蓮實重彦、『スパイの妻』を絶賛 関川宗英
10月16日の朝日新聞で蓮實重彦が、『スパイの妻』(黒沢清 2020)を絶賛していた。
『スパイの妻』は、主人公聡子(蒼井優)とその夫の優作(高橋一生)、そして聡子の幼馴染、映画では憲兵隊の分隊長として登場する泰治(東出昌大)、この3人が織りなすドラマだ。
蓮實重彦はこの記事で、黒沢清の映画について、「小泉今日子主演の『贖罪』(12年)シリーズ以降、監督の描くものは、予測不能な女たちの変貌ぶりの描写へと推移している」と書いている。
『スパイの妻』で変貌するのは、聡子(蒼井優)だ。聡子は、憲兵隊の司令部で泰治(東出昌大)から、夫の優作(高橋一生)の疑わしい言動を聞かされる。
「その言葉に毅然として耳を傾ける和服姿で日本風の髪を整えた蒼井優が、圧倒的に美しい」と、「いつの間にか行動する女へと変貌し始める聡子」を讃えている。
「聡子が演じてみせる変貌が戦後日本という名の世界を救うことになる。傑作である。」
蓮實重彦は明快な賛辞の言葉で、記事を締めくくっている。
辛口の蓮實重彦だが、彼の目にかなった映画ならとことん擁護する。
『表層批評宣言』『反日本語論』など刺激的な言葉で、日本にこれまでなかった新しい批評の地平を切り開いた蓮實重彦。そして、数々の映画評論、「リュミエール叢書」の創刊など、日本映画界にもたらした影響は計り知れない。
「リュミエール叢書」や「季刊リュミエール」は、蓮實重彦のお気に入りの監督、映画がまとめられているが、どれも映画への賛辞と映画への愛で満ちている。なぜこの映画は素晴らしいのか、このシーンはなぜ美しいのか、それを彼は知的に語るのだ。その言葉が、いつも刺激的だった。
たとえば、「季刊リュミエール」の創刊号の編集後記をかれは次のように書いている。
「自信をもって、そしてその自信の嵩にあった深い恐れの気持ちとともに、『リュミエール』第一号を皆様方にお送りする。」
蓮實重彦こそ、映画の素晴らしさ、美しさを、知的に言語化できる人だと熱い視線を送っていた。
山形のドキュメンタリー映画祭で、彼の姿を見たことがある。
京橋のフィルムセンター(今の「国立映画アーカイブ」)で、夫婦で映画を見ていたこともある。
それが近年、執筆活動もすっかり減ったと思っていた。
そんな蓮實重彦が、一本の映画にこれほどの賛辞を贈る新聞記事を読んで、ちょっとわくわくするような、どこかうれしいような気持ちになった。
『スパイの妻』の劇場版は、10月16日から東京・新宿ピカデリーほか全国で上映。
「スパイの妻」の黒沢清監督に監督賞 ベネチア映画祭
2020/9/13 朝日新聞
第77回ベネチア国際映画祭は最終日の12日夜(日本時間13日未明)、イタリア・ベネチアのリド島で授賞式があり、コンペティション部門に参加した「スパイの妻」の黒沢清監督(65)が銀獅子賞(監督賞)に選ばれた。日本映画で同賞を受けるのは、2003年に「座頭市」で参加した北野武監督以来17年ぶり。
黒沢監督は、授賞式にビデオメッセージを寄せ、「長い間、監督に携わってきましたが、この年齢で喜ばしいプレゼントになりました」と語った。
黒沢監督が初めて挑んだ歴史映画「スパイの妻」は、太平洋戦争の開戦前夜の神戸で生きる福原聡子(蒼井優)が主人公。日本が戦争へと突き進んでいくなか、満州で恐ろしい国家機密を知ってしまった夫の優作(高橋一生)の暗躍のために、憲兵隊から「スパイ」の嫌疑をかけられる夫婦の姿を描く。高精細の8Kで撮影され、NHKのBS8Kで6月に放送されたドラマを劇場版として再編集した。