野鳥、旅、nature、
 ♪ 雲よ風よ空よお前たちは知ってるかい、触れ
 合う心に夢溢れくる、ほのぼのとした喜びを…。

 禁:無断転載





・新宿から小田急線で小田原で乗り換え東海道線で湯河原に行く時、小田原駅のホームから見ていつも気に
 なっていた路線があった。それは伊豆箱根鉄道大雄山線。小田原駅から終点大雄山駅までわずか9.6Km、
 そこからバスで大雄山最乗寺登り口まで11分ほど。
 最乗寺の標高は凡そ4百数十m。昨年5月に初めて立ち寄ってみた。

 <2022.05.17>
・小田原駅大雄山線ホーム。

 
・23分ほどで終点大雄山駅に到着。

・ここからバスで11分ほど登る。

・最乗寺入り口に到着。訪問者は妻と2人のみで低い山ながら深山幽谷の気配が漂う。
 ここから緩やか登りをテクテク散策。


・古木が根をむき出し、樹木から霊感が漂って気も引き締まってくる。


    


・三門に到着。地上22mの重槽楼門で平成15年の建立と云う、新しい門だ。

・15分後ど歩いて瑠璃門に到着。

・本堂を背に見る。

・これは書院。この最乗寺は1394年了庵慧明禅師(りょうあん えみょう ぜんじ)により開山され
 曹洞宗に属し全国に四千あまりの門流をもつお寺で開創以来600年の歴史を持つ関東の霊場と云う。

・灯篭の上に着生したセッコク。

・バックは本堂。

・ウツギの花が咲いていた。

・不動堂
 
・1863年建立多宝塔。   
 
・自然に手を合わせたくなる洗心の景。


・三面殿。

・世界一の大下駄で和合下駄、左右揃って役割をなす。夫婦もいたわりの心を持って一対となるとして、
 夫婦和合(縁結び)の信仰が生まれたと云う。


・結界門

・奥之院への入り口。今回はここまでとした。





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・遅まきながら山陰への旅、続きをアップしました。
 奥大山を後に、根雨の駅から伯備線は伯耆大山、ここから山陰線を通って松江まで(60.8Km)やくも7号。
 ここで小泉八雲記念館を観る予定であったが時間が不足でわずか15分で移動することになってしまった。
 計画は破綻していた。松江駅で下車して松江の駅に戻るまで2時間半の時間を立てていたが、昼食を済ませて
 市内循環バスで記念館に着いたのは14時20分、15時1分の米子行きに乗らねばならない。
 帰りのバスは15時までないことが分かった。
 タクシーを予約して駅まで戻ることになった。美しい城下の街並みを堪能で出来ず失敗だった。

<2022.11.01>
・松江駅で特急やくも。

・松江城の掘割。
    

・いつまでも残してもらいたい日本風景です。右端の宍道湖のしじみの看板が欠けてしまった。

・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)記念館。
 
・八雲と親交のあった知日家で米国のボナー・フェラーズは八雲の本で日本の精神文化を学び(1922年来日)、
 終戦時マッカーサーに日本人の精神を伝え、象徴天皇の体制維持に一役担い日本と米国の架け橋に貢献したと云う。
(NHKのカルチャーラジオ、小泉八雲文学の世界・2018年9月20日第11回の放送を記録したノートより
 抜粋しました)

・松江を後に米子までやくもに乗り、米子からJR境港線で終着駅境港駅まで約47Km。
 境港駅ホームからこの日の宿、「御宿野乃」を望む。当方は漫画や人物には全く興味はなく知らなかったが
 この路線は駅や車両、街中はどこも鬼太郎だらけだ。
 
・目玉おやじ列車だ。

・車両内もこんな風景。

 
・沿線はあちこちでセイタカアワダチソウに侵略されているような風景が見られた。
 走る車窓から撮った画像です。

・耕作放棄地でこのようになっているのか、はたまたこの草を何かの役に立たせるの分からないが、
 この外来危惧種の草が気になるところである。
 
・境港駅は始発駅で終着駅。

・駅舎内の風情。

・駅の玄関口風景。

・閑静な駅前通りに「御宿野乃」。

・11/2日の朝、ホテルの窓から対岸を眺望。窓は開けられずガラス越しに撮ったので
 あまりぱっとしないが。




・街を少し散策したがここも妖怪公園だ。

    
  
