坂田藤十郎さんがお亡くなりになりました。
『曽根崎心中』のお初ちゃん、『伽羅先代萩』の政岡、『道行初音旅』の静御前、『山科閑居』の戸無瀬、『勧進帳』の義経、『封印切』の忠兵衛、『帯屋』の長右衛門、『新口村』の忠兵衛など沢山のお芝居を観させていただきました。
藤十郎さんのお芝居を拝見していていつも感じていたことの一つは、舞台に出た瞬間から去るまで「そのお役を生きていらっしゃった」ことでした。そんなこと役者なら当たり前だろうと思われるかもしれませんが、上手く言えないのだけれど、藤十郎さんが実際に舞台の上にいるのは1~2時間だけれど、舞台に出た瞬間にその役の人間がその数時間前、数日前、これまでどういう人生を過ごしてきたのかということを感じることができるんです。藤十郎さんのお芝居からその感覚が抜けたことは、数多くの舞台を観てきた中でおそらく一度もなかったと思います。こういう役者さんって、いそうで意外と少ないんです。
次に印象的だったことは、私が本格的に歌舞伎を観始めたのは歌舞伎座が新開場した2013年からなので藤十郎さんは既にお若いとは決して言えないご年齢でしたが、いつも「そのお役の年齢」に見えたことです。若々しいというのではなく、本当にお若かった。年々若返っているようにさえ感じられました。藤十郎さんが大切に演じられていた『曽根崎心中』のお初ちゃんなんか、もう本当に可愛らしくてねえ・・・。一階席の前方で観ていても女子高生のようでねえ・・・。『道行初音旅』の静御前もそう。ふんわり麗らかな春の日差しのような静御前でした。
そしてやっぱり、上方の演目を演じられているときの藤十郎さんが大好きでした。私が観ることができた藤十郎さんの演じたお役の中で一番好きだったのは、『封印切』の忠兵衛。藤十郎さんの忠兵衛の、あの封印が切れたときの言葉で表現できない舞台上の独特の悲しさ、美しさ。文楽の空気を感じました。あの感じを体験させてくれる役者さんに今後出会えるだろうか・・・。ただでさえ上方歌舞伎は瀕死の状態なのに・・・。
そして最後に、私の印象に残っているエピソードを。
2014年の歌舞伎座での『曽根崎心中』のお初は”一世一代(そのお役の演じ納め)”とされた藤十郎さんにとって特別な公演だったのですが、私が拝見した日、クライマックスの曽根崎の森で徳兵衛が迷いの末脇差しを振り上げて刃先をお初の喉元に突き付けようというまさにそのとき、客席から「やめんといてや!」の掛け声が。そしてお芝居が終わり緞帳が降りるときには「まだまだやれまっせ!」。
・・・まあワタクシ、殺意を覚えましたよね。高い値段を出した一等席だったから猶更ね。
ところが終演後の藤十郎さん門下の扇乃丞さんのFBによると、
「一瞬、此処は道頓堀の中座か京都の南座かなという雰囲気で、師匠も"嬉しいねぇ"と言いながら楽屋へ小走りに戻って行かれました(^○^)」
とのこと。こうなるとこちらも苦笑してあの客を許さざるを得なくなっちゃうというか、この緩さも歌舞伎の良さと思えてしまうというか、少なくともこういう藤十郎さんが私は好きだ、と感じたのでありました。
藤十郎さんのお芝居をもう観られないことがまだ信じられませんが、心からご冥福をお祈りいたします。
たくさんの素晴らしいお芝居と時間をありがとうございました。
山城屋!!!
【妻の扇千景さん「芝居一筋の人」】
坂田藤十郎さんが亡くなったことについて、妻の扇千景さんはNHKの取材に対し、
「まるで眠っているように亡くなりました。10歳から去年12月の87歳まで一度も休演したことがなく、役者のために生まれて役者として死ぬ生涯でした。『曽根崎心中』という当たり芸もでき、いろいろな役をやらせていただき、本当にありがたいことでした。昭和33年に結婚し、62年間になりますが、怒ることがなく、人の悪口も言わず、“芝居一筋”で、ほかのことは何もできない人でした。役者のために生まれた人と結婚しましたが、私が政界に30年いた間もとても協力してくれました。こうして2人で62年もいられたことは、本当に縁だと思います」と話していました。
【鴈治郎さん 扇雀さん「父はスター」】
坂田藤十郎さんの長男、中村鴈治郎さんは、「最後まで若々しく、ずっとスターでいたのを目の前で体感させてくれた人です。そしてそのままスターのままで逝ってしまいました。家の中でも親父という印象ではなかったです。世界中で一番お袋が親父のファンだったと思います」とコメントしています。
また、次男の中村扇雀さんは、「子どものころから、父はスター街道をひた走っていました。そして自分の芸のことにはとても厳しく、自分の芸を高めていくことに人生をささげていて、その背中をずっと見続けてきました。『一生青春』をモットーに、息子も孫もライバルに思っている人でした。そして最期は苦しむことなく安らかに眠りました」とコメントしています。
【片岡仁左衛門さん「関西歌舞伎の旗頭」】
同じ上方の歌舞伎俳優として共演するなど親交が深かった片岡仁左衛門さんは、「私も先ほど悲報を知ったばかりで言葉が出てきません。われわれのような関西出身の歌舞伎俳優の旗頭で、心の支えのような存在でしたので、非常にさみしく、残念に思います」とコメントしました。
その上で、「大阪のにおいというのが体に染みついている方で、昔の素晴らしい大先輩の芸を盗んで吸収し、アレンジした独特の雰囲気は我々にはまねできないものだった。これまで兄さんが頑張ってくれたように、関西歌舞伎の芸を残すことに尽力していきたい」と、話していました。
(2020年11月15日 NHK)