寺田さんは最も日常的な事柄のうちに無限に多くの不思議を見出した。我々は寺田さんの随筆を読むことにより寺田さんの目をもって身辺を見廻すことができる。そのとき我々の世界は実に不思議に充ちた世界になる。
夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。あるいは鳶が空を舞いながら餌を探している。我々はその鳶がどうして餌を探し得るかを疑問としたことがない。寺田さんはそこにも問題の在り場所を教え、その解き方を暗示してくれる。そういう仕方で目の錯覚、物忌み、嗜虐性、喫煙欲というような事柄へも連れて行かれれば、また地図や映画や文芸などの深い意味をも教えられる。我々はそれほどの不思議、それほどの意味を持ったものに日常触れていながら、それを全然感得しないでいたのである。寺田さんはこの色盲、この不感症を療治してくれる。この療治を受けたものにとっては、日常身辺の世界が全然新しい光をもって輝き出すであろう。
この寺田さんから次のような言葉を聞くと、まことにもっともに思われるのである。
寺田さんはその「我々の脚元に埋もれてゐる宝」を幾つか掘り出してくれた人である。
(和辻哲郎 昭和十一年 『寺田寅彦』)
寺田さんと話しているうちにこのような偶然よりも一層強く自分を驚かせるものがあった。何か植物のことをたずねた時に、寺田さんは袖珍(しゅうちん)の植物図鑑をポケットから取り出したのである。山を歩くといろんな植物が眼につく、それでこういうものを持って歩いている、というのである。この成熟した物理学者は、ちょうど初めて自然界の現象に眼が開けて来た少年のように新鮮な興味で自然をながめている。植物にいろんな種類、いろんな形のあることが、実に不思議でたまらないといった調子である。その話を聞いていると自分の方へもひしひしとその興味が伝わってくる。人間の作る機械よりもはるかに精巧な機構を持った植物が、しかも実に豊富な変様をもって眼の前に展開されている。自分たちが今いるのはわびしい小さな電車の中ではなくして、実ににぎやかな、驚くべき見世物の充満した、アリスの鏡の国よりももっと不思議な世界である。我々は驚異の海のただ中に浮かんでいる。山川草木はことごとく浄光を発して光り輝く。そういったような気持ちを寺田さんは我々に伝えてくれるのである。こうしてあの小さい電車のなかの一時間は自分には実に楽しいものになった。
あの日は寺田さんは非常に元気であった。電車へ飛び込んで来られる時などはまるで青年のようであった。自分などよりもよほど若々しさがあると思った。その後一月たたない内に死の床に就かれる人だなどとはどうしても見えなかった。これから後にも時々ああいう楽しい時を持つことができると思うと、寺田さんの存在そのものが自分には非常に楽しいものに思われた。それが最後になったのである。
(同 『寺田さんに最後に逢った時』)
木曜日以外に訪問することを漱石から許されていた例外のうち一人は中勘助で、もう一人が寺田寅彦。物理学者だけど文学も大好きな、飄々としたいわゆる天才肌のお方。
勘助は漱石の一高&東大時代の教え子ですが、寅彦は熊本の五校時代の教え子なので、さらに7年も古い付き合いです。
勘助が例外を許されていた理由は基本的に人の集まる場所を好まない彼の性質を漱石が理解していたからですが、寅彦の場合は木曜日でも何曜日でも寅彦の行きたいときに行っていて、漱石も「仕方がないな」と苦笑しつつ楽しんでいた感じですね。
この二人、どちらも漱石が最も愛したタイプの人間だったと思います(勘助は自信がないみたいだけど、絶対に愛されていたと思う)。
さてこの寅彦、ドイツ留学からの帰りにパリに寄るのですが、ノートルダム大聖堂の塔の上から他の観光客に混じり街の眺めを楽しみつつ、壁の石材についた貝がらの化石に気づいて「寺の歴史やパリの歴史もおもしろいが、この太古の貝がらの歴史も私にはおもしろい」と書いたりしてます。そんな彼の感性が私は大好き。
しかし昨日の坂口安吾の文章にしてもそうですが、作家が作家に対して書く追悼文というのはいいものが多いですね。
こんな優れた文章を書く和辻哲郎が若き日に小説家になることを諦めた理由には、有名な逸話があります。
あるとき和辻はオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(もちろん英語の原書^^;)を友人の谷崎潤一郎に貸しました。和辻は自分が印象に残った部分にアンダーラインを引いていたのですが、返す時に谷崎曰く「君が線を引いたところ以外が面白かった」。それを聞いた和辻は己の才能の限界を感じたのだとか。
先日の谷崎潤一郎展ではまさにこの本が展示されていて、たしかにあちこちに赤い線が引いてありました。では谷崎が面白いと感じた箇所はどこだったのか?すごく興味があります。まあなんとなく想像できる気もしますけども。
※写真は八ヶ岳にて