  ・山陰への旅は遠く列車に乗っている時間が長いが楽しい旅であった。これで完です。 


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・10/30〜11/2にかけて山陰は鳥取県奥大山(おくだいせん)から松江に足を延ばし境港線に乗り終着境港に
 行ってきた。
 松江には1990年12/29〜1991年1/1 以来32年ぶり。この時は東京PM9時20分発、山陰線寝台特急出雲
 3号で翌朝、松江着AM10時06分であった。レンタカーを借りて城下町を巡った思い出が懐かしい。
・今回は東京から新幹線「のぞみ」で岡山へ(732.9Km)、岡山からJR伯備線は特急「やくも」で根雨(ねう)
 まで(127.9Km)。根雨の駅から送迎バスで宿泊先、休暇村奥大山まで40分、自宅を出て約7時間30分、
 実に遠〜いな。

<休暇村奥大山に向かう>
・伯備線特急やくも、新幹線と違い気品ある面(おもて)である(伯備線は初乗り)。

・特急が停車する古風ふるわしい根雨駅の佇まい。
  
・跨線橋はエスカレータもなく階段を上がるシニアにはキツイかも。  

・オシドリが滞在する場所の案内があったが時間がなく行くことができなかった。

・可愛い駅舎内の案内板が懐かしい。
 
・休暇村は標高920m奥大山の佇まい。左手に見えるのは標高1448mの烏ヶ山(からすがせん)。

・大山が見られるのを期待していたが生憎ここからは見られず、送迎バスの途中でちらっと見ただけであった。
 
・園地内の湿原を散策。  

・朝夕はコートがないと寒かったが日中は歩けば汗ばむ日和。宿泊者多かったがマイカーの人たちが多い。
 マイカーの人たちは皆さんどこかへ移動し、園地内の散策者は2グループしか見られず、静かな空気を堪能できた。




    




・マツムシソウがちらほら。
 


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・残暑を引きずった日が長く続いたが、なんとこの2〜3日気温は下がり雨模様。
 セータを着るようになったが変化は急激だ。これから毎年ゲリラ台風に低気圧の停滞前線、大雨警報に
 翻弄され、こんな気象になるのであろうか。二十四節気の情緒ある移ろいは昔の話になるかもしれない。
 これからは7〜9月の旅の計画、宿を予約する人は1週間前に台風発生の有無を確認してからにしないと
 どうなるかわからない。

・先月、9/25から27日まで、久しぶりに旅に出た。
 当初、宿は19日からの2泊の予約していたが台風14号が直撃の気配であった。こんな日に出かけたら
 悲劇である。5日前に連絡し25日からに延期してもらった。これは正解であった。
 行先は3年前の5月に行った群馬県の休暇村嬬恋鹿沢。北海道から九州まで35箇所のリゾートを運営す
 る休暇村。手頃な旅の宿である。
 東京から上田まで「はくたか」又は「あさま」新幹線で1時間20分程。駅から送迎バスで長野県を跨ぎ
 群馬県は標高1400mのホテルまで1時間。

<2022.09.25〜26、旅の記録その1>
・野草園からホテル近くを眺望。 標高1400mの9月と云う時期は中途半端、草花は黄昏て、野鳥は低地に
 移動し、紅葉には早い。しかし日本の高原、里山、林縁など逍遥すれば小さくとも一期一会の出会いは嬉しい。

