がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

人間いつかは死ぬ、なんてくくりかた、身もふたもありません

2012-12-28 10:05:33 | 食道がん
食道がん、他に転移があれば5年後の生存率は20%
転移がなければ5年後の生存率は50%
しかし、その生存率って健康で生きていられる率ではない、末期がんの病床にある場合もその生存に含まれる。
こんな数字を知って考え込んでいる時に、
「人間、どうせ一度は死ぬんだから、くよくよしてもしょうがないよ」なんてなぐさめられても、釈然としない。
そんなとてつもなく大きな物差しを出してきて測られるのが悲しい。
わたしという存在は進化過程の一個の個体になってしまう。
名前も顔もない生命体になってしまわないといけない気がしてしまう。
これからの5年間をかけがえのない重さでどうしようか考えているのとはギャップが大きい。
明日とか、今とかほんのちょっと先が重要なわたし。
今の体調に自分を見ている。
どうせ一度は死ぬという言い方は身もふたもなさ過ぎてとまどっていた。

わたしが入院治療を受けたがん病院の5階は建物の屋根部分がガーデンになっていた。
オリーブや月桂樹などの低木や木の根元には成子百合やスズランなどの宿根草が植えられ、ぐるりと周囲を散歩できるようになっている。
インチキの庭ではあるが、ここで風に当たり、日射しを浴びながら過ごすのが入院中の日課だった。
植物を眺め、外の景色を眺め、一階で買って来た苦いタリーズコーヒーをちびちび飲んで結構な時間そこにいる。
思い浮かぶ事を一瞬考えては別のことを思う。
手術がいやだな、とかうちの朝顔はどうなったかな、とか天気の事とか。

キャッキャと笑う子どもの声と大人の女性の声が聞こえた。
松葉杖をついた少年とおそらくその兄弟と母親がこちらに歩いてくる。
きれいな顔立ち、お母さん似だなとおもいながらゆっくり歩く。
すれ違う時、少年はわたしの眼を見て「こんにちは」といった。
明るいはっきりした声で。
わたしも「こんにちは」とていねいにこたえた。

病院の中庭でがん患者通しがすれ違い、互いにあいさつをした。
一人はこどもで、可愛い男の子。
ひとりはその子の親よりも年上の大人で女の人。

同じ時間、同じ空間。そこにいた。
がん病院という外とは違う空間で、互いに眼を見てあいさつを交わした。

その今、がわたしと少年が生きているっていうこと。
そうだと気がついた。
今、生きているってそういうことだったんじゃないか。
少年のあいさつの表情や声に互いに今生きている事に気がつかされた。
生きるってそういう今。

この、いまを大事にしていく。
今は我慢してやり過ごすものでもなく、わたしが持っているのはこの今生きているという事なのだ。
旨い、と心から感じる事とか
電話でしゃべっていることとか
好きなことを見つけたとか
うんこがちゃんとでて気持ちいいとか。
そういう事がわたしで、今をしっかり持っている事に気がつく事を、少年のあいさつに気付かされた。
5年先の生存の保証などほしがることもいらないし、おびえることもない。
そう思える自分に出会えた。

まあ、これは自分の人生なのでこうもすっきり思えるのであろう。
これがもしわたしのこどもが病んでわたしより先に死に向かって追い越していくのであれば心はおだやかじゃない。
切なくてもだえ苦しむと思う。
きっと、わたしの子どもたちはわたしの病気を無限に広がる不安さ、怖さとともに受け入れていかねばならぬのだろう。
今だけで済まないそれぞれの時間を持っているんだろう。

でも、いま、いま。いまでつながっていられる。
ミクロなものなのだ、本来人間て。