の不毛の時に、だからこそ平和憲法という20世紀の痛みの後の希望の縛りが、世界の可能性の縛りが、ティモシェンコはともかくにウクライナを転ばさないために、元首相のいつも転ぶという視線の先にはティモシェンコは当然に見えずに、マオチャンが、しかし、競技の最前線を見るのならば、転んではやはり駄目なのだ、こんな彼女をドラマに仕立て、フリーでは見事な演技と慰める世界の視線、これこそはオリエンタリズムではないのか、世界がマオに注ぐアジアの可愛そうなやさしい可愛い少女のおとぎ話、競技なのだから、失敗は負け、それだけのこと、何もマオという皆に都合の良いドラマを仕立てることはない、競技には負けてもよい子でしたと、競技では単なるよい子では駄目だろうに、全ては強権力の抑圧の祭典に終始したオリンピックに、ノンを突きつけるのは、やはりウクライナの闘い、未だどんな闘いかは判らない、可能性として、有るばかりだが、そして、今ひとつ、思い出さずに居れない、フィギアスケートでのミドリのジャンプ、四半世紀も前に、日本の少女が、飛びまくった、そして、演技の振りをもものともせずにガッツポーズ、フィギアスケートの世界を変えた、彼女のジャンプは、成功しようが仕舞いが、まずは飛ぶこと、きっと、失敗しても、また次なるジャンプを平気で飛んだろう、狼狽えはしない、飛ぶしかないのだから、今こそ、ミドリを召還しよう、なぜか、解説者としても外されているミドリ、彼女のジャンプこそを、そして、ティモシェンコに、また飛べと、車いすから飛び立て、ロシアやユーロやアメリカのドラマに組み込まれることなく、ミドリに習って、ウクラナイよ、飛べ、
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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf