いやしのつえ~「活字中毒 / 『サンデーとマガジン~創刊と死闘の15年』(大野茂著・光文社新書)より。」から引用
そして、1966(昭和41)年4月、予定より3か月遅れで『巨人の星』の連載が始まった。
ストーリーコンセプトはもちろんであるが、この作品が画期的であったのは、表現面での斬新さであった。今ではショックの代名詞でもある「がーん」という擬音表現は、このとき川崎がマンガ史上初めて使用したものである。主人公・飛雄馬の顔の上にかぶさる「がーん」の文字に梶原一騎が感心し、逆に今度は原作の文字原稿にそれを多用するようになった。
グラブとミットの違いもわからなかった川崎が『巨人の星』を描いたという事実は、いかに常識とか先入観が当てになれないかを示している。川崎のぼるの『巨人の星』、ちばてつやの『ちかいの魔球』と、歴史に残る野球マンガはいずれも野球知識ゼロの人によってこの世に生まれたのである。
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著者の大野茂さんは、「歴史に残る野球マンガはいずれも野球知識ゼロの人によってこの世に生まれたのである」と書いておられますが、後の時代には、『ドカベン』の水島新司さんや『タッチ』のあだち充さんのように、「豊富な野球知識に基づいた野球マンガ」が登場してきます。
しかしながら、たしかに「マンガ高度成長期」には、そういう「圧倒的なエネルギー」が「知識のなさ」をカバーできていたのかもしれませんね。野球を知りすぎていて、こだわりを持っている人だったら、「地面にバウンドしたときの土煙で見えなくなる」という「消える魔球」を大真面目に絵にすることは、できなかったような気もしますから。
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海外の法廷小説で、ベテラン検事が見落としていた些細な法律を、新任の検事が指摘して裁判がひっくり返るというお話を読んだ事があります。確かに、知りすぎていて自分の内に気が付かない枠を作ってしまい、その枠を超えた発想が出来なくなっている、そんなことってありますよね。
最近だと、ロードレースの世界を書いた『サクリファス』の近藤史恵さんが、作品のあとがきかなにかで「まったく競技を見た事が無いクセに書いた」と告白されていて、すげ~!と思いましたっけ(笑)
事実と一文もたがわない文章じゃないと認めない、あるいは時代考証などのミスをチェックして批判することを喜びとしているような方もいらっしゃいますけど、それを超えた”創作のエネルギー”を味わう方が、幸せな読み方だと思います。
そして、1966(昭和41)年4月、予定より3か月遅れで『巨人の星』の連載が始まった。
ストーリーコンセプトはもちろんであるが、この作品が画期的であったのは、表現面での斬新さであった。今ではショックの代名詞でもある「がーん」という擬音表現は、このとき川崎がマンガ史上初めて使用したものである。主人公・飛雄馬の顔の上にかぶさる「がーん」の文字に梶原一騎が感心し、逆に今度は原作の文字原稿にそれを多用するようになった。
グラブとミットの違いもわからなかった川崎が『巨人の星』を描いたという事実は、いかに常識とか先入観が当てになれないかを示している。川崎のぼるの『巨人の星』、ちばてつやの『ちかいの魔球』と、歴史に残る野球マンガはいずれも野球知識ゼロの人によってこの世に生まれたのである。
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著者の大野茂さんは、「歴史に残る野球マンガはいずれも野球知識ゼロの人によってこの世に生まれたのである」と書いておられますが、後の時代には、『ドカベン』の水島新司さんや『タッチ』のあだち充さんのように、「豊富な野球知識に基づいた野球マンガ」が登場してきます。
しかしながら、たしかに「マンガ高度成長期」には、そういう「圧倒的なエネルギー」が「知識のなさ」をカバーできていたのかもしれませんね。野球を知りすぎていて、こだわりを持っている人だったら、「地面にバウンドしたときの土煙で見えなくなる」という「消える魔球」を大真面目に絵にすることは、できなかったような気もしますから。
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海外の法廷小説で、ベテラン検事が見落としていた些細な法律を、新任の検事が指摘して裁判がひっくり返るというお話を読んだ事があります。確かに、知りすぎていて自分の内に気が付かない枠を作ってしまい、その枠を超えた発想が出来なくなっている、そんなことってありますよね。
最近だと、ロードレースの世界を書いた『サクリファス』の近藤史恵さんが、作品のあとがきかなにかで「まったく競技を見た事が無いクセに書いた」と告白されていて、すげ~!と思いましたっけ(笑)
事実と一文もたがわない文章じゃないと認めない、あるいは時代考証などのミスをチェックして批判することを喜びとしているような方もいらっしゃいますけど、それを超えた”創作のエネルギー”を味わう方が、幸せな読み方だと思います。