風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ポリーニのベートーヴェンのピアノソナタ第32番

2021-01-25 00:03:19 | クラシック音楽




先月NHKのクラシック音楽館のベートーヴェン特集で放送されたポリーニのベートーヴェンのピアノソナタ第31番と32番を、年末にオンデマンドで聴きました。2019年9月27日のミュンヘン・ヘラクレス・ザールでの演奏。
なんか、言葉で表現できない演奏だった。。。特に32番。
東京でショパンとドビュッシーを聴いたときに感じたあの独特の音色の透明感、孤高さ、鮮やかで繊細な色彩感、そのコントロール、スケール感、自然さ、温かみを思い出しました。ストイックな表情も。
私、ポリーニのベートーヴェンを聴いたのは今回が初めてだったんですけど、今回のこの演奏、いいねえとか素晴らしいねえとか、そういう言葉では表せない演奏に感じられました。
現世の強い感情がしっかりあるのに、彼岸の透明感も同時にあるような。聴いていて胸がいっぱいになってしまう演奏だった。
無人島に一曲だけ持っていくならこの演奏かもしれない、と思いました。この曲が一緒にいてくれたら、どんな状態にあっても、生き続けていくにしても死んでいくにしても、寂しくなく自分の人生を前向きに肯定できるような気がする(しかし現実的に考えると、無人島ならやはりポゴさんと同じように人の声の入った音楽を持っていくかな)。
繰り返し聴いてしまっています。

聴きながら、ふと思ったんですよね。
『リヴィエラを撃て』のシンクレアがもし今のポリーニの歳まで生きていたら、こういう演奏をしたのではないかな、と。
今回のベートーヴェンの演奏を聴きながら私の頭に浮かんだのは、あの小説で高村女史が書いていた言葉の断片だったんです。高村女史が小説でモデルにされたというポリーニのアバド&ウィーンフィルとのピアノ協奏曲の演奏よりも、今回の演奏の方にこそぴったりとくる文章に感じられました。

で、先ほど、実家にあると思い込んでいた文庫本が自宅の本棚にあることに気づき、その箇所を読んでみたんです。例のサントリーホールの場面。
ああ、やっぱりピッタリ。
高村女史が今回のポリーニの演奏について同じように感じられるかどうかはわかりませんが、今回私が受けた印象の記録として、ここに引用しておこうと思います(ただし小説で書かれているのはブラームスのピアノ協奏曲第二番についてです)。

 そのピアノはときに、五臓が震え立つほどのみずみずしい響きを発し、一条の光かと耳を疑う明るい響きが聞こえることもあった。深さと広がり、重さと透明、轟音と静けさを一つにして、なおあふれかえるほどの深い輝きに満ちながら、ピアノの重い爪は、光のすべてを再びうちに閉じ込め、ひたすら地の底を叩き続けて、オーケストラとともにコーダへなだれ込んだ。
 ・・・そのピアノの打鍵の重さ、激しさは、今は血を流しているのかと思うほどだった。これはピアニストの魂の声だろう。・・・またその音の深さ鋭さは、悲しみのそれに違いなかった。ピアニストはまぶしい氷の笑みをたたえて、怒り狂い、号泣していた。

 シンクレアの指は、豪胆と繊細と、陰惨と美しさの衣を次々にまとっていく。・・・ピアニッシモからフォルティッシモまで、音の粒は鮮やかな輪郭をもって生まれ出すにもかかわらず、次から次へとからみ合いながら、激しく渾然となる。そうして地を叩きつけながら、その一方で天を仰いで伸びていく繊細な詠嘆の音は、聴く者の胸を引き裂き続けた。・・・
 ・・・ピアノは再びしずくになった。前よりもっとひそやかな一滴が、旋律の彼方に落ちる。また一滴。それは事実、ほかに重なる音も、それに前後して続く音もない、高い単音だった。それが、ほんとうのしずくに聞こえた。シンクレアの魂から、一滴一滴しぼり出されて落ちていく。まさに、涙の音のようだった。
 ・・・ほとんど現世のものでないすみやかさ、軽やかさ、明るさに包まれて、ピアノもピアニストも疾走していた。一楽章で地の底を叩きつけた指が、今は天を翔けている。それが人間の指なら、打鍵に伴うさまざまな夾雑物があるはずだが、シンクレアの指には、そういう一切の余分なものが、もはや残っていないようでもあった。

 初めからずっと変わらないシンクレアの笑みも、今は彼岸の輝きを発していた。そうして疾走しながら、ピアノはオーケストラを間断なく引っ張って、無限に続く扉を開き続け、一つ開くたびに光は増した。やがて、ピアノがコーダの光をいっぱいに開け放ったとき、ピアニストは一瞬、そこから溢れ出た陽光を一身に受けて立ったかのように見えた。交響楽の大地からたったひとり立ち上がった、至福の、あるいは至高の王者のようだった。

(高村薫『リヴィエラを撃て』より)

はぁ。。。。。。。。。作家の表現力って当たり前だけど素晴らしいよね。私の文章力で書いたら陳腐なポエムになってしまうであろうところ、もうこの文章、ポリーニの演奏そのものだよ。
と同時に、ブラームスの音楽を語っているはずのこの文章がベートーヴェンの音楽にあまりにピッタリと合うことに驚いた。
ブラームスって本当にベートーヴェンの音楽を愛していたのだなあ。と、こんなところで改めて実感してしまったのでありました。

ベートーヴェンを取り巻く12人の音楽家たち ~第11回ベートーヴェンとブラームス(クラシカ・ジャパン)

※そういえば亡くなった友人がブラームスの交響曲第一番を聴いて「ベートーヴェンの第九にそっくりでビックリした。第四楽章なんて「いいの!?」と感じてしまうほどそのまま。メロディだけじゃなくて、曲の持っていき方も」と言っていて、私が「ブラームスはベートーヴェンを尊敬しすぎてなかなか交響曲を作曲できなくて、あの第一番を作るのに21年かかったらしいよ」と言ったら、「それで作ったのがあの曲!?」と楽しそうに笑っていたのを思い出しました。ハイティンク&ロンドン響&ペライアの来日演奏会をNHKが放送したとき。あの来日公演を私に教えてくれたのも友人でした。そういえば彼女はポリーニのベートーヴェンが好きだと言っていたな。。。あの頃は私はまだポリーニの演奏を知らなかったから、あまり話ができなくて。いま、話したいと思うことがいっぱいあります。