私の職場には廊下の片側が一面ガラス張りになっているところがあるんですけど。
今日(もう昨日ですが)仕事中にそこを通りかかって、空からざぁっと結構激しく降ってる雨をふと見て、「綺麗だな」と思ったんです。
特に情緒のある景色でもなく、特別美しい降り方をしていたわけでもなく、なんてことないただの、いつもと変わらない雨だったんですけど、空から水の粒が降ってくるそれがなぜか新鮮で綺麗に感じられたんです。
今朝通勤途中に読んでいた本が、漱石が亡くなった日についての部分だったんです。
漱石にしても子規にしても勘助にしても、こういう雨を見て今日の私と同じように「綺麗だな」と感じた瞬間が絶対にあったはずで、実際小説や俳句などにたくさん書き残していますよね。
でもみんな今はいない。彼らはもう二度とこんな風に雨を見ることはできないわけです。
で、私は今、見ている。見ることができている。でももちろん、いつかは見られなくなる。生まれてくる前ももちろん見られませんでした。たかだか数十年かそこらなんですよね、私達がもってる時間って。この世界の長い長い時間の流れからすれば、本当に一瞬。
漱石達には漱石達の時間がかつてあって、私には私の時間がある。それが今。いずれそれが終わっても、また人は生まれて、その人はその人の時間を生きる。
「時間というものは、自分が生れてから、死ぬまでの間です」と言ったのは坂口安吾だったけれど、本当にそのとおりで、それ以上でも以下でもないのだなあ。
と長々書いてしまったけれど、実際には「綺麗だな」のほんの数秒の間にそんなことを感じただけです。いつもの私。
生まれて来たくはなかったとか、そんなことは考えても詮無いことで。だって現にもう生まれてきちゃっているのだし、人生半分まで生きてきちゃったのだから(平均寿命まで生きるとして)。
かつて生まれて、生きて、今はいない人達と、今生きてる自分の時間というものをちょっとだけ意識した、そんな午後のひとときでございました。あ、ちゃんとすぐに仕事モードに戻りましたヨ!こんなでも一応お給料もらって社会人やっておりますです。
台風が近づいておりますので、皆さまお気をつけて!
※追記:
漱石って来年が没後100年ですが、再来年が生誕150年なんですね!数え年の五十で亡くなってますから確かにそうなるか。絶対に大きなイベントやってくれるよね~と思っていたら、なんと新宿区の跡地に漱石山房が復元され、記念館ができるのだとか!鴎外の記念館はあるのになぜ漱石はないのかしら~とずっと思っていたので嬉しいです。東北大にある膨大な資料ももってきてほしいな。。