風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 @サントリーホール(11月9日)

2020-11-12 21:40:59 | クラシック音楽




youtubeで聴いて大好きだったゲルギエフ×ウィーンフィルの『火の鳥』をどうしても生で聴きたい。ゲルギエフがウィーンフィルと来日するのは16年ぶりとのことだし(どちらも毎年のように来日しているイメージがあるので意外)、今を逃したら二度と聴ける機会は訪れない気がする。でもでも、色んな意味で39000円はムリ。ああ・・・と未練がましくしていたら、クラシックの神様が微笑んでくれました
直前に9日の最安席(といっても19000円)のチケットを譲っていただけることに。9日ならマツーエフのピアノ協奏曲も聴ける\(^〇^)/

オーケストラの演奏を聴くのは、1月のサロネン&フィルハーモニア以来。
行く前はブログにこんなことを書くことになるのかな、いやあんなことかなとか色々思っていたのだけど、聴き終わった今は言葉がないです。
音楽の都から来たオーケストラは伊達じゃなかった。
そもそも音が独特で、今まで聴いたことのあるオケと全然違う。このオケを聴くのは今夜が初めてで、開演前の音出しのときから音が違うと感じたオケは、アムステルダムで聴いたコンセルトヘボウに続いて二度目です。コンセルトヘボウがビロードなら、こちらはシルク。サントリーホールでこんな音が聴けるなら、ウィーンの楽友協会で聴いたらどれほどの音を聴けるのだろう。巷で「ウィーンフィルはウィーンフィルというものであって、それ以外のオケとは別もの」と良くも悪くも言われている理由も理解できる気がしました。
やる気のないときには全くやる気を見せない気まぐれなオーケストラであることでも有名だけど(ゲルギエフと似た者同士ね)、今夜はマジメに演奏していました。今夜の演奏を聴いてウィーンフィルのファンになっちゃいそうと思ったのだけど、twitterの感想を読んでいると「今回は本気のウィーンフィル!」という言葉が溢れていて、それほどの気まぐれオケなのかと思うと来年もチケットを買う勇気を持てるかどうか・・・ でも今日の演奏を聴いて、そういう気まぐれなオケだからこそ出ている音の魅力というものもあるように感じられました。音が自由というか。うまく言えないのだけれど。

今夜はコロナ対策のためいつもより早く18時にホールが開場し、いつもどおり19時開演。ゲルギエフ、今回は遅刻しなかった
オケも客席もソーシャルディスタンス一切なしの密。日本的にも世界的にも異例尽くしの演奏会。
今夜はP席で、そういえばP席って管楽器の飛沫とか大丈夫かしらと一瞬思ったが、4日に1度PCR検査を受け続けているオケに囲まれている方が客席の日本人に囲まれているよりよほど安心であることにすぐに気づいたのであった。

【プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16】
朝にマツーエフのFBで、彼の長年の友人であるチェリストが8日に急死したことを知りました。
マツーエフは「悪い夢」「身体がその事実を受け入れられないでいる」「絶対的な空虚」と書いていて、その感覚が私には覚えがありすぎるほどあって、読んでいて辛かった。心より身体がその事実を理解できない、理解することを拒否している、そういう感覚。私が少しずつ事実を受け入れられるようになったのは(受け入れざるをえなくなったのは)、ずっと後のことだった。
あくまで個人的な感想だけれど、今夜の彼の演奏、私には一楽章も二楽章も三楽章も四楽章も強音も弱音も、みんな悲しみの音に聴こえました。というより悲しいという感情にもまだ心が辿り着いていない、あの日の自分がそのまま音になっているように聴こえて、特にカデンツァは聴いていて辛かった。カデンツァの最中に何度も彼を振り返っていたゲルギエフが心配して見守っている父親のように見えました。
なので聴き終わったときは興奮!とかそういう感覚はなく、よく頑張って弾ききったね、と言ってあげたい気持ちでした。
この曲をこんな気持ちで聴くことになろうとは…。

※マツーエフによるとこの曲はウィーンフィルのレパートリーにはない曲だそうで、彼らがこの曲を演奏したのは2018年にマツーエフと、2004年にブロンフマンと演奏したときのみなのだとか。この曲は自分にとってエヴェレストに登るようなものだが、彼らにとっても同じなのだとマツーエフは言っています。そしてウィーンフィルとの共演ではいつも素晴らしい一体感を感じることができるのだと。※ん?でも2017年にトリフォノフともやってますね
またこの状況下ではブラヴォーを言うことが禁止されているが、その声がなくても日本の聴衆の心は舞台の上で強く肌で感じることができる、と。自分もマエストロもウィーンフィルも日本との間には長い歴史があり、我々はみな彼らの文化と人々に敬意を抱いている、と言ってくれています。

