下手の考え休むに似たる マンガ感想別館:少年サンデー4・5合併号感想 - livedoor Blog(ブログ)
記事より引用
最終回。
連載七年、全323話。サンデーの新時代を切り開いたこの作品も、
見事に大団円となった。人気連載が長期化してしまうことの多い今、
終わるべき時に終われたことは幸せなのだろうと思う。
石板魔物編、ファウード編、クリア編と、
中盤から終盤にかけては中だるみも見られていたので、
惜しまれつつ終了というタイミングを逃さなかったのは良かった。
この最終回については、本当にエピローグという感じで、
魔物達の魔界での生活やクリアのその後といった部分を
フォローする目的が主だったという印象。
ティオとコルルはちゃんと仲良くなれたのか、
パティも加えての王妃争奪戦が修羅場にならないことを祈る。
この感動のクライマックスで、ベルギムE・Oがガッシュと同い年とか
非常にどーでも良いネタを突っ込んでくるところも嬉しかったなぁ。
バリー達の不良クラスとか、ブラゴにビビりつつ集合写真には
しっかり参加しているゾフィスとか、飲み交わす竜族の天才二人とか、
メロン植えてるだけで働きも学びもしてないビクトリーム様とか、
とにかく全ての魔物に幸せな結末が与えられていて、
今までの戦いは無駄ではなかったのだと心から思うことが出来た。
「清麿、私は今になって思うのだが、この王を決める
魔物同士の戦いは正しきものではないかと思っている。」
このマンガは、「バトルロワイヤル」形式の作品である。
連載開始当時流行り始めていたその形式をいち早く取り入れ、
その後に続く一連の「バトルロワイヤル」×「能力バトル」作品の
礎を築いたのは間違いない。
だが、それら一連のバトルロワイヤル系作品のほとんどは、
その過酷なパワーゲーム的現実に翻弄され傷付き合うことを嘆き、
最終的にはそのバトルロワイヤル構造を否定していった。
そしてあるものはバトルロワイヤルの現実を
積極的に生きることこそが正しいと返り血を浴びながら進み、
またあるものはそんな場所にはいられないと
小さな共同体を再構築してそこでの癒しに耽溺した。
しかし、この作品が辿り着いた答えは違う。
たとえ100人のうち1人しか勝者になれないとしても。
たとえ何度裏切られ傷付けられても。
たとえ心を通わせた仲間を失い続けようとも。
たとえ世界がどんなに過酷な運命を押しつけてこようとも。
この戦いは間違ってなんかいないのだと、全肯定してみせた。
勿論、死人が出ないというファンタジーに支えられた結論ではある。
だからその結論も所詮は夢物語なのかも知れない。
今ここに、現実に、読者の側に存在するバトルロワイヤルに対して
それはあまりにも都合の良い能天気な言葉なのかも知れない。
だが、この夢物語を真っ向から語れるものが他にあるのか!?
少年サンデーで七年間看板を張り王道を歩き切った
「金色のガッシュ!!」にはそれを語る資格があるのだ!!
