chuo1976

心のたねを言の葉として

相模原事件と裁判員裁判

2021-04-23 11:31:09 | 死刑

相模原事件と裁判員裁判



『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』 森達也 2020年 講談社現代新書



死刑にするためのセレモニー

 

 Zoom画面の中で顔を上げた篠田*は、「相模原事件の裁判の問題点はもうひとつあります」と言った。「裁判員裁判の影響は大きいと思う」

 やはりそうだよね。そう思いながら「公判前整理手続きですね」と僕は同意した。刑事裁判において、裁判官、検察官、弁護人の三者が公判前に協議して争点を絞り込む公判前整理手続きは、市民から選ばれた裁判員の負担を軽減することを主目的に、2005年の改正刑事訴訟法施行で導入された。この手続きの際に三者は綿密な審理計画も立てる。ならば公判も短くできる。理屈はそうだ。相模原事件の初公判は2020年1月8日で結審は2月19日。審理期間は2ヵ月もない。宮崎勤の一審の審理期間はほぼ7年で、死刑判決の基準となった永山則夫の一審は(途中で弁護団の解任などがあったこともあり)10年。麻原彰晃の一審は8年弱で、和歌山カレー事件は3年半だ。

 そして植松の一審は1ヵ月強。

 無駄に長いよりは短いほうがいい。でもこれまでと比べて1ヵ月は強は極端すぎる。誰だってそう思うはずだ。篠田が言った。

「裁判員は一般市民でもあるから、仕事や生活を犠牲にして何年も裁判に関わることは難しいですよね。だから公判をコンパクトにしようという動きが強くなった。相模原事件の場合も、逮捕から2年ぐらいかけて公判前の討議をやって、どんな方針でどういう審理をするかをほぼ(密室で)決めてから公判を始めた。その結果として公判では、端的に言っちゃうと死刑にするしかないか、つまり責任能力についての議論だけになってしまった。

 今の刑事裁判全体にこの傾向があるけれど、相模原事件はその典型ですね。公判ではやまゆり園の職員の聴取なんかも読み上げられたけれど、ひとつのホームをまずは襲撃して次に隣、という具合に、植松の当日の行動が一つの合目的な方向に向かっていることを印象づけるための聴取が選ばれていると感じました。つまり責任能力ありという結論に落とし込むための手続きを。例えば職員を拘束してから部屋の中で寝ている人を示して、しゃべれるかどうかを植松は質問してきたと職員は言うわけ。しゃべれないって答えると殺されることに気づいた職員がしゃべれますと答えたら、植松はその嘘を見抜いてしまう。こうした事実関係を示すことで、犯行の目的やプロセスを合理的に認識していることを強調する。ならば責任能力がある。論点はそこに集約される。事前の打ち合わせもしっかりできている。だから傍聴しながら、舞台を観ているような印象を強く持ちました。

 その結論として、責任能力以外の論点、例えば障害者への差別の現状について、あるいはやまゆり園も含めて福祉のありかた、何よりも植松の動機の解明とか、そんな要素が全部抜け落ちてしまった」

「法務省は裁判員裁判を導入しなければならない理由を、裁判に市民感覚を取り入れるためと説明しました」と僕は言った。

「その主旨そのものは間違ってはいないと思うのだけど、その弊害がとても大きくなってしまった」と篠田は言った。そうかなあと僕は思う。弊害が大きくなったとの視点については同意だけど、主旨そのものは間違っていないとの見方に対しては違和感がある。だってプロの裁判官が市民感覚から遊離していると認めるなら、国民に裁判への参加を強要する前に、裁判官が市民感覚を持てるようなシステムや研修制度を考えるほうが先だと思うのだ。

「まあそれもわかるけれど」と苦笑しながら篠田は言った。「特にこの事件は複雑で、いろんな問題を提起しているにもかかわらず、1ヵ月強で裁判が終わってしまった。裁判員制度導入前に比べれば本当に短くなった。この法廷を端的に言えば、死刑にするためのセレモニーでした」





*篠田~篠田博之(しのだひろゆき)月刊「創」編集長。専門はメディア批評だが、植松聖死刑囚以外にも、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも20年以上にわたり接触。その他、多くの事件当事者の手記を「創」に掲載してきた。

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乾きつゝふかみどりなる和布かな

2021-04-23 05:37:14 | 俳句

乾きつゝふかみどりなる和布かな                    高浜年尾

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青空に喝采のごと辛夷咲く

2021-04-22 05:11:58 | 俳句

青空に喝采のごと辛夷咲く                          白濱一羊

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ALS嘱託殺人事件

2021-04-21 16:44:48 | 言葉

ALS嘱託殺人事件

 

