chuo1976

心のたねを言の葉として

田んぼの維持、田んぼ周辺の維持、

2019-07-05 04:55:23 | 文学

調理定年

朝日新聞7月3日 月刊婦人之友「友の会」  「調理定年」。評論家の樋口恵子さんが、私たちの雑誌で提唱されています。料理好きだった樋口さんは80歳になったころ、突然、調理が嫌になったそうです。きちんと食べられず、栄養不足となり貧血で倒れました。「体力が落ちたら『手作り主義』は続きません」。市販品を上手に使って十分な栄養をとり、元気に生活することも大事です。
調理にも「積算年数」というのがあって、作ることが「たいぎ」になったのかも知れない。
定年帰農の人が嬉々として農業をしているように、ぼくの場合も、料理を始めたのが還暦直前だったので、今はまだ全然、くたびれてはいない。80歳になっても妻の積算年数に及ばない。

会が、70代以上の37人にアンケートをとったところ、「調理が大変だと思う」と答えた人が約半数を占めました。具体的には、体調がすぐれないときに台所に立つこと、買い物、火の扱い、片付けなどが難しいようです。・・・
ちょっと生意気ですが、ぼくの場合は「調理が終わった時に、片付けもだいたい終わっている。知らん間に(意識したわけではなく)、調理を続けているうちに、そういう手順になった。
買い物・・・これは大変だと思う。自分の場合は軒下においてある野菜を適当にピックアップするだけ。
火の扱い・・・無水鍋を使うことが多く、強火、極弱火、弱火等、火加減が大事だし、極弱火にしてから20分が「煮る時間」なので、極弱火にしたときの時間を常にメモ書きしている。だから「消し忘れ」はない。
一世代前は、たいていの家が農家で、料理のための買い物は豆腐、揚げ、魚、たまに肉、調味料を買うくらいだった。だから、料理のための買い物は少なく、今のぼくがしているように、軒下の野菜を適当にピックアップしておかずを作った。
つまり、今ぼくが作っているような、「野菜を並べるだけ」で、あまり手のこんでいない、時間のかからない、日々同じような、レシピとは言えないような料理が飯台(テーブル)に並んでいた。
メニューを決めて料理に取り掛かるのではなく、野菜を見ながら、何を作るか決めていた。つまり今の主婦とは順序が逆だった。
料理は楽しむものではなく、生きるために口に入れるものだった。

野菜が作れなくなったら、ぼくの夕飯作りも、時を同じくして終わる。
野菜を作るには、田んぼまで500メートルあるので運転ができなければならない。
つまり、運転、野菜作り、夕飯作りは三位一体である。
野菜作りは、10~20羽のニワトリ(野菜の残渣処理)とセットである。
田んぼの維持、田んぼ周辺の維持、里山の維持は、(子供の頃からの)風景の維持であり、自分の存在の維持、まだ知らない次の世代へつなげる維持。
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