・ホテル傍のテラスから見る。
  
・野草園に登り周囲をぐるり巡る。今はススキに覆われ野草の花はほとんど終った景色である。
 正面の山の名を聞くのを忘れていた。  


・雲と空と風とススキの四重奏。少し歩けば汗ばむほどの日和であった。
    

・刻々と変化する雲に引き込まれて、
 
・いつまで見ていても飽きないものである。

・アザミを図鑑で見ると5種類ほど似たようなものが載っているがこれは
 とげの形から見るとタイアザミ、別名トネアザミと観たが。

・アカツメグサは今頃咲くか。

・アキノキリンソウはこれだけ。

・アカタテハが黄昏たアザミに。
  
・エノコログサと赤い花をつけたイヌタデ。

・危うく踏みつけてしまいそうなカエルでした。

・これは図鑑によると蛾の仲間でヤガ科のキクキンウワバと云うものらしい。初見の昆虫でした。
   


・トリカブトが其処彼処に咲いていたが……、

・この標高で9月も下旬になると蝶の数もあまり見られず、花も蝶も黄昏て寂しくなってくる。


・足元の小さな秋模様。
 
・らっきょの花がポツンと。

・これは何の実か。

次回信濃路へ続きます。


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・来迎院を背に呂川を左に見て、帰途についた。
 大原の佇まい営みに触れ日本の美しさがまだ見られたのに安堵した。
 秋も素晴らしいが次は草、萌え出づる早春にも訪れて見たい。

 <2021.11.16>
 ・赤い傘に誘われ、喉が渇いたのでゆずジュースの店に立ち寄った。

 
 ・何かの店の脇に見かけないものが、これは花が終わった残りか、

 ・魚山橋を渡って少し歩くと、こじんまりした美しいお寺が、

 ・天台宗念仏寺と云う。
 
 ・優しい雲と山際、霜月の大原の里を後に、   

 ・永六輔、いずみたく「女ひとり」の歌碑、

 ・コスモスが爽やか、
  
 ・大原の里、いつまでも嫋やかに。  

 ・帰りは予定の新幹線まで時間があったので二条城に立ち寄ってみた。

・ここでは学生の団体で混み合い、建物の中は行列を作り見学。ゆっくり見られず三密から退散した。 
 
 ・豪華な唐門に流れる雲を配した。 


 今回で京都大原は完結します。  


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・11/16日は2泊3日の旅の終わり。早くも最後の日となった。
 呂川に沿って来迎院を参拝し帰途に着くことに。

 <2021.11.16>
 ・2泊目に泊まったお宿は芹生(せりょう)。この画像は1986年11月に撮ったもの。
  今回、人が入ったのを撮ってしまったので、入っていない画像で昔撮ったものを入れてみました。
  この時はまだフィルムカメラ。今のカメラでは味わえない手触りと薫りが懐かしい。
  35年たってもあまり変わっていません。この宿には27年前の1994年11月10日に一泊している。
  京野菜、自家菜園野菜、山菜、季節を彩る「草菜懐石」を味わえる風情あるお宿です。

  芹生を「せりょう」とはどうしても読めないので宿の人に聞いたが大原の奥に古くからあった地名と
  言う。それ以上聞かなかったので調べたら、せりふの音変化で昔は「せれふ」と言っていたらしい。
  それが今「せりょう」と読むようになったようだ。
  「おほはらはせれうを雪の道にあけてよもには人もかよわざりけり」と、「山家集」より。

 ・芹生入り口。人の流れが絶え間なく、人が入ってしまったので左右の一部カットした。
  右側が三千院参道入り口になります。

  ・宿を出て三千院を左側に見、呂川に沿って少し登りの路をテクテクと両サイドは樹木に覆われ欝蒼としている。

  ・左の門は三千院の朱雀門。
    

  ・しばらく登ったところに来迎院子院の浄蓮華院が見えてきました。
 
  ・ここには入ることができません。  

  ・すぐ前に来迎院参道口が見えます。
  
  ・平安時代初期、日本天台宗を開宗した伝教大師最澄の直弟子の慈覚大師円仁(794〜864)が声明の修練
   道場として開山したのが始まりの天台宗の古刹である。 本堂は室町時代中期に焼災したが後期に再建。

  ・鐘楼

  ・参拝の人は他に一人しかいなかった。静寂に包まれ浮世の喧噪を忘れさせてくれる。




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・三千院門前通りを背に、北に向かって歩を進めると実光院、宝泉院、勝林院はすぐ。
 律川に架かる律橋を渡るとすぐ実光院だが、門を左に見てここはパスした。

 <2021.11.15>
  ・朱塗りの律川を渡って‥‥

  ・閑静な佇まいは宝泉院門前‥‥当院は勝林院住職の坊として平安末期頃より歴史をもち
   現在に至っている、と云う。
  
  ・参拝料と抹茶のセットを支払いこじんまりした客殿内に‥‥縁側から樹齢700年の五葉の松を観る。

  ・中庭の風情

  ・縁を巡って客殿を見る
 
  ・宝泉院を後に向かいの勝林院へ 
   魚山大原寺(だいげんじ)勝林院は1013年寂源により法儀声明念仏三昧の根本道場として建立された。
   別名、問答寺とも呼ばれている。法然上人を中心として浄土の宗義について一昼夜論議した大原(おおはら)
   問答で知られている。
   正面は本堂(阿弥陀堂)で1778年の再建と云う。  

