chuo1976

心のたねを言の葉として

「映画の父と帽子」     川本三郎

2020-10-04 05:40:15 | 映画

「映画の父と帽子」     川本三郎

 D・W・グリフィスは、「映画の父」と呼ばれている。今日のさまざまな映画技法の基礎を作ったからである。とたえば「クローズ・アップ」(接写)という、今日ではもう当たり前の手法がある。カメラが俳優に近づき、その顔を大写しにする。グリフィスが映画界に入った草創期にはこの手法はなかった。それをグリフィスがはじめて使った。伝説によれば、そのときグリフィスは、女優の顔(リリアン・ギッシュだったという)があまりに美しかったので、「(カメラを)もっと近くに、もっと近くに」といった。そこから自然にクローズ・アップが生まれたという。
 「フェイド・アウト」(溶暗)、「フェイド・イン」(溶明)、「クロス・カッティング」(切返し)、「アイリス」(レンズの前に絞りをつけて、それを開いたり閉じたりしてシーンを始めたり終えたりする)などの手法をはじめたのもD・W・グリフィスである。
 俳優の怒った顔を撮りたいときは、本当にその俳優を怒らせて、怒った瞬間にカメラを向けた。馬が駆け抜ける道の真ん中に穴を掘り、その穴のなかにカメラを置き、馬が穴を飛び越していくショットを撮った。『東への道』の、リリアン・ギッシュが失神し、その姿がナイヤガラの滝の下に落下していこうとする寸前に恋人に助けられるという迫真の場面は、ヒッチコックをして感嘆させた。
 グリフィスは、次々に新しい映画的技法を考えていった。アイデア・マンだった。もともと発明好きで罐詰の新案や海水の利用法などを考えたというエピソードも残っている。映画の仕事を心から愛していて撮影中は一日十五、六時間、平気で働いた。
 グリフィスが映画界に入ったころには、映画は、演劇や文学に比べると、格の低い大衆娯楽だと考えられていた。グリフィス自身も当初はそう考えていたため、映画の仕事をするときには本名ではなく芸名を使った。しかし、映画に深く関わるにつれて、グリフィスは本名を名乗るようになり、映画の仕事に誇りを持つようになった。
 彼が、熱心に映画の新技法を考えたのは、なんとか映画の質を高めたいという彼の、アーティストとしての誇りがあったからだろう。グリフィスのことを育ての親として敬愛し続けた名女優リリアン・ギッシュは『リリアン・ギッシュ自伝 映画とグリフィスと私』(筑摩書房、一九九〇年)のなかで、グリフィスは、撮影の現場で、映画のことを「フリッカー」(カツドウ)と低俗ないい方をしたスタッフの一人に怒って、こういったという。「ここでそんな言葉を二度と聞きたくない。よく覚えておきたまえ、もう君たちは二流の芝居小屋に出ているのとはわけが違うのだ。今日ここで我々が作るものは明日には全国の人間が見ることになる。いやそればかりか世界中の人々が見ることになるんだ!」
 この言葉のなかに、なんとか新しい映画という表現形式の質を高めたい、芸術にしたいというグリフィスの気負い、誇りがこめられている。今日、多くの映画人からグリフィスが「映画の父」といわれるのは、この誇りのためである。
 タヴィアーニ兄弟の『グッド・モーニング・バビロン!』(一九八六年)は、草創期のハリウッドでセットを作る仕事に関わったイタリア人の大工の兄弟を描いた素晴らしい映画だが、このなかに『イントレランス』撮影中のD・W・グリフィス(チャールズ・ダンス)が出てくる。映画のなかのグリフィスは、誇り高い芸術家として敬意を持って描かれている。
 たとえばこんなシーンがある。グリフィスは、ある日、イタリアのパストローネ監督が作ったスペクタル『カリビア』を見て感動する。その壮大なスケールに圧倒される。そして同じ映画監督として、パストローネに、いかに感動したかと電報を打とうとする。しかし、そこでグリフィスは思いとどまる。そのときの言葉がいかにもグリフィスらしい。「(電報を打つのは)やめよう。芸術家は作品を通して意志を伝え合うものだ」
 グリフィスが、イタリアからハリウッドにやってきた大工たちの父親(オメロ・アントヌッティ)と会う場面も「芸術家」グリフィスの誇りがよく出ている。父親は教会建設の大工である。教会を建てる仕事に比べれば、映画のセットの仕事などくだらないと軽蔑している。それに対してグリフィスはいう。「私は映画作りを愛し、それを尊く思っているのだ」。父親はその言葉に心を動かされる。
 グリフィスが「映画の父」と呼ばれるゆえんはこういうところにもよく描かれている。逆にいえば、晩年、彼がハリウッド映画界から見離され、ハリウッドの小さなホテルで寂しく死んでいったのは、あまりに誇り高すぎて、次第に企業化していく映画界と相容れなくなってしまったからともいえる。
 グリフィスは帽子を愛した。広ぶちの大きなフェルトの帽子を愛用し、撮影中はいつもかぶっていた。今日残っている写真を見るとグリフィスはたいてい大きな帽子をかぶっている。あの大きな帽子は、いかにも「父」にふさわしい。

『グリフィス ハリウッドに巨大な城塞を築いた映像魔術師』(向後友恵 メディアファクトリー  1992年)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf