『ダーウィンの悪夢』(2004 オーストリア 35mm 107分 フーベルト・ザウパー) 関川宗英
今回(2005年)の山形国際ドキュメンタリー映画祭ではBEST1だ。
ビクトリア湖に1980年代に放流された淡水魚ナイル・パーチは、200種を超える在来種の魚を食べつくし、タンザニアに一大産業をもたらした。パーチを捕る漁民、魚加工工場で働く人々は幾ばくかの経済的な潤いにあずかるが、それは世界経済の搾取の一端であり、新たな貧富の差をタンザニアに生むことに他ならない。
パーチは低賃金の労働力によって食べ物に加工され、ヨーロッパの何百万人かの胃袋に入る。ヨーロッパに輸出されるのは三枚におろした身の部分だ。頭のついた骨の部分は、トラックに山積みされ、さらに貧困の地域に運ばれる。ウジ虫のついたパーチの骨は、天日に干され、養殖用の水槽のような巨大な鍋で揚げられる。その揚げ物は日本にも輸出される。タンザニアには1日1ドルで生活している人が半分以上いるという。
一方、魚を運ぶのはロシアの航空会社だ。ロシアのパイロットたちは、一日10ドルでタンザニアの娼婦を買い、夜は家族の写真を見ながら酒を飲む。
ヨーロッパからタンザニアに来る飛行機は、何も積んでいないと誰もが話していたが、国連の援助物資や武器も運ぶことが暴かれる。援助物資や武器輸出に群がる商人たち。タンザニアの空港は、管理体制がずさんで、密輸にはもってこいの場所になっているという。
漁師たちはエイズにかかっている。貧しい村で、エイズのために死ぬ男たち。一家の主を失った女は、金のために体を売る。それを買うのは、貧しい村の漁師たちだ。そうやってエイズが広がっていく。そして街には、ストリートチルドレンが増えていく。
満足な靴もないような貧しい人たち。ウジ虫の這いまわる泥の中から、腐りかけたパーチの頭をつかみ上げ、天日に干す作業をする女、子供。それで生活の糧を得る。揚げた魚で金儲けする会社。日本の魚の冷凍食品や、ファミレスの魚フライは、ウジ虫がついていたパーチかもしれない。
ビクトリア湖に1980年代に放流された淡水魚ナイル・パーチは、200種を超える在来種の魚を食べつくし、タンザニアに一大産業をもたらした。パーチを捕る漁民、魚加工工場で働く人々は幾ばくかの経済的な潤いにあずかるが、それは世界経済の搾取の一端であり、新たな貧富の差をタンザニアに生むことに他ならない。
パーチは低賃金の労働力によって食べ物に加工され、ヨーロッパの何百万人かの胃袋に入る。ヨーロッパに輸出されるのは三枚におろした身の部分だ。頭のついた骨の部分は、トラックに山積みされ、さらに貧困の地域に運ばれる。ウジ虫のついたパーチの骨は、天日に干され、養殖用の水槽のような巨大な鍋で揚げられる。その揚げ物は日本にも輸出される。タンザニアには1日1ドルで生活している人が半分以上いるという。
一方、魚を運ぶのはロシアの航空会社だ。ロシアのパイロットたちは、一日10ドルでタンザニアの娼婦を買い、夜は家族の写真を見ながら酒を飲む。
ヨーロッパからタンザニアに来る飛行機は、何も積んでいないと誰もが話していたが、国連の援助物資や武器も運ぶことが暴かれる。援助物資や武器輸出に群がる商人たち。タンザニアの空港は、管理体制がずさんで、密輸にはもってこいの場所になっているという。
漁師たちはエイズにかかっている。貧しい村で、エイズのために死ぬ男たち。一家の主を失った女は、金のために体を売る。それを買うのは、貧しい村の漁師たちだ。そうやってエイズが広がっていく。そして街には、ストリートチルドレンが増えていく。
満足な靴もないような貧しい人たち。ウジ虫の這いまわる泥の中から、腐りかけたパーチの頭をつかみ上げ、天日に干す作業をする女、子供。それで生活の糧を得る。揚げた魚で金儲けする会社。日本の魚の冷凍食品や、ファミレスの魚フライは、ウジ虫がついていたパーチかもしれない。
適応能力の高いものが生き残る……ダーウィンの説に従えば、資本主義経済社会が、現在の最高のシステムということになる。
鯨やメダカなど絶滅危惧種に騒ぐ先進国の人のなかには、パーチの自然体系破壊を大きく取り上げる人がいるのだろうか。パーチのことは知らず、鯨やイルカをガイアと神聖化し、ムニエルを食べながら、テレビを見ている人がほとんどだろう。
南北格差の問題も同じだ。人々は搾取はよくないという。植民地政策に賛成する人もいないだろう。金持ちは募金をし、UNの援助物資や助成金がアフリカに行くことに反対する人はいないだろう。しかし、援助物資の中身は欧米の商品だ。回りまわって金は金持ちの国に戻ってくる。貧困の本質について知らず、家族を愛し、悪意もなく、ほとんどの人は生きている。
『ダーウィンの悪夢』。この映画をタンザニアのほとんどの人は見ることはないだろう。一日1ドルの貧しい生活の者が半分以上いるというタンザニアで、どこで、どうやってこのような映画を観るというのか。「貧困」について、「貧困」を生んでいる金持ちの国の人が映画を作り、金持ちの国の人がその映画を観て、タンザニアの貧しさに涙を流す。
貧困はなくさなければならない…そう思ったとき、さて何ができるのか。とりあえずできることは、金の支配から少しでも離れた生活をすることか。この社会システムの中にいる限り、日本で生きていることが、加害者と同じことになる。そこから抜け出すことはできるのか。せめて加害者にならずにいようと考えること自体が、農的自給自足に憧れるのと同じで、金持ちの国の住人の、独りよがりな甘い戯言か。
鯨やメダカなど絶滅危惧種に騒ぐ先進国の人のなかには、パーチの自然体系破壊を大きく取り上げる人がいるのだろうか。パーチのことは知らず、鯨やイルカをガイアと神聖化し、ムニエルを食べながら、テレビを見ている人がほとんどだろう。
南北格差の問題も同じだ。人々は搾取はよくないという。植民地政策に賛成する人もいないだろう。金持ちは募金をし、UNの援助物資や助成金がアフリカに行くことに反対する人はいないだろう。しかし、援助物資の中身は欧米の商品だ。回りまわって金は金持ちの国に戻ってくる。貧困の本質について知らず、家族を愛し、悪意もなく、ほとんどの人は生きている。
『ダーウィンの悪夢』。この映画をタンザニアのほとんどの人は見ることはないだろう。一日1ドルの貧しい生活の者が半分以上いるというタンザニアで、どこで、どうやってこのような映画を観るというのか。「貧困」について、「貧困」を生んでいる金持ちの国の人が映画を作り、金持ちの国の人がその映画を観て、タンザニアの貧しさに涙を流す。
貧困はなくさなければならない…そう思ったとき、さて何ができるのか。とりあえずできることは、金の支配から少しでも離れた生活をすることか。この社会システムの中にいる限り、日本で生きていることが、加害者と同じことになる。そこから抜け出すことはできるのか。せめて加害者にならずにいようと考えること自体が、農的自給自足に憧れるのと同じで、金持ちの国の住人の、独りよがりな甘い戯言か。
2005/10/9 山形国際ドキュメンタリー映画祭にて