風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

血まみれの二人 ~姜尚中『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』

2021-01-23 20:36:29 | 




1月12日に半藤一利さんがお亡くなりになったそうです。年末に『こころ』についての記事でそのお名前を書いたばかりでしたが、宮崎駿監督との少年のような大人な対談が大好きだったなあ。ああいうタイプの方達はこれからの日本には少なくなっていってしまうのではないか、と感じています。ご冥福を心よりお祈りいたします。

さて、先日、姜尚中さんの『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』という本を読んだのです。
姜さんが漱石について語られているのはテレビでは幾度か拝見したことがありましたが、本として読むのは今回が初めて。
拝読して、やっぱり姜さんの漱石像は私のイメージととても近いなと感じました。

不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時(いつ)か一度到達しなければならない死といふ境地に就いて常に考へている。
(『硝子戸の中』)

『硝子戸の中』の頃には身体的にも”死”について考えざるを得なくなっているけれど、漱石は若い頃から厭世的に”死”について思いを巡らす人だった。それは決して軽い気持ちからのものではない。
でもそうでありながら、漱石は生来的に”生”の価値を知っていた、”生”を愛していた人だと私は思う。
『こころ』の先生は、常に”死”を思いながらも”生”に惹かれ、思い切りがつかず、今日まで生きてきてしまった人。そして最終的に自死を選択した先生を、漱石が100%肯定的に描いているとは私には思えない。『こころ』という小説の芯の部分は”先生の死”にあるのではなく、先生の心を受け継いで未来を生きていく”私”が存在しているところにあるのだと私は思うのです。これは、姜さんも本書の中で同じように書かれていました。
ではなぜ漱石は先生を死なせたのか。未来へと向かう話にするのなら、先生を生かすストーリーにもできたはず。
私は、漱石の中では先生という人は死ぬ以外のストーリーはあり得なかったのではないか、とそんな風に思うんです。そもそも新聞連載が始まったときの題名からして『先生の遺書』ですし、最初から死ぬことが前提となっている。なぜなら、当時の漱石自身の中に先生を死なせる必要があったのではないか、と。漱石は『こころ』を書いたことで、その中で先生を殺してバトンを”私”へと繋げだことで、自分の中の何かに区切りをつけ、前へと進もうとしていたのではないか、と。”私”という存在には先生だけでなく漱石自身の希望も託されているのではないか、とそんな風に思うんです。不愉快に充ちた人生の中で身体的にも”死”に近づいていながら、それでも”生”に惹かれ、自身やこの国の人々の未来を見つめている漱石自身の姿が、この小説の構成にも表れているのではないでしょうか。

姜さんは『こころ』をデス・ノベルであると仰っていて、登場人物がことごとく死ぬ、死に満ちた作品であると。私はそういう見方でこの小説を読んだことはなかったのだけれど、言われてみれば確かにそのとおりなんですよね。もともと登場人物の多い作品ではないけれど、それでも生き残るのはお嬢さんと私だけ。こんなに登場人物が死んでいく作品は他の漱石作品の中にはない。
漱石は、あるとき小学生の少年から(おそらく「『こころ』の先生はどうなったのですか」という内容の)手紙をもらって、こんな風に返事をしています。

あの「心」とい小説のなかにある”先生”といふ人はもう死んでしまひました、名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です、あなたは小学の六年でよくあんなものをよみますね、あれは子供がよんでためになるものぢゃありませんからおよしなさい、あなたは私の住所をだれに聞きましたか、
(松尾寛一宛て書簡、大正3年4月24日)

ここで漱石が言いたかったこと、わかる気がするんです。『こころ』は子供が読んで悪影響があるとまでは言わないけれど、人生経験の少ない子供の頃に読んで理解できる内容では全くない(つまり、ためになる内容では全くない)本だと思う。漱石は「あなたは子供なのだから、今こんな本を読んでいちゃだめですよ。読む必要のある本ではありませんよ」と言いたかったのでしょう。子供に対して「”先生”は死んでしまいました」と書くのさえ、漱石は辛かったろうと思う。でも子供相手だからと誤魔化したりしないのが、漱石のいいところですよね。
こういう漱石の”生”に対するどこか本質的な肯定感は、おそらく漱石の生まれながらの人間的性質なのだろうと私は思っています。太宰がどんなに望んでも持つことができなかったもの。私は”死”に惹かれながらも積極的な自死の実行というものは一度も考えたことがないことを以前ここに書きましたが、おそらく漱石も同じような人だったのではないか、と私は思っているのです。

で、前置きが長くなってしまったけれど(そう、ここまでの文章は前置きだったのですよ)、本書に書かれてある『こころ』についての姜さんの解釈は私の解釈と完全に同じではないものの殆どの部分で同じだったのですが、そんな中で特に「ほぉ」と新鮮に感じた部分を自分用覚書として書いておきたいと思います。
それは「血まみれの二人」という部分。

姜さんは、Kと先生の親密さには友情という言葉では表現しきれないものが含まれているけれど、それを単純に”同性愛”と呼んでしまうのは違うように思うと書かれています。そして『こころ』をポーの『ウィリアム・ウィルスン』(私は未読)というドッペルゲンガーを描いた小説と重ね、Kと先生の関係は一心同体のようなものなのではないか、と仰っています。

この物語になぞらえると、Kは一人の人格の「善の側面(グッドサイド)」を体現し、先生は「悪の側面(ダークサイド)」を体現しているという構図になります。

そして二人が一心同体の存在であることは彼らが暮らしている居住空間にも象徴されているのではないか、と。彼らの部屋は襖一枚でしか隔てられておらず、その襖を開けば一つの部屋になります。姜さんは書きます。

意味深長なことに、Kが自殺した夜、襖は少し開いていました。Kがわざわざそうして命を絶ったのです。これは何を意味するのでしょうか。二人がウィリアム・ウィルスン的な一心同体であったとするならば、「おまえが見つけてくれ」「おまえが看取ってくれ」「おまえに俺のすべてを託す」という気持ちの表れだったのではないか、とわたしは考えます。だから遺書も「先生」宛てだったのです。みなさま宛でもなく、お嬢さん宛でもなく、「先生」宛てだったのです。・・・恨むも恨まないもありません。許すも許さないもありません。そもそも二人はそのような次元のつながりではないのです。

そして、こうも書きます。

 それは、「もともと先生とKという極めて親密なペアがあった。そこに突然、お嬢さんという闖入者が現れたために、二人の蜜月関係がかき乱された」という読み方です。・・・
 「先生」とKの間にはしばしば「血潮」だとか「心臓」とかいった表現が使われます。・・・この生温かい血の感じは、Kの死後は「私」との関係に引き継がれます。
 また、「先生」はKの自殺の現場においても、恐ろしいと言いながらわりに恐れげなく踏み込んで、Kの頭を両手で抱えあげて顔を覗いてみたりしています。このようなことは、普通はやらないのではないでしょうか。頸動脈をかき切っての失血死ですから、現場は血の海だったはずです。布団がかなり吸収してくれたとありますが、Kは血まみれだったと思われ、その身体を抱えたりすれば「先生」も血まみれになったと思います。
 そこで、はたと気づくのです。その「赤く生々しいつながり」は、「純白のまま汚さずにおきたい」というお嬢さんとのよそよそしいつながりと、鮮やかな対比をなしていることに――。
 そのように読んでいくと、お嬢さんがふと漏らす嘆息も、ことさらなものに見えてしまいます。
 
 妻はある時、男の心と女の心とは何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものだらうかと云ひました。

 ことほどさように、『こころ』の三角関係は単純ではないのです。にっちもさっちもいかない不毛なトライアングルなのです。

姜さんご自身が「少々踏み込みすぎたようです」と書かれていますし、小説を読み返すと微妙な部分もあるのだけれど、それでもこの3人の関係を思うときに、強い説得力のある解釈だと感じました。

他に本書で興味深かったのは、Kと藤村操青年を重ねている部分、漱石の「高等遊民」感の考察、そして年齢表
私、先生が死んだときの年齢っていくつだったんだろうとずっと気になっていたんですよね。なので、この年齢表は本当に参考になりました。小説の文章から想定される先生の凡その年齢は、次のような感じとのこと。

明治8年、新潟生まれ。明治26年(18歳)、両親が病死。明治29年(19歳)、東京の高等学校に進学。明治28年(20歳)夏、帰省時に叔父に結婚を勧められる。明治29年(21歳)夏、従妹との結婚を強要され、断る。明治30年(22歳)、叔父が遺産を横領していたのを知り、残った遺産を換金して故郷を捨てて上京。東京帝国大学に入学し、下宿に移る。この夏、Kは実家から勘当。明治31年(23歳)、この年の暮れか翌年の初めにKを下宿に引き取る。明治32年(24歳)、夏にKと房州旅行に出る。明治33年(25歳)、2月中旬にKが自殺。6月に大学を卒業。暮れにお嬢さんと結婚。二、三年後に”奥さん”死去。その後、高等遊民生活を送る。明治41年(33歳)、高等学校生の”私”(19歳)と鎌倉で知り合う。明治42年(34歳)、”私”(20歳)が東京帝国大学に入学。明治45年(37歳)夏、自決を決意する。このとき”私”は23歳。

先生、自死したときは37歳位だったのか。
若いのだろうとは思っていたけれど、やはり若いですね。

この本、とてもいい本なので、漱石がお好きな方にはオススメです。

今夜は関東平野部でも雪という予報だけど、降るのかなあ
大雪の地方の方にはふざけるなと言われてしまうかもしれないけれど、一年に一度くらい、ちゃんとした雪を見たいなあ。今年はまだ一度も見られていないもの。
それでは皆さま、どうか温かくしてお過ごしくださいね


※追記
本書について、もう一点。
姜さんが『こころ』とトーマス・マンの『魔の山』に共通点を見出していることが興味深かったです。なぜならピアニストのグレン・グールドが『草枕』と『魔の山』を愛読書とし、その二作に共通点を見出していたからです。以前にご紹介した『草枕』のラジオ朗読に先立って、グールドはこんな風に解説しています。
「『草枕』が書かれたのは日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマス・マンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」
マンの『魔の山』、未読なんですよね・・・。読まねば。