  ・平安中期 重要文化の梵鐘、鐘楼は江戸初期、春日局の再建と云う。
   
  ・ここまで来ると参拝者は少なくゆっくりと過ごせたひと時でした。





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・寂光院に次いで11月15日は来た径を戻って三千院に向かった。
 天候に恵まれ少し歩くと汗ばむ11月半ばの大原であった。コロナが落ち着いてきたせいか、
 ウイークデーにもかかわらず三千院の人出は人を入れないように撮影するには悩ましい限り、人の
 流れが途絶えるを待っての撮影である。
 境内の紅葉は遅れているのか燃えるような景観ではなかった。

・寂光院から三千院までの径のり‥‥5コマ入っています。

・三千院入り口
   

・三千院‥‥創建は伝教大師最澄上人( 767ー822 ) が比叡山延暦寺建立の際、草庵を結ばれたのが始まり
 で天台宗五箇室門跡の一つ。皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡。大原の地は千有余年前より魚山と呼ば
 れ、仏教音楽(声明 ) の発祥の地で、念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至っていると云う。
  (15コマ入っています)



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・コロナひと時の合間を見計らって2年振りに旅に出た。コロナはこのまま収束に向かうと良いが
 海外は感染拡大中、先手を打って海外からの流入を徹底的に阻止してもらいたいものである。

・温暖化の影響で紅葉の時期、状況も気になっていたが京都は大原に。
 今まで大原には3回、紅葉の時期には2回( 1986.11.8 および 1994.11.11 )行っているが、
 この時は素晴らしい景観で記憶に留めている。今回は遅れているように見えた。あまりパッとせず、
 時期が一週間早いように見えたが、紅葉した葉の中には茶色くまだら模様になったものが多く一概に
 遅いのかどうか判断に迷う。

・訪れた場所を整理して順次アップします。
 <2012.11.14>
 京都駅から地下鉄で国際会館へ20分、大原行きのバスは25分ぐらいで終点の大原バスターミナル。 
 はじめは寂光院へ向かった。風もなく暖かく穏やな日和であった。(17コマ入っています)

 <2021.11.15>
 大原の里風景(9コマ入っています)

    

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 2年前に断捨離を行う中でアルバムやフィルムの思い出を多量に廃棄した。
今、振り返るとやりすぎたかな、と思ったりしている。この礼文、利尻島のフィルムも廃棄して残った
のはスキャナーで保存していたわずかな記録しかなかった。アルバムは嵩張るので整理し、思い出深い
ものはアルバムから剥がしてプリントだけ残すようにした。しかし日が経つうちにプリントも色褪せて
変色が進んでいる。救いたいプリントも出てきたがフィルムも廃棄してしまったので仕方なくプリント
をデジカメで撮りタブレットに残すことにした。

 ここでの旅の友はニコンF6とコンタックスTix(APSカメラ)である。
小生のカメラ使用歴のメモを見るとF6は2009年6月に処分した、とある。2004年に購入して5年
でさよならしたことになる。メモにはF6の終焉とあったが、どっこい、ニコンのサイトではまだ現役、長
寿のフィルムカメラである。
2005年2月にニコンD2Xを購入してフィルムカメラと併用していたがフィルムカメラの出番が少なく
なり、F6を売却(2009年6月)してキャノンEOS5DMⅡに変わってしまった。F6は使用感も大変優れ
たカメラである。
因みにコンタックスTixも素晴らしいカメラであった。レンズはツアイス28mm/f2,8、Cサイズにすると
35mm換算で約40mm前後となる。小型で使用感抜群の優れものであった。

