ツタンカーメンの謎にも深く関わる廃墟の町テル・エル・アマルナ。鉄製の筏のようなカーフェリーでナイル川を渡り、さらに「おんぼろバス」(坂道をやっとこさ登る)に1時間位ゆられて砂漠を走ると、巨大な境界碑文がある。これは、そこから逆向きに都市方向を撮った写真である。
アクエン・アテンが一神教(アテン神)の聖地として、それまで処女地であった中エジプトのアケトアテンに遷都した。が、死後多神教に戻す際に、歴史から記録を抹消され、今ではここまで(想像していた以上の)廃墟の町となっていた。後のセティ1世の葬祭神殿にある王名表からもツタンカーメンと共に抹消されているが、王墓にはアテン(太陽神)と妻、3人の娘などの壁画がある。元々の神殿のほぼ真東の山には三角形の谷(アケト)が今でも臨める。
出発前に「ツタンカーメンと出エジプトの謎―隠されたパピルスの秘密」(コリンズら)を読んでいたので、テル・エル・アマルナには大変興味を持っていたのだが、GWにも関わらず日本人ツアーが他にいないだけでなく、海外のツアー客も全くいなかった。行くのは大変だし、太陽が今でも燦燦と降りそそぐ砂漠は倒れそうに暑い、まともな食堂がないのでハエにたかられながら弁当を食べるしかない。しかし、3000年前の異端の王による遷都の裏の意味などに思い(想像)をはせることはエジプト旅行の醍醐味と言えよう。
2007 GW