がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

像のはなこの死につられて寝てばっかでしたが

2016-05-29 23:35:37 | 休日
寝てばっかの日曜日で午前中を終わる

勤務があるということは張りでもあるが、自己都合では動けません。
これがこの体結構疲れる。

朝は一応起きたが朝食後、な~~~んと。
いつもの夕飯後の居眠りをしてしまいました。

食べるとドキドキして嫌な感じになるから休むと、即ネンネ。


迷うが出かける

昨日までは選択肢がたくさんあった。

1:髪を切りに美容院に行く(切りたくてたまらんが、頭いじられるのは好きではない)
2:ドライブしてアウトレットモールに行き、あまりにない服を買い、ボロを捨て新陳代謝する
3:家にこもり月末事務する
4:ミサに行き、地元で買い物して帰る。

正直何もしたくない。
疲れてる。
でもうんとくたびれている時は寝てるだけだと良くないのよね。

4を選ぶ。
今日は小さな子のお祝いもあって正装した子どもが照れていて可愛かった。

わたしは小さい頃から教会に通っていたが信者ではなかった。
信者の親代わりをしてくれていた叔父叔母がクリスチャンで
アメリカのFMラジオが日曜日にミサを流すように普通に生活にあった。
ヨーロッパに行き、街が教会を中心に作られている文化を見て(政治家が異教徒を殺してはいけませんね)
がんから生還し、洗礼を受けた。

費用は個人が決める。

管理費を払える人は払う。
払えず困った人は助けてもらう。

生きる力をもらえればいい、というのと力一杯賛美歌の高音を歌うのが好きである。
でも、主に感謝を大声て「おもに感謝」と外国語のようによく間違えて笑いをもたらしています。

宗教の話は禁句かもしれませんが、自分を省みることが必要なので。


象のはなこの死

動物好きのわたし、何も飼ってなく寂しい限りですが。
わたし、吉祥寺教会に毎週行ってたのでしばしば叔父に井の頭自然公園に行きました。

初代はなこは戦争時代、死んでしまいました。
空襲で降りが壊れたら人々を襲うということで。
毒が入った餌を食べず近所の人がマコモを買って与えたり、子どもも少ないご飯のおかずのサツマイモを与えてたり。
飢えて、自分のおしっこまで飲んで(水が与えられなかった)死にました。

二代目はなこは酔っ払いを踏み殺してしまいます。
飼育員が発作を起こし、餌を持ってあげ無かったらパニックになり体重ゆえに殺してしまいます。
と、当時は報道されました。
はなこは鎖につながれてしまいました。
わたしはしばらく象の絵に鎖を書いたと思います。

子どもと見に行った時にはなこは鎖もなくなっていました。

死んじゃったんですねえ。

おいおい。

シャチや象を子どもが見ることは素晴らしいことですが、
少し悲しい気分になるのはわたしだけでしょうか。

あ、イラスト忘れそう、
文章力ないから絵だけの方がいいか。




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2 コメント

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生きる力 (一華)
2016-05-30 10:34:38
生きる力をもらえれば良いって、素敵な言葉、好きです♪

あなたはがんです、と言われた日から、私たちはゴルゴタの丘を登る様な日々を過ごしました。
術後、生きてる事が当たり前じゃないと気づきをもらい、生有るものを見る度に涙が出ましたね。
誰しも心の中に、聖女ヴェロニカが居て、それが宗教であったり、etcで、救われてるのではないでしょうか。
それが生きてるって事でしょう?
讃美歌なんか聞いたら、きっと心が洗い流され涙が出そう。
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Re:生きる力 (ふーみん)
2016-05-30 19:21:01
一華さま

いつもながら思うのですが、言葉が詩人のようです。
的を得た美しい言葉で言いあらわされると、なんともいい気持ちになります。

それって、国語力なのかもしれませんが、違うかもしれません。
「要件が伝わりゃあいいや」というわたしの投げやりさが言葉を美しくしない。

おっしゃるとおりで、信じきっているからストレスフリーになろうというものではなく、週一、安息日を設けて自分に立ち戻る習慣なのかもしれません。

生きているのは当たり前じゃない。
当たり前だと思うから不平不満が爆発する。
わたしには不足なく十分なものが与えられていると知ると心の飢餓感は無くなる、事態は変わらなくてもね。

それを共有できて嬉しく思います。
ありがとね。
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