 <礼文島の思い出、その二>

・スコトン岬からおよそ8Km歩いて澄海(スカイ)岬。

・涼やかな空と空気、そして深い蒼の海、対比が素晴らしかった。

 ・レブンシオガマ
 
 ・イブキトラノオ

 
 ・花畑もちらほらと。      

 ・これはオオカサモチだろうか?。

 ・チシマフウロ   
 
 ・14時頃のフェリーで利尻島に向かうが利尻の頂上は雲隠れであった残念。
  利尻島に入ったが写真があまり残ってなく間違って廃棄してしまったようだ。     



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 太陽コロナの暑さはやっと出口が見えてきたようだが、ウイルスコロナは出口も先も見通せず人混みには出かけ
る気になれない。
 新聞や雑誌の見出しはコロナ禍中、またコロナ終息後の働き方、暮らし方など、様々な見方の活字が目に止まる。
 働き方の改革で得るものは多いと思うが、日本に根ざした風習、風土、気概、日本語など、美しい文化は絶滅危
惧種にならないでほしいと願いたい。

 先人たちはよく月を見て想いを巡らせ思索していた。現代人はどうか、秩序なきグローバル化が深まり人の心も
経済もバランスが崩れた。目に見えない疫病に加え、自然災害、はたまた陰陽のネット空間では、サイバー攻撃は
益々高度化し、ネットに繋がったインフラも破壊されてしまう。
 見えない電子空間の様々な不幸な負の部分、問題解決に解はあるのか、その他内外、様々な問題を抱えた我が国は
どのように舵を切って行くのか、気合いを入れてほしいと思うこの頃である。

 この暑さで写真の題材も儘ならず、アルバムを見ていたら15年前の思い出が残っていた。
 礼文、利尻島ツアーの記録(2005.7/7〜9)、2回に分けてアップします。
・その一 

  ・最北端の駅は稚内

 ・駅に停車していた特急スーパ宗谷       

 ・稚内港は6:30発のフェリー、迎えてくれたのはウミネコ。
   
 
 ・礼文島に8:20着 1時間50分の船旅でした。礼文島は周囲72Km。

 ・西上泊の港
  
 ・最北端の地はスコトン岬、空と海が真っ青で天気に恵まれた。前に見るはトド島。  

 ・このスコトン岬から地図上、最短距離でロシアの陸地まで結ぶと220Kmぐらいだ。




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  山陰線の旅は今回で最終。特急は亀岡で普通に乗り換えて嵯峨野嵐山で途中下車。
  ここを訪れるのは33年ぶり、帰りは嵯峨野嵐山から京都駅へ。
  お寺巡りの散策時間は2時間30分ほど。4箇所のお寺を急ぎ足。
  ウイークデーにも関わらず外国人観光客で賑わい、紅葉は見事であった。

  <2019.11.19>

  ・平家物語ゆかりの寺、祇王寺。

  ・祇王寺(9コマ)

  ・52代嵯峨天皇の勅願より建立(834〜848)したことから始まる二尊院 。
    応仁の乱(1467〜1477)の兵火で災難にあったが平成28年、大改修として本堂が再建された。
   撮影はできるだけ人が入らないように心がけているが、途切れる間がなかったのでトリミング。   
 
  ・二尊院(7コマ)      

  ・二尊院

  ・二尊院   

  ・元禄の俳人、向井去来の遺跡は落柿舎(8コマ)。

 ・落柿舎。
  
 ・常寂光寺(4コマ)‥‥1596〜1615慶長年間に日禛上人が隠栖したことから始まるお寺。

 ・常寂光寺、多宝塔。


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  山陰線の旅はここから帰りの記録となる。11/19日朝、ホテルからの送迎バスで竹野駅へ。
  竹野駅から普通列車で一駅、城崎温泉駅へ。ここで特急に乗り継ぎ2時間10分、亀岡駅へ。次に普通
 に乗り継ぎ13分ほどで嵯峨嵐山(さがあらしやま)駅へ。9時40分の送迎バスに乗り嵐山駅に着いた
 のは13時01分。遠いいな‥‥、というのが実感である。

 <2019.11.19>
  竹野駅‥‥1911年開業、開業当初から木造瓦葺きの駅舎は今になっては珍しい貴重な存在である。
  夏は海水浴場、冬はカニのツアーの観光客で賑わう、という。