間違ってなんかいない。
この競争社会で傷付き裏切り合いながら生きていくことは、
間違ってなんかいない。たとえ敗れても終わりなんかじゃない。
敗れた者は勝った者に夢を託して、勝った者は敗れた者に支えられて、
互いに大切な存在として一緒に進んでいくことだって出来るのだ。
夢物語? そうだろう、少年マンガが語る大ボラだ、そんなものは。
けど、それが少年マンガ。世界の仕組みをしたり顔で語るのではない、
世界の在るべき形を提示するのだ、大声で叫ぶのだ、
「こうだったらいいのにな」と主張して子供達の魂の色を変えるのだ、
未来を作るパートナーに、魔法の本を届けるのだ。
それが王道。少年マンガの王道。
この作品は、歩き切ったと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感じた事全てを書いて下さった、火鷹(ひだか)様の文章に感動しました。
最後まで、まだ何かあるんじゃないかと疑っていた自分の漫画読みとしてのスレっぷりと、読み終わった後に「これで終わり?!」と思ってしまった自分にがっかりしました(苦笑)ガッシュは、この終わり、この作風ゆえにガッシュなのです。
記事より引用
最終回。
連載七年、全323話。サンデーの新時代を切り開いたこの作品も、
見事に大団円となった。人気連載が長期化してしまうことの多い今、
終わるべき時に終われたことは幸せなのだろうと思う。
石板魔物編、ファウード編、クリア編と、
中盤から終盤にかけては中だるみも見られていたので、
惜しまれつつ終了というタイミングを逃さなかったのは良かった。
この最終回については、本当にエピローグという感じで、
魔物達の魔界での生活やクリアのその後といった部分を
フォローする目的が主だったという印象。
ティオとコルルはちゃんと仲良くなれたのか、
パティも加えての王妃争奪戦が修羅場にならないことを祈る。
この感動のクライマックスで、ベルギムE・Oがガッシュと同い年とか
非常にどーでも良いネタを突っ込んでくるところも嬉しかったなぁ。
バリー達の不良クラスとか、ブラゴにビビりつつ集合写真には
しっかり参加しているゾフィスとか、飲み交わす竜族の天才二人とか、
メロン植えてるだけで働きも学びもしてないビクトリーム様とか、
とにかく全ての魔物に幸せな結末が与えられていて、
今までの戦いは無駄ではなかったのだと心から思うことが出来た。
「清麿、私は今になって思うのだが、この王を決める
魔物同士の戦いは正しきものではないかと思っている。」
このマンガは、「バトルロワイヤル」形式の作品である。
連載開始当時流行り始めていたその形式をいち早く取り入れ、
その後に続く一連の「バトルロワイヤル」×「能力バトル」作品の
礎を築いたのは間違いない。
だが、それら一連のバトルロワイヤル系作品のほとんどは、
その過酷なパワーゲーム的現実に翻弄され傷付き合うことを嘆き、
最終的にはそのバトルロワイヤル構造を否定していった。
そしてあるものはバトルロワイヤルの現実を
積極的に生きることこそが正しいと返り血を浴びながら進み、
またあるものはそんな場所にはいられないと
小さな共同体を再構築してそこでの癒しに耽溺した。
しかし、この作品が辿り着いた答えは違う。
たとえ100人のうち1人しか勝者になれないとしても。
たとえ何度裏切られ傷付けられても。
たとえ心を通わせた仲間を失い続けようとも。
たとえ世界がどんなに過酷な運命を押しつけてこようとも。
この戦いは間違ってなんかいないのだと、全肯定してみせた。
勿論、死人が出ないというファンタジーに支えられた結論ではある。
だからその結論も所詮は夢物語なのかも知れない。
今ここに、現実に、読者の側に存在するバトルロワイヤルに対して
それはあまりにも都合の良い能天気な言葉なのかも知れない。
だが、この夢物語を真っ向から語れるものが他にあるのか!?
少年サンデーで七年間看板を張り王道を歩き切った
「金色のガッシュ!!」にはそれを語る資格があるのだ!!
間違ってなんかいない。
この競争社会で傷付き裏切り合いながら生きていくことは、
間違ってなんかいない。たとえ敗れても終わりなんかじゃない。
敗れた者は勝った者に夢を託して、勝った者は敗れた者に支えられて、
互いに大切な存在として一緒に進んでいくことだって出来るのだ。
夢物語? そうだろう、少年マンガが語る大ボラだ、そんなものは。
けど、それが少年マンガ。世界の仕組みをしたり顔で語るのではない、
世界の在るべき形を提示するのだ、大声で叫ぶのだ、
「こうだったらいいのにな」と主張して子供達の魂の色を変えるのだ、
未来を作るパートナーに、魔法の本を届けるのだ。
それが王道。少年マンガの王道。
この作品は、歩き切ったと思う。
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感じた事全てを書いて下さった、火鷹(ひだか)様の文章に感動しました。
最後まで、まだ何かあるんじゃないかと疑っていた自分の漫画読みとしてのスレっぷりと、読み終わった後に「これで終わり?!」と思ってしまった自分にがっかりしました(苦笑)ガッシュは、この終わり、この作風ゆえにガッシュなのです。
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