がんになってもぽじぽじいこか

2012年6月食道がん発見、53歳でした。始めての体験で体当たりの治療とリハビリ。見つけたものも意外にあり!

告知と向き合う(楽になるために)

2013-01-09 11:30:12 | がん告知
そういえば昔はがんは家族が呼び出されて告げられた。
不治の病なのでショックが大きいので本人に知らせるのは家族の判断だった。
患者の知る権利保護のため、がんは告知されるようになった。

わたしと同じ食道がんで亡くなった知人がいて、葬儀も終わり落ち着いた頃、線香を持って家を訪ねたことがある。
ありがとね、ありがとね、と故人の妻はわたしを引き止めた。
初孫のお宮参りの写真を見せてもらったり、なぜかカレーをごちそうになったりした。それに青汁も。
「死ぬのは怖いよ、とあの人がわたしにすがって泣いたんだけど、あたしは返す言葉がなかったよ」
彼女はそういった。
つらい気持ちがまだそこにあるのが伝わる。
わたしも彼女に返す言葉がなく、「孫の顔を見れて、良かったね」と話をずらした。
孤独な苦しみを抱えていった故人と残された家族を思うと、生きる事は本当に苦行だなあととぼとぼ家に帰った。

ところがわたしの場合、がんはあっけなく認めることが出来た。
なぜだろう。
なくなった彼の時代はがんは恐ろしいイメージで定着していたこともあると思う。
時代のがんへの扱いが変わった。
それと、がんは誰でもがかかるものだよ、という意識が持てたことだろうか。
何故あっけらかんなのか、考えてみるがそのくらいだと思う。
本人はそれなりにかまえてノートに思いついた事を書き連ねていたから、ショックがなかった訳ではないはず。
しかしノートには散歩と食べるものなどが主に書かれている。実に食べる事ばかり。
ノートに
「何も考えずHOS.に来て、何も考えずに一日を過ごす。東京駅で買った成城石井のチリメン山椒はベタ甘で食えず、残念」
「これから対処しなければならないことはたいへんなことだが、一人ではない。手厚いケアの中にいる。そのことを見失わずに、大きな眼で、自分を把握したい。自分が特殊な試練の中にいるなどと思い上がらない事だ。イタめしの差し入れ、イカのフリットが絶品。とにかくすきなものを食べて、食べて、食べた。これでいいのだ」
と、ある。
立ち止まらない事かな。
生活するって、立ち止まらないで食べて寝て、そうしているうちに強い感情も日常に織りなされて取り扱いしやすくなっていく。
三度三度のあるところから考えていくことなのかな。
そう出来れば人間てけっこうタフだと思う。
楽な場所に立てるといい。
生活の中にあるんじゃないかと思う。




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4 コメント

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二重丸 (きらきら)
2013-01-09 13:52:05
今日のメッセージは、二重丸だね。
それにしてもよく食う子だこと(笑)
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RE:二重丸 (ふーみん(大家))
2013-01-10 09:29:25
はなまるもらえるまで努力、精進します。ありがとうございます。
よく食う、にとどめて書いているのですが、自分の動物性かな、と思います。
子を産んで育てるなかで本来動物である事に強く目覚めたような気がしています。
子宮がんのいぬが自分で噛んで引っ張りだしてがんのある子宮をぶら下げて飼い主を驚かせた話をきいた。どこかイヌに感動し、共感してしまった。そういう野生を信じ、理性で考えない事がいいと思っている。
自分にしかかけない、いえない事を隠さないでいこうと思います。
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高僧の悟り (きらきら)
2013-01-10 13:35:54
昔ね、そう30年か40年前、癌が話題になってきたころ、癌は告知していいか、すべきでないか:・・について、あでもないこうでもないと、延々と誌上や紙上で議論されました。そんなときの決め打ちは、「ある高僧が自分は大丈夫だから癌であってもなくても、ありのままに伝えて欲しい」と主治医に話し、悟りを開いた人だからと思って、癌を告げたところ心の衝撃がひどく、みるみるうちに精気を失って数ヶ月も持たずに亡くなくなった・・・、だから絶対に告げてはいけない、と。これが、告知するなの論拠になって続いたのです。
 しかし、アメリカ、ヨーロッパでは最初からそういう問題は生じませんでした。病気ならそれを伝えるのが医師の第一歩、だったから。
 その後、ある雑誌が誰から高僧の話を聴いたかを徹底追跡調査したところ、どの医者も結局あいまいで出所はなかった。つまり、降伏の手紙と同じでたちの悪い風評に過ぎなかったのです。
 
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高僧の悟り (きらきら)
2013-01-10 13:37:51
昔ね、そう30年か40年前、癌が話題になってきたころ、癌は告知していいか、すべきでないか:・・について、あでもないこうでもないと、延々と誌上や紙上で議論されました。そんなときの決め打ちは、「ある高僧が自分は大丈夫だから癌であってもなくても、ありのままに伝えて欲しい」と主治医に話し、悟りを開いた人だからと思って、癌を告げたところ心の衝撃がひどく、みるみるうちに精気を失って数ヶ月も持たずに亡くなくなった・・・、だから絶対に告げてはいけない、と。これが、告知するなの論拠になって続いたのです。
 しかし、アメリカ、ヨーロッパでは最初からそういう問題は生じませんでした。病気ならそれを伝えるのが医師の第一歩、だったから。
 その後、ある雑誌が誰から高僧の話を聴いたかを徹底追跡調査したところ、どの医者も結局あいまいで出所はなかった。つまり、降伏の手紙と同じでたちの悪い風評に過ぎなかったのです。
 
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