 ・静かな町並み、駅前の風情。
  

  ・通勤、通学の人たちの時間帯は過ぎ閑散としたホーム。

 ・懐かしのラッセル車だ。
 

  ・上り普通列車が来た。城崎から鳥取までは非電化区間。 

  ・城崎駅、ここで特急に乗り継ぐまで30分の待ち時間があったので改札を出てちょっと散策。

  ・6年ぶりだが昔から文人、墨客が訪れた土地。

  ・今でも日本の芳しさが漂う街並みが残されていた。

 ・温泉街に入ったがここで時間ぎれとなってしまった。

 ・この車両は京都から到着した特急城崎号。
 
  ・ここからは特急列車の車窓から走り撮った風景の数コマ。黒く光る瓦屋根がまだ健在だ。
   日本の典型的な沿線風景の美がここにある。 
 
 

  ・数分停車した和田山駅(竹田城跡はこの近く)。給水塔と機関庫が見えたが朽ちて、
   廃墟の姿は哀れを誘う。SLの汽笛が聞こえてきそうだ。

 
  ・明智光秀築城の福知山城‥‥1985復元された天守閣を走り撮る。  

 
  ・亀岡駅で普通に乗り換えた後、保津峡が見えてきた。 
  



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 コウノトリの郷を見てからきょうの宿、休暇村へ。
 バスで豊岡駅に戻る、そこから城崎温泉経由で3つ目、竹野駅へ。
 竹野駅からは送迎バス10分ほどで休暇村竹野海岸。

 <2019.11.17〜18>
 
 ・新しそうな豊岡駅舎。

・豊岡駅からは天橋立へ行く北近畿タンゴ鉄道が乗り入れ。

・散策の径から休暇村ホテルを見る(11/18)。
       

  ・ホテルの窓から11/18朝の猫崎半島を眺望、この日の日本海は波静か 。

  ・散策路を登り降りして大浦浜を望む。 

  ・静寂な大浦浜。    

  ・雲と風と空のハーモニーが聞こえてきた。
 
  ・ここは大浦浜から場所を変えて東よりの第二展望台から望む猫崎半島。   


  ・吸いこまれそうな眼下の浜景色。

    


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  旬の味覚、カニづくしに誘われ丹後半島の近く休暇村竹野海岸に行ってきた。京都駅から山陰本線は特急と
 普通に乗り換えて2時間半の竹野駅。竹野駅は城崎温泉の一つ先。ここから送迎バスで10分ほどの日本海
 を見下ろす休暇村竹野海岸は小高い丘の上。

  特急は竹野駅には止まらないので3つ手前の豊岡駅で普通に乗り換える。豊岡に来たからには近くのコウノ
 トリの郷公園を素通りする手はない。豊岡駅からは4.5km、バスで17分ほどの距離。
  立ち寄れる時間は1時間弱、ゆっくりできなかったが初めて見るコウノトリであった。

 以下コウノトリの郷公園の概要(パンフレットから抜粋)
  1971年、野外に残った最後の一羽が死亡。国内の野外のコウノトリは絶滅。
  1985年、旧ソビエト連邦(ハバロフスク地方)から野生の幼鳥六羽を受贈。
  1986年、飼育されていた豊岡盆地生まれ最後の一羽が死亡し、日本のコウノトリは絶滅。 
  1989年、ハバロフスクから受贈のコウノトリにより飼育下繁殖に成功(以後毎年繁殖に成功)。
  1999年、兵庫県立コウノトリの郷公園開設。
  2005年、試験放鳥開始。
  2007年、野外での繁殖により初めてヒナが孵化して巣立ち。
  2011年、コウノトリ野生復帰グランドデザイン策定。
  2017年、全国47都道府県全てでコウノトリの飛来確認される。
  2019年、鳥取県、福井県へ新たに繁殖地拡大。 

  <撮影2019.11.17(14時20分〜15時15分)>

  白い建物はコウノトリ文化館。

  石碑に掘られた詩を書き出しました。

  ・屋根の無い公開ゲージ内の飼育コウノトリ(5コマ入っています)      

 ・こちらは野外で暮らすコウノトリだがきょうは遠くの一羽しか見られず残念。
  遠くアンテナ塔に一羽(ここは巣作りの場所と云う)。
 
  ・ 6コマ入っています
   バスの運転手さん曰く、「きょうは午前中、近くで数羽見られたのだが」。
   午前中の方が逢える確率は良いか。

  ・花を探して近くの径を散策。細い流れの隅に秋の雑草ミゾソバの花が。   
    


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