【ショパン:ワルツ第7番 嬰ハ短調 作品64-2(ピアノ・アンコール)】
アンコールは無理に弾かなくていいから早くホテルに帰って休んでいいよ・・・と思ったけど、客席からの拍手にこたえて出てきてくれました。
弾いてくれたのは、ショパンが書いた最後のワルツ。マツーエフがショパンを弾くのは非常にレアなのだという情報をツイッターで見ましたが、今年2月にアンコールでこの曲を弾いている映像がyoutubeにあがっているので(こちら)、最近の彼のレパートリーなのでしょう。
ポゴレリッチでも感じたけれど、ワルツというのは時に他の形式の音楽よりも遥かに悲しみや寂寥を感じさせますね。
この曲のマツーエフの音はものすごく美しくて、だから一層悲しくて…。
そして帰宅した後、その亡くなったチェリストが昨年12月にゲルギエフ&マリインスキー管と来日したアレクサンドル・ブズロフAlexander Buzlovであることを知りました(google翻訳では違うスペルで翻訳されていたので気付かなかったんです)。あの日サントリーホールで自然な柔らかな音でチャイコフスキーの協奏曲を奏でていたブズロフ。あれから1年もたっていないのに…。死因は脳卒中でまだ37歳だったそうで、3歳の娘さんがいらっしゃるそうです。ゲルギエフもよく共演していたようなので、辛いでしょうね…。前回の来日中にはヤンソンスさんが亡くなって、そのとき一緒にいたブズロフが今回の来日中に亡くなるなんて…。
今日私が座った席は、3年前のゲヴァントハウス管の演奏会のときに友人が座っていた席の真後ろでした。その時にゲヴァントハウスがtwitterにあげてくれた映像には、拍手をしている私と友人の姿が映っています。そして友人が最後に聴いた演奏会は、おそらく2017年12月のゲルギエフ&マツーエフだと思います。亡くなる3ヶ月前。人間の命の儚さを感じずにはいられません。

【チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 イ長調 作品33】

チャイコフスキーはロマン派の時代に生まれたにもかかわらず、ロココ風の主題による変奏曲、いまでは「ロココ変奏曲」と呼ばれるこの作品で、一度でいいから、内なる葛藤や派手な色使いを避けた作品を書きたかったのだろう。
(プログラムノートより)

ソリストは、サントリーホールの館長でもある堤剛さん。78歳のご高齢で、6日の大阪公演を聴いた人達のツイの感想は散々なものでした。
堤さんのチェロ、音を引き伸ばし気味で軽やかな演奏ではないのに、何故か粘着質の嫌な感じがないのが不思議。ご高齢なのが良い意味で音に出ていらっしゃるのかも(音がギラついていない。弱いともいえるが…)。私はこの曲のチェロはもう少し軽やかな方が好きなので決して好きなタイプのこの曲の演奏ではないし、オケとの相性もいいとは言えないように感じたけれど、マツーエフと過去の自分が重なって痛みとも悲しみともつかない気持ちの中に沈んでしまっていた私は、この単純で朗らかなメロディーに心からほっとして、沁みて、なんだかこの曲そのものに感動してしまったのでした。
それはウィーンフィルの音によるところも大きかったと思います。こういう曲の演奏をするときにウィーンフィルが出す音の美しさは、ちょっと言葉では表現できません。
昨年マリインスキーで聴いたこの曲はロシア色を強く感じたけれど、今夜のこの曲からは軽やかなロココ色を強く感じました。お天気のいい日にウィーンの森の中を散歩しているような気分になった
この曲を聴いていると、チャイコフスキーの人生の中にも確かにあった心の安らぎ、小さな幸福のようなものを感じて、慰められます。ブズロフで聴いたのがこの曲でよかったな、と今思います。

【J.S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調 BWV 1009(チェロ・アンコール)】
この演奏は私には少々長く感じられてしまったのだけれど、いつものように舞台の端に立って聴いているゲルギエフの姿勢が綺麗で、遅刻魔だけど礼儀正しい人なのだな、と妙な感心をしてしまった。変な感想ですみません…。

(20分間の休憩)

【ストラヴィンスキー:バレエ音楽『火の鳥』(全曲、1910年版)】
今回の来日記者会見で「未来」を強調していたウィーンフィル。火の鳥は不死鳥。そういう意味では今回の来日にピッタリのプログラムといえるのではないでしょうか。終わらないかのように見える闇の、その先にある夜明け。
この曲を聴くのはヤンソンス×バイエルン放送響(組曲1945年版)、サロネン×フィルハーモニア(全曲1910年版)に続いて3回目で、見事にそれぞれ個性が違い、3者3様で素晴らしい。
今夜はウィーンフィルの出す芳醇で柔らかな音色とゲルギエフの作るロシア的な色彩感と物語感が見事にマッチして、極上としか言えない演奏でした。ゲルギエフがどんなに凶暴で鋭い音を出させてもちゃんと残る、うっとりと夢見るような甘い美しさ。それはウィーンフィルの個性ゆえなのだろうと想像する。そんな異質な両者のケミストリーが最高で、目の前に極上のファンタジー世界が立ち上りました。物語が目に見えるようなのは、さすが歌劇場の指揮者&オケ。
とはいえ王女達の踊りまではオケに若干手探りな気配もあり(火の鳥の歎願はよかった)、息が止まるような圧巻が訪れたのはカスチュイの手下の登場以降。カスチュイの踊り~子守歌では客席中が一人残らず火の鳥の魔法にかけられていたのではないでしょうか。体にビリビリ伝わってくる美の塊のような音圧(子守歌に入るところやカスチュイの卵が割れるところのダンッという音圧)も、凄かった。子守歌の美しさには陶然としました。火の鳥の笑っちゃうくらいの最強具合も最高。ウィーンフィルの音だと、この世を超越した絶対的存在である神のようなこの鳥のゾクゾクする怖さがあるのです。力業ではない桁外れな美しさゆえの怖さ。この鳥を敵に回して勝てる気が全くしない。
そして夜明けの静けさから壮麗な愛のフィナーレへ――。
この素晴らしさを表わす言葉はない。。。。。。
こんな『火の鳥』を生で聴くことができて、最高に幸せです。
今回も予習はヴィシニョーワ。この映像は何度も観ているけど、カスチュイの踊りのヴィシ様は最強すぎ。大好き。
そうそう、トランペットのバンダはサロネンのときは客席からでしたが、今回は舞台裏からでした(この状況下ではそりゃそうよね)。

【J.シュトラウスⅡ世:ワルツ『ウィーン気質』 作品354(アンコール)】
この9分間のためだけでも19000円払えるわ私、と思ったアンコール。
音楽が人間にどれほどの幸福感を与えてくれるのかを、体中で感じました。
やっぱり音楽は人間にとって不要不急なんかじゃなく必須なものなのだと、心と同じくらいに体がはっきりと感じていた。
ニューイヤーコンサートを観たことがないので、これがニューイヤーコンサートでよく演奏される曲だということは帰宅後に皆さんのツイで知りました。というよりJ.シュトラウスがニューイヤーコンサートでメインで演奏される作曲家なのか。彼らが演奏し慣れている曲であることがすぐにわかる、素晴らしく完成度の高い演奏でした。そして本日の中では最もTheウィーンフィルという音と演奏。
コンマスさん(シュトイデさん)と隣のvnさん(ダナイローヴァさん)の天上の音・・・・・・・。楽器の音じゃなく、もはや別の何ものかに感じられた。でもそれは良い意味で”人間が作り出している天上の音”で。オケの音も、祝祭的な華やかさと、美しいという言葉はこういう音のためにあるのだろうという優雅で泣きなくなるような美しさなのに、最高に良い意味で”人間的”な温かみがあって。私は決して人間好きとはいえない人間だけど、こんなものを生み出すことができる人間という生き物が心底好きだと感じさせてもらえました。ウィーンフィルに感謝。ゲルギエフからは昨年マリインスキーのアンコールでくるみ割り人形というクリスマスプレゼントをもらったけれど、今年は一足早いニューイヤーのプレゼントをもらっちゃいました

21:40終了。
ゲルギエフ、マツーエフ、堤さん、ウィーンフィルの皆さん、一生心に残る音楽を本当にありがとう。
沈みがちだった私の心にあなた達の生の演奏が与えてくれた力は、想像を超えるものでした。
今夜の私がもらうことのできたこの幸福を世界中の人達も共有できる日が、一日も早く訪れますように。
そしてブズロフのご冥福と、マツーエフの心が少しずつでも癒されていくことを祈っています。

※覚書:ゲルギエフは今回もオケのP席への挨拶はなしで、ソロカーテンコールの時には笑みをくれました。

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Johann Strauss - Wiener Blut, Waltz (Vienna Philharmonic Orchestra, Zubin Mehta)

1999年5月のメータ指揮の野外コンサートでの『ウィーン気質』。
この映像でコンマスさんの隣にいらっしゃるのは、今日のコンマスのシュトイデさんかな。
この曲、夕暮れの野外コンサートにすごく合いますね。ロンドンにいるときに何度か行きましたが、ヨーロッパの野外コンサートっていいですよね。日本と違って空気が乾いていて、太陽が沈んでくると涼しい風が吹いて、空が次第に夜色のグラデーションに変わっていって。
それにしてもウィーンフィルのこの音色よ・・・・・・。華やかで柔らかくて艶やかで自由で、でもそれだけじゃなく長い歴史も感じさせて。やっぱり言葉で上手く表現できない。「言葉にできない音」とはこういうものかと知った夜でした。

※追記①:この曲をアンコールで演奏してくれたのは、今回の来日ツアーでこの日だけだったようです。他の日は『眠れる森の美女よりパノラマ』か『皇帝円舞曲』のいずれか。この日は一応オープニングスペシャルプログラムということになっていたので、アンコール曲も特別だったのかもしれません。ちょっと忘れがたい素晴らしい演奏だったので、聴くことができてよかったです。
※追記②:この曲は今年9月にコロナ禍のなかゲルギエフ指揮で行われた「シェーンブルン夏の夜のコンサート」のアンコールで演奏されていたんですね!wikiによると、このサマーナイトコンサートは必ずこの曲を演奏して締めることになっているそうで。完成度が高かったわけだ。うんうん、やっぱりこの曲は野外が似合うよねえ





14日と16日のウィーンフィルFBより。
”We were deeply moved by the reactions we received from the audiences at the concert halls throughout Japan.”とあるのは、案外本当じゃないかな。今回の客席は、奏者がステージに登場する際も最後の一人が出るまでしっかり拍手をし続けていたり(普通はだんだん尻すぼみになる)、とても温かかったもの。
そして、”We are well aware that the voices and instruments of many musicians have to stay silent at the moment. We felt privileged that we were able to share our music with the Japanese audience as a sign of hope…"と。そう、まさに希望という言葉がぴったりの演奏会でした。
今回のウィーンフィルはチャーター便で4日に福岡着で、5日北九州、6日大阪、8日川崎、9~14日東京で公演し、14日深夜(15日1時55分)の便で羽田からウィーンに帰国したそうです。本当に演奏をするためだけに日本に来てくれたんですね。オーストリアはこれからロックダウンに入るそうで、ロシアも感染者数が増加しています。どうかご無事で。再び日本で皆さんの音楽を聴ける日を楽しみにしています。
って、ゲルギエフ、15日夜はモスクワでマリインスキーと演奏会らしいですよ!プライベートジェットでモスクワへ直行したのかな。あいかわらずのワーカホリックですね。ここまでくると尊敬する。 そういえばサロネンがインタビュー(2005)で"Performances for him are oases of peace and quiet. It's the only time his phone isn't ringing."と言っていた
同じ記事でサロネンはゲルギエフのリハーサルの仕方についてこんなことも言っています。

Esa-Pekka Salonen describes the process as follows: "Most other conductors hear the orchestra produce a certain type of sound, then react to it. Valery has a preconceived idea, and he works toward that goal until he reaches it. In the rehearsal, he micro-manages, works very hard on one particular phrase or passage. He leaves the macro-managing to the concert. Sometimes the whole form of the interpretation is revealed only in the concert. This keeps the orchestra on its toes."

What he does have is an ability to galvanise musicians and bring fresh impetus to familiar scores. The music critic Alex Ross observes: "Most conductors can hold a score in their head. Many can reproduce an orchestral score on the piano. Some, like Gergiev, have a kind of photographic memory, which enables them to recall scores they looked at years ago. Gergiev's talent is rarer: he can form an idea of the music's emotional texture and bring it viscerally to life."

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