What A Wonderful World

毎日の暮らしの中で、心惹かれたことを語ります。

「スポーツは静かに楽しむもの」 少数派の自覚あり。

2014年03月31日 11時25分46秒 | スポーツ
 こういう意見を言ってくれる人が居ると助かるなァと私が思うのは、たぶん「静かにスポーツ観戦をしたいと思う自分は少数派」という自覚があるからだ。どんなスタイルで愉しもうと、まったくかまわないはずなのに、熱くなる人に限ってその態度(静かに観戦)じゃダメだというのは何故だろう?

★「MSN / 【スポーツ異聞】「無観客試合」を機に考える スポーツは静かに楽しむもの」
( http://sankei.jp.msn.com/sports/news/140327/scr14032715490008-n1.htm )

 例えば、プロ野球を球場で観戦したとすると、「応援」という名目で、物凄いヤジを飛ばす人がよくいて、これが鬱陶しい。本人はストレス発散できて最高!とでも思っているんだろうけど、嫌な展開(応援しているチームがミスしたといか、負けそうとか・涙)に耐えているのに、更に知らないおっさんおばさんの罵声に耐えなきゃないなんて、まっぴらだつうの。

あと、ここは立って応援して下さいとか、選手への応援歌を歌って下さいとか、いわゆる私設応援団の皆さんが声掛けしてくる時があって、それに参加しないと、周囲からなんだこいつ?という視線が送られてくるのがひしひしとわかる。「球場の応援といえば、知らない人同士がチームを応援する時の一体感でしょう、たまらないよね!」という気持ちは、重々わかるのだけれど、静かに観て居たって好いじゃん。「球場に居る全員が、がんがん応援する人」というくくりは簡単だけど、ちょっと考えたら変でしょ。自分でお金を払って、自分の好きなように観れないってなにさ?臨場感、球場を吹き渡る風、TVでは映らない選手のプレイ、どれもが実際に球場へ行ってみなきゃ感じられないものを、静かに堪能しているだけ。これってたまらないよ。


今回の浦和レッズの一部のファンのおこした騒動の報道で、しばしば「ゴール裏は特別、応援する側の聖地」と書かれているのを読んだ。騒動を起こしたファンの事は、これまでは多くの人がその「レッズが好き」という共通の想いを尊重していたのに、つけあがった部分があると思う。そうやって見守ってきた人たちは「あのレッズの~」とくくられて、白い眼で見られて肩身の狭い想いをさせられてまっぴらだろうけど、悔しい想いを変化へのきっかけに向けたエネルギーにするしかないと思う。


冒頭の続きだけれども「いろんな応援の仕方があって良い」と頭では判っていても(口でもそう言っていても)熱くなると周りが見えなくなるんだろうなぁと想像する。静かに応援している人だって、態度に出ていなくとも、心の中では熱くなってるんだけどなぁ。自分の周りが自分と同じような状態じゃないと嫌って、どんな殿様(笑)って思われてんのに気づかないのかな。

価値観は絶えず変化する。作っては壊れる。「こうあるべき。これが当たり前。これが普通。みんながそう思っている」みんなって誰?誰にとっての普通?喫煙の店もあれば禁煙の店もあれば分煙の店もある。もう平成になって26年もたつんだもの「いろいろあってみんな好い」という考え方が実現したっていいんじゃない。

コメント
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