ラードラー日記 ー グルメライダース2.5

海外ビール紀行 と ロードバイク ヴェンジとの日々

徳川家康読破 推し本

2016-06-12 00:12:06 | 
山岡荘八の徳川家康26巻を読み終えた。戦前から戦後にかけて生きてこられた方なので、文体に重みがあって良い。家康の生まれてから死ぬまでの物語なので、織田信長や豊臣秀吉の人生とも絡んで、読み応えがある。同時に織田信奈の野望10巻くらいも同時並行で読んで見たが、頭の使う部分が違うのか1巻読むスピードに5倍くらい差がでるので、ライトノベル派には、キツイかもしれない。ただ内容としては、読む意味があるのでおすすめである。山岡荘八は織田信長の視点からの本も出しているので、同時代を複数の見方から読む読書法も良いと思う。

ところで、一坪とは、一人1日の食べるお米の量が収穫できる面積のことであり、一ヶ月分の30坪がひと畝、元々は360坪つまり1年食べる量が一反で、秀吉が測量した際に、300坪を一反とした。この一反から取れるお米の量が、1石であり、100万石の大名は、100万人の領民、戦国時代なら兵士を雇うことができるということで、国力に直結していたし、サラリーマン的に言うと、部下の数を表すことになる。この辺を頭に入れておくと、戦国物の戦略の理解が深まる。私が気付いたのは最後まで読んでからだったが。ついでにショックだったのは、家庭菜園レベルではいざという時食べていけないということである。因みに米一俵は一石から4割の税金としての取り分であり、60kgのことで、人一人が運べる重さでもある。税金は絶対に上げないことも家康の教えである。

最後に、山岡荘八は、太平洋戦争で仲間を特攻隊を送り出す経験をしている。戦国時代から泰平の世への願いも込められた作品である。

サイクリング・ブルース 忌野清志郎

2012-08-16 07:54:47 | 
「自転車はブルースだ。」「楽しくて、つらくて、かっこいい。」「憂鬱で陽気で踊りだしたくなるようなリズム。」 CUBAをスペシャルバイクで疾走する姿。いつか海外でのりたいものだ。

http://www.youtube.com/watch?v=9HGzbFHOdv8
同名の曲。これは沖縄の風景。


Born to RUN  走るために生まれた C,McDougall

2012-07-08 00:03:53 | 
700kmを走破する。タラウマラ族。最高に面白い。最近流行のベアフットランニングの啓蒙書である。人間とオラウータンのDNAは95%一緒であるが、足の構造が全く違う、人間だけが土踏まずのアーチバネとアキレス腱のスプリングを持っている。本書には書いていないが、足の横方向のアーチバネもある(これは、エンゾ早川のロードバイク秘伝の書を参照)。そこで、つま先(シューズメーカはミッドフットと言う言い方)で着地するとそのバネとスプリングが最も有効に働く。この原理はなるほどと納得する。また項靭帯があることこれは早く走る動物にしかないが、人間にはある。エンゾ早川はこれを板状筋と表現しているが、同じことを指しているようである。さらに人は体毛で覆われておらず、発汗に適した構造であるため空冷効果が最も高いが、普通のチータなどの動物は呼吸により体温調節を行うため、短い時間で体内温度があがり、そのためそれ以上走れなくなる。人間だけが長い時間走り続けることができる。タラウマラ族は草鞋の底にゴムタイヤを張ったものを履いている。エンゾ早川の銀座で買ったぞうりも底にゴムタイヤがはってある。ちなみにイランのバザールの奥の奥でショートブーツの底にゴムタイヤを張ったものが売っていて、買いそびれたことを少し後悔している。マラソンとロードレーサ(自転車)は非常に近い本質を持っていると感じた。

レースの模様の写真があるが、世界最速の二人のウルトラランナーの表情は共に楽しそうであるが、着地が米国人は踵で、タラウマラ族がつま先と対照的なのが良くわかる。
http://www.caballoblanco.com/pics06/ccset1/dscf0150.jpeg
また、このページのアーカイブは本を読み終えたあと見ると感動もひとしおである。

ナイキ等のベアフットシューズが流行っているが、値段が高いと感じる。本書では、シューズメーカ批判はあまり書かれていないのは大人の事情であろうか。
エンゾ早川が本書をリファレンスにしていると書いていないのが不思議である。

http://www.caballoblanco.com/
http://borntorun.org/links.html/


なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか 田原総一朗

2012-04-21 09:53:33 | 
頭山満、大川周明、感動する。スケールの大きさ、情熱、義。現代人が全く太刀打ちできない。最近のTPP、ASEAN+6など、ニュースが騒いでいるが、新聞やTVレベルの金の問題ではない。もっと大きな思想の問題である。近代人は資本主義の金を手段として認めながら、そこに本質的な価値を見出していなかった。次に、少し心に残った内容を簡略化して引用させて頂くと共に私見にて補足をさせていただく。
P230 「「則天行地」天に則るとは理想、地で行うとは理想を現実化する。という意味から行地社を設立した。」-この時代の組織の名前は、本当に格調高い。現代人において、このような古人の格言を知っている人がどれだけいるだろうか。英語でも、本当に教養のある人は、ラテン語を使う。また、優秀なトップは短い言葉で、本質を過不足なく伝えることができる。少なくとも日本の教育において、このような言葉を知る機会は日本語でも英語でも無いのだが、僅か100年でこのような状態になるとは、日本はまさに知の領域でアルゼンチンタンゴを踊ってしまったということである。
特に田原総一朗が好きと言うわけでは無いが、すべての原典を読むのは難しいので、それらをわかり易い言葉で、タイムリーに取り上げる才能については敬服する。


「動的平衡2」福岡伸一著

2012-01-07 08:38:29 | 
ヒトはチンパンジーの幼児期が長くなっただけである。それを「ネオテニー」と呼ぶ。DNAにおいては有意な差が無い。それゆえヒトは好奇心を長い間持ち続け、ヒトが人たることができる。(P211要約引用)
DNAは設計図であり、音楽で言う楽譜である。しかし、その解釈、演奏法、ニュアンスにおいて、自由であることができることと同様の多様性を持つことができる。
相互協調システムについては、本書ではリファーされていないが、甲野善紀氏の武術を思い出した。この二人の対談もまた面白そうである。