『相模原に現れた世界の憂鬱な断面』 森達也 2020年 講談社現代新書




 2020年7月23日、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者に薬物を投与して死亡させたとして、京都府警捜査1課は2人の医師を嘱託殺人の疑いで逮捕した。学生時代に知り合って現在は東京と宮城県名取市でそれぞれクリニックを経営している2人の医師は、2019年11月30日に京都市に住む女性のマンションを訪ね、大量に服用すれば致死量となる「バルビツール酸系」の薬物を投与して殺害した。安楽死の報酬は130万円。女性から山本容疑者の口座に振り込まれていたことが確認されている。

 吉岡とのインタビューを終えた直後に発生したこの事件は、植松の死刑判決確定後ということもあって、社会に対して(そして僕にとっても)大きな問題を提起した。

 名取市にクリニックを持つ医師は活発にツイートしており、フォロワーは1万9000人いた。そのいくつかを引用する。

「経済的な生産性でいうとマイナスでしかない認知症老人に人生からめとられて、退職を余儀なくされるとか、ほんとボケ上がった老人を長生きされることに俺は興味も関心もない」

「意味などないでしょう。ゾンビを無目的に生かして、国民の皆様から診療報酬を賜るというだけ。バカらしくて新人はやめていくし、生活の糧と割りきった人だけが感情棄てて業務に当たる」

「予後不良なのに治療に人生とカネを費やす意味があるんですかね」

 2人の医師が過去に共著で刊行した電子書籍のタイトルは『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』。つまり高齢者や治る見込みのない病人を生かし続けることに対して、2人は一貫して異議を唱え続けている。死生観や倫理観ではなくとにかくコスト。犯行直前には新型コロナ感染症について、「死ぬべき人がひとしきり死んだら、コロナ騒ぎも終わって経済回るんじゃねえのかな」とツイートしている。

 被害者の(自分を殺害してほしいとの)意に沿うことが前提である嘱託殺人は、普通の殺人に比べれば刑罰は軽い。最高刑は7年以下の懲役または禁錮だ。過去に患者を安楽死させたとして医師が送検されたケースは7件あり、このうち東海大病院事件など2件は有罪判決を受けているが、富山県の射水市民病院や和歌山県立医大付属病院など医師が延命治療を中止した5件は、嫌疑不十分などの理由で不起訴となっている。

 現状で安楽死を認めている国は、スイスとオランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダに韓国、アメリカとオーストラリアの一部の州だ。日本の法律は認めていない。しかし不起訴となった5件が示すようにグレイな領域がある。

 末期がん患者に塩化カリウムを注射して死亡させた医師が裁かれた東海大病院事件では、懲役2年(執行猶予2年)を言い渡しながら横浜地裁は、安楽死が許容される4つの要件を挙げている。

 (1)患者に耐え難い苦痛がある

 (2)死が不可避の末期状態である

 (3)苦痛緩和の方法を尽くして他に代替手段がない

 (4)患者本人の意思表示がある

 これらすべてが満たされるのなら安楽死は認められる、との解釈だ。現実に厚労省の終末医療の指針では、「痛みや不快な表情を緩和し、精神的・社会的な援助も含めた総合的な医療・ケアを行うこと」などを条件に、延命のための医療行為の中止を認めている。

 でも今回の嘱託殺人事件は、これまでの安楽死事件とは明らかに違う。2人の医師と被害者の接点はSNSだけだ。2人がマンションを訪ねてから薬物を投与して立ち去るまでに要した時間は10分。あまりに軽い。そして薄い。ぺらぺらだ。2人の医師の行動には、そのツイートが示すように、葛藤や煩悶は欠片も見当たらない。まるで自動販売機のように機械的だ。

 ……ただし補足しなければならないが、安楽死の議論と相模原事件を同じ位相で語るべきではない。これも内実はまったく違う。でもひとつの可能性として、この嘱託殺人事件は、相模原事件が提起する何かに共振したのかもしれない。事件そのものの共振ではなく、吉岡が言うように、時代や社会状況の共振だ。ならば同じ事態はまた起きる。いやもう起きているかもしれない。植松は先端にいた。ならば後ろにもいるかもしれない。立ち止まって考えねば。凝視しなくては。相模原事件が提起する何かとは何か。僕はそれを言語化したい。見据えてから次に進みたい。

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みな椿落ち真中に椿の木

2021-04-21 04:59:44 | 俳句

みな椿落ち真中に椿の木                     今瀬剛一

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海底に真実ありぬ沖縄忌

2021-04-20 05:13:24 | 俳句

海底に真実ありぬ沖縄忌                        原槙恭子

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初蝶は牛なひしもの連れて来る

2021-04-19 05:27:42 | 俳句

初蝶は牛なひしもの連れて来る                 原槙恭子

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ひらきたる春雨傘を右肩に

2021-04-18 05:05:47 | 俳句

ひらきたる春雨傘を右肩に
                           星野立子

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しらうをは海のいろして生まれけり

2021-04-17 05:39:06 | 俳句

しらうをは海のいろして生まれけり                                                  高橋順子

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妻でなく母でなく午後のアネモネ

2021-04-16 04:47:09 | 俳句

妻でなく母でなく午後のアネモネ                 対馬康子

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札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf