野鳥、旅、nature、
 ♪ 雲よ風よ空よお前たちは知ってるかい、触れ
 合う心に夢溢れくる、ほのぼのとした喜びを…。

 禁:無断転載




きょう、湿度は高かったが久しぶりに冷房なし扇風機だけで過せた一日であった。
天気図では日本列島は大陸からの秋の冷気と太平洋高気圧に挟まれた谷間に入って
いるらしい。 いよいよ秋の足音が近づいてきた。 
熱中症でげんなりしてしまった草木がある一方、昨年は気づかなかったが最近、繁殖力旺盛の
雑草が目につくようになった。 しばらく分からなかったが、図鑑でやっと判明した。

<撮影2013.8.25>
・ 昆虫たちが集まりケイトウが賑やかになった。







・ コミカンソウ(小蜜柑草)…しばらく名前不明であった雑草
  葉の付け根、下に列になって丸い実が下がっている、まだ緑色だがしばらくすると
  ミカンの様に赤褐色をおびてくるらしい


        雨の雫で覆われた実



 上から見るとこんな形の草でした



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厳しい暑さが続きますが皆様、如何お過ごしでしょうか。

クロメダカの棲む睡蓮鉢のホテイアオイがきょう一株咲きました。
今年は花の色は冴えず、 葉も大きくならず、茶褐色に枯れてしまったものが多い。
長引く不順な気候で農作物がダメージを受けないよう願うばかりである…。

<撮影2013.8.15>



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立秋だというのに、何と暑いのか、あと二週間はこんな調子らしい。
公園の草木も暑さで蒸せている。 ビバルディーの名曲「四季」の第二楽章「夏」の
けだるいメロディーが浮かんでくる。 しかしこれを凌げれば次の楽章は木々の葉が
色付く鮮やかな「秋」。 今しばらくの辛抱だ。 

外に出るのも億劫なので、フィルムで撮った昔の懐かしい画像をアップした。
39年前の西武鉄道山口線、日本各地のローカルで活躍していた小さな蒸気機関車が引退後、
まだここで余生を過していた。 その蒸気機関車はドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社
から輸入された愛称「コッペル」。
使用されていた軌道巾は762mm(2フィートと6インチ)。 
因みに現在のJR在来線の軌道巾は1067mm(3フィート6インチ)。

<撮影1974年9月>
ゆねすこ村駅…機関車は岡山県の井笠鉄道から借りた1号機(1913年製)で愛称信玄号。
          客車は井笠鉄道から購入


1号機信玄号…客車の先頭に着くための入れ替え作業、このような情景は二度と見られない
          であろう


2号機…新潟の頸城鉄道から借りた機関車(1911年製)で愛称は謙信号


    謙信号の入れ替え作業…カラーフィルムの保存が悪く退色して色あせてしまった



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歌謡曲(特に演歌)が好きなので、テレビ番組はよく観る。 NHKの1Ch、BS3、また7Chの歌謡番組は
力を入れているのが分かる。 日本の歌謡曲が忘れられないよう努力しているのはうれしい。
観客席を映すと、いつも客席は満杯で、それだけ日本の歌謡曲が愛されていると思う。
しかしながら、最近は新しく親しまれる曲、ヒットが少ないように感じる。 懐メロのカバーが多くなった。
これはこれで名曲が引き継がれるのは歓迎したい。 しかし古手の歌手以外は聞いただけでは誰が歌っている
のか、顔がうかんでこない。 若い新人の方が多いが皆さん教科書(師匠の教え)通り歌っていると思う。
しかし声の質も曲回しも、みな同じようなで味付けがない。 これでは上手いとはいえない。 特に女性の歌手
にこの傾向が強いがこれは天性なので仕方ないと思う。 第二、第三のひばりが生まれるのを待つしかない。

一方、自信横溢している古参の女性、ko…さんやya…さん、曲のフレーズの途中で、しばしば崩した歌い
方が出るのは聞き障る。 これは年輪を重ね、変に気取った曲回しにするのか、これはやめてほしい。
初心に帰って持ち味を出してほしいと願う。

世界には、クラシックといわれる古典やイタリアオペラ、フランスのシャンソン、米国発祥のジャズなど世界中の
人々に永い間親しまれてきた名曲は多い。
日本には古くから独自のさまざまな民衆歌謡があるが、特に戦後以降のいわゆる流行歌(または歌謡曲)、演歌
などに注目すると今世紀の進化はすばらしい。 何がすばらしいか、と云えば歌手の背後の演奏の進化である。
さまざまな楽器による演奏方法と音響効果技術、原曲を元にした曲奏をマネージメントする技術の発展はモーツ
アルトの舞台オペラを凌いで余りあると思う。 これらは日本人が伝統的に持っている感性を背景にした独自の演
奏わざであろう。 日本の演歌(歌謡曲)は歌手とオーケストラとが一体となった総合芸術の領域にある、と云っても
過言でない。(時々歌手の背後で多勢踊ったり、飛び跳ねたりするステージがあるがこれは論外として)

この時勢、デジタルの発展は利便性は向上するが、スマホを放せず、自然の移ろいに気を配れない人々の中から
は優れた曲や作詞、そして歌い手は生まれてこないのではないか、と危惧する。 演奏や音響総合技術、情報技術は
進化するが、アナログの世界である作詞、作曲、歌い手は迷走…する、にならなければ良いが、と思うこの頃である。

<なつかしい風景>


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