ⅭⅩⅠ「ドンパス」を見る聴く 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ 2022/7/10
映画の撮影の楽屋の中、化粧される女たち、役者、いや、世間の人々がドキュメントスタイルでの撮影か、だから、役者とも言い切れない、一般人、スタッフの無口な女、カメラの主体は、監督は、どこに、皆がスタッフの指令で外に、路地を走る、いかにも、最前線のごとくに、近くで爆撃の音が、最前線を演じる化粧された女たち、酷い攻撃だとばかり、だが、誰が誰を狙っている、占領地とは、親ロシア派の世界、彼らは、ロシア派の人々の悲劇を作り上げている、ならば、爆撃の音は、ウクライナの攻撃、いや、全ては彼らの芝居、見せかけ、だが、彼らとは誰、州議会か、政治家たち、そこに一人の女が、議長の頭にくそを流す、怒り、罵り、なじり合い、新ロシアの歌の後に、会議が始まった矢先、でも、ここに入り込めるとは、どうしたセキュリティー、会議と言っても、どっち側の、誰の、ための会議だ、見せかけ、お芝居の中、病院、スタッフの女性たち、産婦人科の看護師たち、医師の横領、物資がないのではない、届かないのではない、医師が横領しているのだ、だが、この物資は、どこから、誰に、占領地とは言え、ウクライナなのだから、ウクライナの人々のために、その物資を横領するのは、どっちの位置なのだ、彼らもまたウクライナ人、医薬品、肉、缶詰、飲み物、何でもあるのだ、ここで語る男は、警察官、軍人、国連がらみ、この男は議会でのくその女の話を電話で聞いて笑っている、全てが、空回り、見せかけの世界、ドイツ人のジャーナリスト、軍人たちが、ファシズムと、なじり、ナチスを疑い罵る、困惑するドイツ人、誰が、指揮官だと、問うが、皆が笑っている、大体、この軍隊の構成は、ウクライナ人、ロシア人、親ロシア派の人、正規軍ではないのだろう、金で買われた人々、金をもらえれば、どこでも良いのだ、仕事もない、貧しい人々、戦争があれば、金がもらえる、だから、見せかけの戦争でも、どこまでも、続いてくれなくては、病院に居た男が、検問所を越えて、親ロシア派の占領地から、ウクライナに、ウクライナの警察が、軍人が、物資の横領で生きているのだ、ウクライナも、ロシアも、彼らの作り出した場、間なのだが、逆に、均衡状況で、最前線の見せかけに乗せられて、なんとか、始末したくて、攻め込むロシア軍、ウクライナの大統領は民主主義を持ってきて、欧米を招き寄せた、世界が見せかけに巻き込まれて、最前線では、見せかけなのか、現実なのか、実態は何か、解らなくなっている、己はどこの誰なのだ、味方なのか、敵なのか、横領男らの奥の部屋には、若い娘が、横領者らの玩びもの、バスで戻ってきた若者、下ろされて、裸にされて、ロシア派の世界から、逃れたが、結局、居場所がなくて、戻ってきた、逃げ戻ったと怒りの将校、彼らをも、兵士にするのだろうか、彼らは、ウクライナ人、ロシア派のために戦わされるのだろうか、その逆もまた、有るのだろう、派手な化粧した娘、地下壕の中、母を探して、酷い湿気、粗末な食事、水ですら満足にない、生活、占領地で、地下に隠れて、逃れて、生きている、ウクライナの人々、母を連れ出そうと、隠れる母、皆の冷たい視線、娘は怒り、食料を投げ出して、外に、車に、役所に、なんと、親ロシア派の幹部の秘書なのだ、いや、愛人だろう、教会の人々が、幹部になんとか、教会を守って欲しくて話し合いに、大切な、キリストの画まで持ち出して、賄賂、だが、受け取るが、全く聞き入れる様子はない、簡単に扱われて、外に、秘書は、訪れる人々を、招き入れるばかり、だが、何の解決もない、バスでやってきた若者たちは、地下に潜っている彼らを助けるために戻ったのだろうか、いや、生活するために、家族の許に戻った、が、囚われて、占領地のロシア派の兵士、若い娘、誘い、連れだって、娘たちは、ウクライナも、ロシアも関係ないのか、どこの誰、秘書の娘同様に、役人と、兵士と関係すれば、生きていける、金になる、囚われた、一人のウクライナの老いた兵士、縛られて、皆の見せしめに、先ほどの若い兵士ら、通りがかりの人々、皆が、殴りつける、リンチ、おばあさんまで、これこそ、始まりの、メイキャップしていた、人々の演じる現実、罵られ、蹴られ、殴られ、殺してしまえと、流石に、連れ来たった兵士が、連れ戻す、追いかける人々、そして、結婚式、ロシア派の兵士と女の結婚式、国歌、司会の女性も、皆の騒ぎに、困惑、祝い、叫び、抱擁し、大騒ぎ、どこか、やけっぱち、楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、叫び、雄叫び、軍人たちは、さっさと、最前線に、殺しに、戻っていく、かくて、始まりの楽屋のシーン、同じ人々、また、同じような、芝居を演じるのだろうか、ここまで撮られてきた映画自体が、全てお芝居、作り事、だが、誰の、監督の、国家の、そこに始まりのスタッフが現れ、皆を連れ出そうと、そこに銃弾が、皆が撃ち殺されてしまう、誘いのスタッフの後ろには、兵士が、彼の采配、彼らはさっさとロケバスから、去って行く、パトカーのサイレン、殺人の連絡が入ったのだろう、だが、アナウンスされるのは、撮影とは関係ない事件として、語られている、警察、マスコミ、また、創作されたニュースが流されて、カメラは、バスから、引いてクレーンで高見に、俯瞰で、中庭のような、世界を、ロングで捕らえる、カメラも、監督も、映されている人々も、見ている私たちも、この芝居の、映画の、主体なのだ、私たちが、皆で、ドンパスを作り出している、ウクライナを、ロシアを、世界を、そんな、戦争の外に私たちは、居ないのだ、プーチンばかりではない、私たちもまた、戦争を作り出しているのだ、プーチンのおかげで、ソ連崩壊後の世界が、判り安くなりました、